第9話

 王弟エルランドはその時、乾いた喉を潤すため、目の前に置かれた紅茶に口をつけていた。

 イングリッドの叔父はすかさず銀のスプーンをティーカップの中に差し入れたが、スプーンの色は変わらない。


倒れた王弟を抱き上げたイングリッドは、

「ヒ素が入れられているわけじゃないんだから、スプーンの色が変わるわけがないって!」

と、叔父に言いながら、エルランドの口の中に自分の指を突っ込んでいく。


 隣室に待機していた兵士たちが駆け込み、王妃つきの侍女たちが悲鳴をあげた。


「扉を閉めろ!誰も外に出させるな!ここに毒を入れた奴がいるかもしれない!」


 イエルドの言葉で、すぐさま、兵士の何人かが扉の前へと移動をし、立ち上がった王妃が侍女と護衛に指示を出し始める。


「おじさん!花瓶の水を取って!」


 変色しないスプーンを投げ捨てたイエルドは、毒入りのカップを誰の手にも届かないようにテーブルの中央に移動させると、テーブルの上を飾っていた花を投げ捨て、花瓶の水をコップに移し替えようとしたのだが、

「そのコップにも毒が塗ってあるかもしれないから!花瓶ごとでいいから渡して!」

イングリッドに言われて、イエルドは生唾を飲み込んだ。


 エルランドを狙っていたとしたら、他のものにも毒は塗りつけられているかもしれない。


 テーブルの上で一番、毒の危険性がないものが花瓶。


 鮮やかな花が生けられた花瓶の水に毒を入れて、花が萎れるような事にでもなれば問題視されるのは間違いないのだから、毒や異物など入れるわけがない。

だからこそ、一番安全なのが花瓶。花瓶のまま口に水を注ぎ込むことが一番安全だと言えるだろう。


イングリッドはイエルドから花瓶を受け取ると、指を突っ込まれながら嘔吐をした事で顔から胸元まで汚れて汚くなった王弟の顔に水をかけまわし、嘔吐したものを水で洗い流してしまうと、胸の谷間から取り出した薬包を自分の口の中に放り込み、掴んでいた花瓶の水をそのまま口に含むと、エルランドに口移しで飲ませ始める。


 その異様な光景に気がつき、慌てた騎士の一人が、

「無礼であるぞ!何をするか!」

と叫んで姪を羽交い締めにしようとしたため、イエルドはイングリッドと兵士の間に入りながら、

「毒を飲んだ殿下への対応を邪魔するな!貴殿は殿下を殺したいと考えているのか!」

と、大声をあげる。


 阿鼻叫喚の坩堝と化したこの場を制したのは間違いなく王妃であり、

「謀反を企む者はことごとく極刑に処す!死にたくない者は我が命令に従え!」

その一喝により、辺りはシンと静まり返ったのだった。



 王弟エルランドは武勇の誉ある戦士である。彼が帝国の進撃を退けたのはわずか十五歳の時であり、以降、無敗の将として名を上げ続けているのは間違いない事実。


 エヴォカリ王国を我が物とするのに、まず第一の障壁となるのがエルランドであり、王妃自身も彼の選択によっては、亡き者にしなければならないと覚悟を決めていたところがある。そこを逆手に取った帝国側が、王弟暗殺に踏み切ったのだろう。


 王妃宮に招かれた王弟が暗殺された事が明るみとなれば、マグナス王は即座に王妃ペルニアを切り捨てるのに違いない。


 元々、仲が良い夫婦ではなかったのだ。王妃を王弟の暗殺を理由に処刑したとなれば、南西の国境に接するブロムステン王国との国交は断絶する事になる。


 エヴォカリ王国にブロムステン王国の後ろ盾が無くなれば、帝国は容易く王国に侵攻する事が出来るだろう。


 エルランドという無敗の将がいなくなり、ブロムステンからの増援も見込めないとなれば、エヴォカリ王国は与するのに容易い存在に成り下がる。


「イングリッド様、貴女様の早期の対応がなければ、おそらく殿下の御命は無かった事でございましょう」


 慌てて駆けつけた宮廷医は、用意された寝所へと寝かしつけられた王弟エルランドの診察を終えて、イングリッドへ感謝の意を示した。


「貴女様が解毒剤を所持してくれなければどうなっていたか・・・きっと、後遺症が残ることになったでしょう・・・」

と、言うと、医師は顔を顰めた。


「同じような毒を最近使われていたので、解毒剤を執事から持たされていたのですよ」

「同じような毒?」


 王妃の問いに、カルネウス伯爵家の当主イエルドが、姪となるイングリッドが公爵邸で毒を盛られた経緯を説明する。


「公爵夫人であるフレドリカは、正妻の娘であるイングリッドを亡き者として、自分の娘をレクネン殿下の婚約者もしくは公爵家の跡取りとするつもりだったのでしょう」


 フレドリカの名前を聞くと、王妃は唇を噛み締めるようにして怒りを露わにした。

 過去、王の心を虜にしたフレドリカは今もなお、多くの男を虜にしているのだ。

 

「利用されているのは帝国独自の毒・・という事かしら?」


 アハティアラ公爵夫人の愛人が帝国の間諜となれば、麻薬成分を多く含んだ毒は帝国産という事になるのかもしれない。


「生き残ったとしても、継続的にその毒が欲しくなる。心の奥底から渇望するようになるため、何でも言う事をきくようになるんじゃないでしょうか?」


 イングリッドの言葉に宮廷医が納得顔で頷いていると、毒で倒れたエルランドが目を覚ましたようだった。


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