第17話 渦と虚無
こっちが詰みだ。師匠は雲雀朧の手に浮く黒い箱を見てそう言った。けど、そう易々と敗北を認めたわけでもないようだ。
「………ははは‼ はは‼ はははは‼」
螺旋巴の
その光景はまるで、まるで…………。
ここ数年、怪異と呼ばれる連中を相手にしてきた自分でもゾッとするほど、あまりにも不気味で、おそろしかった。
目の前で奇蟲が動き出したときと同じような嫌悪感だ。
自分の師に対し、そんなことを思うなんてのは、自分でもどうかしていると思う。
でも、臓物が漏れ出たボロボロの躯体で稼働している人間を果たして生きていると言えるのか?
風に乗って血の香りが鼻の奥へと
さっきまでの威勢はどこへやら。きっと、鳥かごに入れられたこともあってだろう。
師匠の様子を見て、沸騰した脳髄をそのまま氷水に漬けたみたいに冷静になった。
「なにが面白い」
雲雀朧もその気味の悪さに思わず萎縮したようで、眉間にしわが寄る。
「お前ならわかってるはずだろう。この俺を瀕死の状態に持ち込んだ……さっきのワンアクションで俺を殺せなかったことが、どれだけの痛手となることか!」
螺旋巴のルーツは死であると、かつて東条幽志朗に告げられたことがある。
その人間の在り方、生まれ持った属性で人生のテーマのようなものが、死だと。
死は誰にだって訪れる。生物であれば、なんだって。
でも、生きている目的が“死そのもの”だなんてのは決定的に破綻している。
終わりが決められたものだとしても、人はそれを望まない。
そうならないように、あるいはそれまでに精一杯生きようと、足掻くものだ。
本来であれば、死までの過程にあるものこそが、東条幽志朗の言う人生のテーマ。
師匠のように、終わりが目標なんて人は世界中を探してもそういないと言う。
ただの
あれはもっと、根本的に、倫理的にどうかしているものだと。
この状況が、螺旋巴にとって好都合であるということは、顔色の変化を見て理解した。
あの人は愉しんでいる。
自分がどういう風に命の灯火を散らすのか、その瞬間に至るまでのこの
「耐えてみせろよ、雲雀朧‼」
師匠の持っていた杖がいつの間にか消えている。
かわりにそこにあったのは、透明な剣……いや、刀だろうか。あれが姿を現した瞬間、勢いよく風が吹いた。
刀身を包むように小さな竜巻が発生している。
「そんな武器など」
朧はまた嘲笑する。所詮は悪あがきかと、そう残念そうに。向こうにはまだ余裕があるし、手札だってあるってことだ。
「本当に無駄死にだったらどうすんだよ!」
思わず叫んで、光の檻を蹴る。
そんな簡単なことでここから脱出できていれば、既に戦闘に参加しているというのに。
「師匠‼ 巴さん‼」
応答はない。
あの人の思考は本当に戦闘モードに切り替わった風に見える。ゲームでよく見る狂戦士のように、結末を考えない人に。
禍々しい魔力を、師匠は纏っている。
いつものような鮮やかな赤い魔力の流れじゃない。
もっと、質がよくて純度の高い……命そのものを魔力に変換しているような、泥のような魔力……。
「本当に、死ぬ気かよ……」
考えろ。
考えろ。考えろ考えろ考えろ考えろ。
自分が何をすべきなのか考えろ。
俺はどうしてここにいる?
なんのために、師匠に閉じ込められた?
『鷹彦。気持ちはわかるがまだ使うな。それは切り札だ』
はっとした。
感情がもみくちゃになっていたとき、師匠が放った言葉だ。
対雲雀朧戦は、岩座守鷹彦のこの眼が奪われればそれで敗北が確定する。師匠が俺がまだ未熟であると、そう判断したのであれば、この不気味な結界の外から強制的にはじき出せばいい。
どうして結界内で檻を作るなんてことをしたのか。そこに師匠の意図が含まれているんじゃないか?
多分、檻と言っても朧が持っているあの箱を使われれば簡単に術は崩れる。
あくまでも俺を動けなくするための檻であり、一度限り、朧の攻撃を防いでくれるような代物だろう。
「この戦いで見極めろということですか……信じてもいいんですね」
戦闘は既に始まっている。
師匠は片足をバネのようにして跳びはねながら高速で舞っている。
壊れた機械のように、死を悟って攻撃的になった獣のように。
なにが起こっているのか、正確には眼で追えない。
しかし、雲雀朧の対応が遅れているのを見るに、今優勢なのは師匠だ。
鋭い一本の風が、執拗に朧の体を斬っている。
ダメージはある。
朧の体からも出血が見られる。
領域外の箱も、師匠を補足できないがために発動できていない。正確には、師匠の挙動が早すぎる。
きっと、領域外の箱は俺の眼と同様、因果に干渉するための魔術道具だ。
それも「螺旋巴のいる場所を攻撃」。なんて単純な命令で初撃のような致命傷を与えられる。
物体がどう移動しようとも、通常は回避なんてできない。師匠が受けた攻撃を俺自身が回避できたのは、最初から狙われていなかったからだ。
それに、領域外の箱のベースは父と兄の境界の魔眼。同じ眼を持っているから、人一倍予兆への反応は早い。
師匠も殺気には反応が早いけど、今回のは対応できなかったみたいだ。
雲雀朧が最優先で叩きたいのはあくまでも螺旋巴。師匠さえどうにかなれば、俺は誰の補助も受けられないから、どうにでもなると思われている。
でも、螺旋巴を殺すのが一苦労。
現にこうやって、ハイにさせてしまったから時間もかかっているし、領域外の箱を使う余裕すらない。
師匠が得意とする魔術は、時間魔術。言葉そのままに、時を操る魔術だ。
使いこなすにはなかなかの練度が必要とのことで、世界的に見ても使いこなせる者は珍しいらしい。
時を止めるということは、これまた因果に干渉するということ。
だから相応に、魔力の要求レベルが大きい。
が、それは時間魔術をテンプレ通りに使った場合の話だ。
師匠は、螺旋巴は、どういう仕組みかその時間魔術の消費魔力を最大限に抑えて、連続発動を可能としている。
仕組みを質問したら、「そりゃあ、企業秘密だよ」と笑われたこともあったっけ。
ともかく、師匠はその時間魔術を繰り返し使って、補足できない速さでの移動を可能にしている。
時を止めている間に、一気に移動。これを繰り返しているのだと思う。
とはいえ、師匠の半身は過去のとある出来事がきっかけでまともに動かない。だから常々杖を突いて歩いているわけなんだけど……それでも脱兎のごとく動き回るのは、本当に不思議でならない。
「ッツ――――‼」
ここまでハイスピードで、尚且つ時間魔術まで使われれば領域外の箱でもどうしようもないってわけだ。
よほどのことがないと、師匠は自分から戦うってことをしないから(俺や七楽さんに任せっきりが最近の定石)、朧の意表を突けたというのもあるのだろう。
「は、は、は、は、は、は、は」
笑っているのか、呼吸が荒れているのか、その両方か。
師匠の顔色はどんどん悪くなっている。戦闘が始まる前から、もうこれ以上は……というような状態だった。
なんせ内蔵が露呈している状態だ。
多少の治癒が魔術でできたとしても、あの大穴を塞ぐことはこの短時間ではできない。
白い湯気のようなものも体から漏れ出ている。
痛々しい戦い。
自分の体温もどんどん失われていく。
時間魔術の燃費がいいからって、あんな魔力の回し方では。
あの人はもうすぐ――――。
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