第32話 人の気配
岩座守が最初に意識を取り戻したのは、本州と島を結ぶ橋を渡り始めた頃だ。
「味覚が消えて
視覚も消えて
自分が自分じゃないみたいだ
灰色の空
一人で駆ける
その行為に 意味なんてないのに
ここはどこ
ここはどこ
救いはなく
緩やかな終わりへと
ぼくはきっと
舵を切る」
自分と似た趣味の曲ばかりが入っていたカーオーディオ。
そのうちの一曲を再生し、気分を紛らわすために一人車内で大熱唱。
へたってしまいそうなメンタルにそれでも火を入れようと歌っていたわけだが、けが人にとってはノイズでしかなかった。
「へた……へたくそ……」
朦朧としつつも、ほんの少し怒気を孕んだような声音で、岩座守鷹彦は反応した。
「岩座守⁉ 意識が戻ったのか!」
顔色は相変わらず悪いままだ。意識が戻ったとはいえ、体はだるんとしている。
「ジーエンドですか……七楽さんって音痴なんですね……」
「悪かったな」
「……腕が、痛む。これは、どうなって」
岩座守は気味悪そうに自分の右腕を動かした。
先の戦闘で欠損したはずの右腕。
その外観はやはり人肌ではなく、彫刻のような質感だ。
動いていない時は石のように固そうだったが、こうして見ると粘土にも見える。
粘土、彫刻……どちらにせよ無機物から生成された雰囲気だ。
いや、それよりも。
「え? 自分でやったわけじゃないの?」
『これは、どうなって』。咄嗟のことで記憶にないのか、本当に何もしていなかったのか。
「自分でやったんですかね……? 俺、生きていますよね……?」
「生きてる。生きてるよ。だからこうやって会話ができてんだ」
もう一度、横目で岩座守の方を見たけど、まだ魔眼は稼働している。つまり、白と黒の眼球ではなく、魔法陣にも似た紋様がうねうねとうごめいている。
意識はあっても、自分では抑制できないということなのだろうか。一度蓋が開いてしまうと戻せないというか。
「…………その腕、自分のだって感覚は?」
「自分の意思で動かすことはできます。けど、自分の腕じゃない……勝手に動いているような……感覚もない」
「でも、腕が痛い?」
「ええ。本当の腕を失った痛み」
「お前、とりあえず寝てろ。東条のところへ行けば、もう少しまともな対応をしてくれるだろうから」
「東条……東条…………幽志朗さんは…………まだ生きてる」
岩座守はそんなことを最後に言って、再び深い眠りに落ちた。
電源が切れたような、眠りだった。
『ここはどこ
ここはどこ
救いはなく
緩やかな終わりへと
ぼくはきっと
舵を切る』
「くそっ、師匠がいないのは分かってるけど!」
オーディオを止めて、俺は橋を渡りきった。
◆
東条のところへ行けば。そうは行ったものの本来優先すべきは俺を送り出してくれた螺旋紬希の安全確保であり、師匠の奥さんであられる蒼さんへの連絡だ。
でも、それができる状況になかった。海中に投げ出されたことでスマートフォンはただの鉄くずとなり、電話、インターネットへとアクセスする手段があっという間にパーだ。結局、どこまで技術が発展してもスマートフォン一つが必要になってくる。
その薄い板一枚を失くせばあら不思議、自分だけが数十年過去にタイムスリップしたような不便さだ。
公衆電話は数年前遂に、スマートフォンの躍進に負けて消えた。
法律で設置は義務づけられていたけれど、それも過去の話。
国民、いや世界全体が、スマホ登場当時よりも操作に慣れ、今なお使いやすく進化するユーザーインターフェースのおかげで、スマホが完全に体の一部となったからだ。
人類史を語る上で、言語学とかの、次の次くらいには大切なくらいスマホは影響を与えていると思う。
そーんな素晴らしいもの壊しちゃったらもう大変さ。
だから大急ぎで帰ってきた。
事務所の二階からは光が漏れている。人の気配があった。
いつもどおり、車をガレージに停め、岩座守を背負って事務所に入ろうとすると、扉の方が先に開いた。
「うおっ! びっくりしたなぁ……せめて玄関の電気つけようよ……」
ぽやーっとしたお顔の東条幽志朗さんの登場です。
「君こそ。殺気が隠せてなかった。なにかあった――みたいだね」
そこまでわかって、その顔で来たのね。
「ふぅ。お前が生きててよかったよ……大至急岩座守を診てくれ。俺はその間にっ……螺旋ファミリーに連絡してみるからさ」
意識のない人間はやはり重たい。玄関にだらんと寝かせると、俺はそのまま二階へと上がった。
「僕だって状況説明はしてほしいんだけどな。君の口から」
「悪い、今は余裕ない」
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