第八幕 206

風格漂う角部屋の木製の小窓には時間が経ち過ぎたがゆえの歪みなのかなんなのか、立て付けが悪く閉まりきらなくなりちょうど猫一匹が通れるほどの隙間ができている。なんのためにあるのか分からない妙な出っ張りを踏み台にし、私達は鼠の手を捻るようにいとも簡単に部屋の中へと入った。ここまで簡単に入れてしまうと誰に語る訳でもないが少し熱い展開に欠ける、などと戯言を垂れていると目の前に飛び込んできた光景に言葉を失った。前言撤回である。そこにはおびただしい数の注射器とその替えの針、そしてなんと書いてあるかは分からないがラベルの付いた薬品が無造作に散らばっていた。戦慄し動かない体とは裏腹に、私の頭は妙に冷静であった。そのことが幸をそうしたのか、はたまた見なくてもよいものを見てしまったのか、私は手前の注射器に着いたまだ新しい赤黒い液体を見逃せなかった。

「ハルト…」

私自身も驚いた。この奇々な状況がそうさせたのか、それとも私の中でいつの間にやら彼のことをすっかり信頼してしまっていたのかは定かではないが、私は彼の名を口にしていた。そもそも彼や君というのがよそよそしすぎたのかもしれない。〝猫〟なんてのはもってのほかである。

「うん。タイミングが少し悪かったかもしれない。」

ハルトの言葉が終わるのを待たずに居間の襖が息を吸うがごとく当然のように開いた。

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