第19話 人を好きになる理由
「――というわけで段取りはつけてきたわ」
ここは地元から少し離れた喫茶店。
疚しい事は無いのだが、悠里に見られた場合に誤解される可能性もあった為に少し離れた場所に透を呼び出して現在の状況を伝える。
「ま、まさか…… うちの高校にいたなんて…… 全然気づかなかった。」
「でもアンタ彼女の顔を見て思い出せるの? 思い出さない様にしてるんじゃないの?」
「う、うーん。……正直、自信はあまり…… ないかな」
「まずは現在の彼女の写真を見なさい。それでトラウマが再発するか確認してみましょう」
「ほ、ほんとに見ないとダメかな……」
汗を掻きながら、躊躇する透に無言でギロッと睨みつける明日奈。
その目線からは「いいから黙って見ろ」とでも言いたげだ。
明日奈は帰りの間際に彼女と撮った四人が映った写真をスマホに表示して透に差し出した。
躊躇の無い明日奈に全く心の準備をしていなかった透は「ヒエッ」と手で目を隠していたが、少しずつ開かせた指の隙間からその写真を見る事にした。
そこに映っていたのは…… 明日奈、瑞樹、見知らぬ男…… となると最後の一人が消去法で香織ということになる。
「彼女…… こんな顔していたっけ…… もう覚えてすらないや」
不思議とトラウマは発症しなかった。テーブルに置かれたスマホを持ち上げてもっと近くで確認する。
画面に映った女性を見ていた透はまるで初対面の女性を見るかのように、過去付き合ったはずの女性の画像を見ていた。
「それなら彼女が言うには、中学の時と顔が変わっているらしいわ」
成長と共に顔つきが大人っぽくなっていくというなら話は分かるが、それは顔が変わったとは表現しないだろう。
つまり、それの意味するところは…… と考えていると、明日奈が続けた。
「あの事件があって、顔に相当の傷が残って治療のついでに整形したということよ。万が一かもしれないけど、当時の犯人たちが刑務所から出所した後で逆恨みしてくる可能性もゼロじゃないから…… と言う理由よ」
あぁ…… やはりそうなのか。
自分が…… 彼女と交際してしまったせいで…… 取り返しのつかない事になってしまったと考える透の表情を見て明日奈が「このバカ」と一喝した。
「誰が何を言おうが、この事件の加害者はあの子を囲んだ三人の女生徒であって、アンタじゃない」
「……でも、彼女は僕への復讐をするつもりで転校してきたんじゃないのか?」
「そうね、たしかにそう口にしていたわ。でも、彼女はこうも言っていた…… 帰る前に少し話をした時の事よ」
◆
帰る前に少しだけ雑談した時の事……
『喜多川さんは病院とは無縁だから知らないでしょうけど、今の治療技術ってかなり高いのよ』
『ちょいちょい刺してくるのはなんなの? ハイブリットゴリラの仇のつもりかしら?』
『フフッ、やられっぱなしは嫌なの。人工皮膚に移植者のDNAを加える事によって親和性の高い皮膚が出来上がるのよ。だからほぼ100%適合するし、私のDNAを使っているから皮膚の色も全くの同一…… だから、あくまで表面上
香織はかつて重度の火傷を負ったであろう箇所を手で撫でると、その表情は苦痛に歪んでいた。
『でもね、失明した右目と焼かれた肉はそうはいかないの。目には義眼をいれているけど、見えないから一生片目で過ごさないといけないし、皮膚の下の火傷した箇所は今でも痛むわ…… 傷は治療済みのはずなんだけどね…… 多分精神的なものなんじゃないかって言われてる。念の為に痛み止めは出してもらってるんだけど、本当に痛むのか、心の奥であの時の恐怖が蘇って痛むように感じているだけなんじゃないかって…… いつまで続くのか分からない。もしかしたら、一生……』
『自分をこんな目に会わせた一条透はやっぱり許せないって事かしら? 貴方はそういうけど、傷を負わせたのは――』
明日奈が本当に責めるべきは誰かを問おうとすると、香織は明日奈の発言を遮って来た。
『――本当は分かってるの。一条君のせいじゃないって…… でも、当時はそんな余裕はなかった。実際の犯人は逮捕されて私が目を覚ました時は病院で顔も頭も滅茶苦茶で…… 痛みが酷くて眠れなくて、不眠症で残った肌もボロボロになっていって…… ストレスが溜まっていったそのタイミングで一条君がお見舞いに来てくれたの。私はこんな目にあったのに、貴方はどうして綺麗な顔のままなの? って…… 怒りのぶつける先が彼しかいなかった…… そして引っ越した先でも私はそのまま彼を逆恨みし続けていたわ……。 そんな事をしても何の意味もないのに……。責めるべきは犯人であって一条君じゃないのに……。 本当に私ってバカよね……』
『アイツが言うにはその時に言われた事がかなりショックだったみたいなんだけど、何を言ったの?』
香織は頭を捻ってはいるが、その様子はとても何を言ったか覚えているような感じではない。
考えすぎて眉間に皺を作ってまで思い出そうとしているが、無理そうだった。
『正直に言うと、内容はあまり覚えていないの…… 勢いだけで、思いつく限りの罵詈雑言をぶつけた気がするけど……』
『少なくとも、今の事を伝えてやれば少しはアイツの精神的な部分も良くなるかもしれないわね』
『だといいんだけど…… 私の出来る限りで彼に償いたい。そして、彼にも幸せを掴んで欲しい』
香織はコウの手を握りながら、自分が幸せになるから…… 彼にも同じ様に幸せになって欲しいと願っていた。
◆
「――というわけよ」
「そっか…… 今の彼女は幸せなんだな…… 良かった」
「んで、アンタあの時何でもするって言ったでしょ。ここまで段取りしてやったのに会わないとか言わないわよね」
「いや、ここまでしてくれたんだ。腹は括った。会うに決まってるさ。明日奈には本当に感謝してる…… 今更だけど、どうしてここまで手を尽くしてくれたんだ? お願いしたのはたしかに僕なんだけど……」
透の突然の問いに「コイツは何か勘違いしてやがるな」と思った明日奈は調子に乗るなと透に詰め寄る。
「勘違いしない様に。確かにアンタはあの時土下座をして誠意を見せた。でもね…… 私が動く一番の理由は悠里の為よ。あの子は今もきっとアンタの事で頭がいっぱいになってると思う」
「そう…… かな……」
「だから、もう一度リセットした状態で告白して…… 思いっきりフラれなさい。その時は私が悠里を貰いに行くから…… 悠里の心を私が満たしてあげるから……」
「悠里は女の子になったんだけど……」
その発言に明日奈は真面目な顔をして、透を見つめる。
その視線に吸い込まれるように透も明日奈の目を見ていた。
明日奈の発言を聞かなければならないと本能が言っているようだった。
「ねえ、アンタはさ……
何であの子を好きになったの?
女の子になったから好きになったの?
男のままだったら好きにならなかった?
戸籍上女性に変更してるんだったら、恐らくは身体的特徴も女性になったと思うべきなんだろうけど……
アンタはそれを確認した?
告白を受け入れた後で身体に女性的特徴がなかったらアンタはどうするの?
それも含めて本当に受け入れられる? それとも断る?
私はね…… もしも、アンタがそこで躊躇するくらいなら、潔く諦めて欲しいと思ってる。
その時は、私が貰いに行くから」
「明日奈は…… 同性だろうが、躊躇しないのか?」
真面目な表情から一転して、フフッと笑いながら自信満々に笑みを溢す明日奈。
その表情からは「愚問ね」とでも言いたげだ。
「当然でしょ。
私は小さい頃から悠馬を見て来た。
長く隣であの子を見て来たから……
あの子の好きなものを知ってる。
あの子の嫌いなものも知ってる。
得意なものも、苦手なものもね……。
それも全部含めて…… ある時、気付いたの。
私の人生にはこの人が必要なんだって。
幼馴染だから好きになった訳じゃない。
異性だから好きになった訳じゃない。
私は『高峰 悠馬』という人間を好きになったのだと。
この人の隣にいたい。寄り添いたいってね。
だから、悠馬が悠里になったとしてもその人間が変わった訳じゃない。
私にとって性別なんてものは些細な問題にしか過ぎないの。
だから聞きたい、アンタはどうなの?」
明日奈の躊躇ない発言を聞いてハッとさせられた。
僕は…… 彼の…… 彼女のどこを見ていたのか……。
あの時、彼女の涙を見て、去っていく姿を見て『僕の前からいなくならないで』と願った。
彼だった時に扉越しに会話を二年続けて『この穏やかな時間がずっと続けばいいのに』と願った。
無理矢理参加させられた合コンで女の子に抱き着かれた時、悠馬の事が頭に思い浮かんできた。
悠里になって僕の前から去った後で、頭が真っ白になって犬猿の仲であるはずの明日奈に躊躇なく土下座した。
僕は…… 僕の出す答えは……。
僕の目を一直線に見つめてくる明日奈に同じように一直線で見つめて回答する。
「僕は――」
◆
この日は透と香織が五年ぶりに再会する日。
何も感動の対面という訳ではない。
透のトラウマ改善を目的としているが、かつて交わった二人が今後はそれぞれ別の道を進むための儀式でもある。
場所は数日前に透と明日奈が情報共有をする為に集まった喫茶店。
先に到着した明日奈、瑞樹、透が香織とコウを待っている状態だ。
透はそわそわして落ち着きがない。
時折、窓の外をチラチラ眺めたり、目の前の紅茶をすすったり、手と手をこすり合わせていたりなど、落ち着く様子が全くない。
「うう…… 緊張してきた」
「さっきから動作が喧しいのよ、アンタは。私にあれだけ啖呵切ったんだから男見せなさいよ」
「そ、それはそうなんだけど…… これとそれは話が別って言うか――」
二人の情報共有時にいなかった瑞樹が興味を持って二人の間に割って入ってくる。
「何それ何それ? 面白そうじゃん。話聞かせてよ。一条君は明日奈に何を言ったの?」
「別に大した話じゃ――」
明日奈が面倒くさそうに瑞樹の質問を回避しようとしたとき、喫茶店のドアが開き、ベルが鳴る。
三人が振り返ったそこにいたのは、透のかつての彼女である香織が笑顔で立っていた。
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