五章 闘戦母の軍団

 そして、アンドレアは帰ってきた。

 故郷であるレオンハルトへと。

 それも、お飾りの婚約者としてでもなければ、単なる子を産む道具としてでもない。自らの軍を率いる将として。自らの剣で人々を守る騎士として。鎧兜に身を包み、右手には騎士の象徴たる長剣を、左手にはシュヴァリエ家の紋章を記した盾を、それぞれにたずさえて。

 追放より三年。

 アンドレアはレオンハルトの騎士としての矜持きょうじと立場を取り戻したのだ。

 「前衛、突撃!」

 アンドレアは万感ばんかんの思いを込めて叫ぶ。

 その叫びにどれほどの思いがこもっているか。レオナルドにはとうていわからないことだったろう。

 アンドレアの指示のもと――。

 ドレスにかえて鎧兜を着込み、包丁にかえて槍を手にした母親たちが鬼部おにべ目がけて突撃する。もともとが戦いとは縁のないまったくの素人。それがせいぜい一〜二年の訓練をしただけ。洗練された戦術など展開できるはずもない。ただただ槍を構えて敵を目がけて突撃する。ただそれだけ。

 しかし、ただそれだけのことでも勝利に酔い、すでに戦いから獲物を食らう勝利の宴へと移っていた鬼部おにべの群れを突き崩すには充分だった。

 そして、なによりも――。

 戦場に立つ母たちには『我が子を守る』という確固たる決意があった。その決意からくる覚悟と気迫。それはかつての熊猛ゆうもう紅蓮隊ぐれんたいと比べても遜色のない、いや、それ以上、いやいや、男たちには決してもてない『母ならでは』のものだった。

 「わああああっ!」

 戦場の恐怖を忘れるためにあらん限りの大声を張りあげ、突進する。肩をそろえ、穂先を並べ、母たちは一枚の巨大な壁となって鬼部おにべたちに襲いかかる。

 鬼部おにべたちは突然の強襲に為す術もなく押し崩された。槍の穂先に身を貫かれ、鎧兜に身を包んだ突進に押し倒され、軍靴ぐんかのもとに踏みつぶされた。

 母たちの陣営は三段構えだった。第一陣はとくに体力のある若い母親たち。防御重視の重鎧に身を固め、槍を構えて突進する。

 「敵に構うな! ただ進み、押しつぶせ!」

 それが、アンドレアが第一陣に対して与えた指令。

 おおざっぱな指示だがどのみち、素人に毛の生えた集団に過ぎない闘戦母とうせんぼたちにそれ以上、細かい指示をしても実行するだけの能力はない。混乱してなにをしていいのかわからなくなるだけだ。それを見越した上でのアンドレアの単純な指示だった。

 その後につづくのが第二陣。第一陣に体力面では劣っても『戦闘の勘がある』と、アンドレアが認めた母親たち。むしろ、この第二陣こそが戦いの主力。動きやすい系鎧を身にまとい、長槍をもっている。第一陣の隙間から長槍を突き出して相手を襲い、第一陣に襲いかかる鬼部おにべを突き落とす。

 さらに、その後ろに第三陣がつづく。第三陣の武器は槍ではない。弓だ。空を目がけて放たれた矢が放物線を描いて落下して、味方の壁を越えて鬼部おにべの上に降りそそぐ。

 この第三陣に選ばれたのは体力面でも、戦闘の勘という点でも二線級とされた母親たち。非力なので強力な弓は使えない。勘が悪いのでろくに狙いもつけられない。直接、狙ったところで当てられないし、まぐれで当たったところで一撃で倒すような威力はない。

 そこで、数で補う。とにかく、打つ。打ちつづける。矢がある限り、腕が動く限り、打ちつづける。空を目がけて打つのは単に味方の壁を越えるためだけではない。自然落下の勢いを利用して敵を傷つけるためだ。もちろん、そんなめくらめっぽうな打ち方ではいくら打ってもまともに当たりはしない。しかし、それでいい。この第三陣の役割は敵を倒すことではない。とにかく、矢の雨を降らせて敵の動きを封じ込め、第一陣が襲われないようにするためなのだから。

 矢の雨に守られながら第一陣は突撃をつづける。

 槍の穂先を通じて肉をえぐる感触が手に伝わり、軍靴ぐんかの底から肉を踏みつぶすグシャリとした感触が足に伝わる。もちろん、鬼部おにべもおとなしくやられるだけではない。相手の体にしがみつき、力任せに鎧をはぎ取り、あるいは食らいつき、あるいは爪を立てる。第一陣の通ったあとには血の池が出来ていた。しかし――。

 「母親、なめんじゃないわよ!」

 「こっちは肉をさばくのは慣れてるのよ!」

 「こんな痛み、出産の痛みに比べたらどうってことないわ!」

 「子育ての鬱憤うっぷん、晴らしてやる!」

 母親ならではの言葉を口々に叫びながら、ひたすらに突撃をつづける。

 しかし、しょせんは素人。しかも、非力な女性。そういつまでも重い鎧兜をまとった突進などつづけられるわけがない。

 すぐに息切れを起こす。

 動けなくなる。

 限界に達したのは第一陣だけではない。主戦力である第二陣も集中力が切れはじめた。牽制が役割の第三陣も弓弦を引く腕に力が入らない。勢いがとまり、その場に立ち尽くす。それを見たアンドレアがすかさず叫ぶ。

 「右翼突撃!」

 陣の右側に位置していた部隊が突進をはじめる。

 この部隊も前衛同様、三段構えの備え。動きをとめた前衛にかわり、鬼部おにべの群れに突撃していく。

 前衛が動きをとめたのは単に体力切れを起こしたからではない。

 「疲れを感じたらもうそれ以上、動くな。槍を構えて守りを固め、後衛の突撃をまて」

 そのアンドレアの指示に忠実に従った結果だった。

 右翼部隊は守りを固める前衛部隊の右側面を駆け抜け、斜め前から鬼部おにべの群れにぶつかる。異なる方向からの突撃に、体力は人間以上でも戦術においては子供以下の鬼部おにべの群れは混乱する。右翼部隊はそのまま混乱する鬼部おにべの群れを押し崩していく。

 その間に後衛部隊が前衛目がけて殺到していく。

 この部隊は戦闘員ではない。救護班だ。負傷者に治療を施し、助け出し、搬送するのがその役目。水分補給と、気付けと、傷口の消毒を兼ねたアルコール度の高い蒸留酒の小瓶を渡しつつ、テキパキと自分たちの役割をこなしていく。

 その間に右翼部隊も動きをとめていた。アンドレアがみたび指示をくだし、左翼部隊が突撃する。

 その様を見てアンドレアはウズウズしていた。

 自分も突撃したい。

 と言うより、自分こそが突撃したい。

 突撃する部隊の先頭に立ち、自らの剣で怨敵おんてきたる鬼部おにべたちを切り捨ててやりたい。

 しかし、そうはいかない。覚悟と気迫は超一流でもしょせん、素人に毛の生えた存在でしかない闘戦母とうせんぼたち。一兵卒としての訓練をするのが精一杯で将としての訓練など誰にも出来ていない。アンドレアが先陣を切ってしまっては、後方から全体を見渡し、指示をできるものがいなくなる。

 だから、アンドレアは必死に耐えた。

 はやる気持ちをかろうじて抑えながら、後方からの指示に専念する。

 しかし――。

 その我慢も終わるときがついにきた。

 左翼部隊も動きをとめ、残るはアンドレア自らが指揮する中央部隊のみ。こうなればもう、後方から全体を見渡し、指示する必要などない。思う存分、先頭に立って戦場を駆け巡ることが出来る。

 我慢を重ねた鬱憤うっぷんを晴らすかのようにアンドレアは叫ぶ。

 「突撃ぃッ!」


 戦いはレオンハルト軍の、いや、アンドレア率いる闘戦母とうせんぼたちの勝利に終わった。

 思わぬ襲撃を受けた鬼部おにべたちは多大な被害を出して撤退していった。残ったのは勝利の喜びに沸く余裕すらなく、その場にへたり込む母親たち。そして――。

 呆然ぼうぜんとしたありさまで突っ立っているレオナルドとその配下の軍勢だけ。

 アンドレアはひとり、長剣を構えたままレオナルドのもとへ向かった。

 アンドレアを迎えるレオナルドはなんとも複雑な様子だった。

 無理もない。

 他人に助けられた。それだけでも『獅子王』と呼ばれた男の矜持きょうじにさわる。しかも、その相手は、かつて自分自身が罪人として追放した人間。さらに、『家庭にこもって子を産み、育てる』よう要求してきた女たち。

 レオナルドは傲慢ごうまんで独りよがりではあっても暗愚あんぐではない。

 自分がアンドレアに助けられたこと、闘戦母とうせんぼたちの加勢がなければこの場にいる全員、鬼部おにべに食われて終わっていたこと。それはわかっている。

 しかし、だからと言って、素直に礼を言っていいものか。相手は追放した罪人であり、その罪は晴れたわけではない。女が戦場に出て戦うことを認めては、自分がいままで行ってきた政策を否定することになるのではないか。

 その思いがある。

 礼を言えばいいのか、

 罪人が勝手に戻ってきた罪を問えばいいのか、

 はたまた、これまでの政策通り、『女は家庭にいろ』と命令するべきなのか。

 レオナルドはとっさにその判断が出来ず、目を白黒させるばかり。もっとも――。

 この期に及んでそんなことを思っているのが、そもそも『自分の立場をわかっていない』と言うことなのだが。

 レオナルドとちがい、アンドレアの方は迷ってなどいなかった。かのは自分のやるべきことを知っていたし、そのことにためらいなどなかった。

 アンドレアはレオナルドに近づいた。その眼前で立ち止まった。ちょうど、剣をもって打ち合える距離だ。

 アンドレアはレオンハルト国王、そして、かつての婚約者たる相手に向かい、言った。

 「剣をとれ、レオナルド」

 「な、なに……?」

 「レオンハルト国王の座を懸けて、きさまに決闘を申し込む!」

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