第4話 イケメン恐怖症
待合室から逃げ出したあたしは、母屋につづく渡り廊下を駆け抜けた。
玄関のドアの前まで来てホッと息をつこうとしたら、後ろからパタパタとスリッパの足音が追いかけて来た。
振り返らなくてもわかる。
黒い物の怪の妖気に、ザワリと鳥肌が立った。
「へぇ、診療所と廊下でつながってたんだ。初めて知った」
のほほんとした弓月さんの声に、あたしは仕方なく振り返った。
「あのっ、こっちは立入禁止です。待合室に戻ってください!」
怯えながら、勇気をふりしぼって弓月さんにそう言った。けれど、弓月さんは不思議そうに小首を傾げただけだった。
「なんで? いいじゃん。戻っても、おやじばっかりでつまらないよ。七海ちゃん、話し相手になってよ」
弓月さんは全く気にしないで近寄って来る。あたしは思わず後ずさった。
「どうして逃げるの? これでもおれ、女の子には人気あるんだけどなぁ」
近づいて来る弓月さんと黒い物の怪の気配に、冷たい汗が背中を伝ってゆく。
あたしは今にも『助けて』と叫びそうになるのを必死にこらえながら、じりじりと後ろ歩きで逃げつづける。
「ねぇ、待ってよ!」
とうとう腕をつかまれて、一気に間合いを詰められたときには、すぐ目の前に黒い物の怪がいて、あたしは気が遠くなりそうだった。
「あれ? もしかして、七海ちゃんて見える人なの?」
さわやかな弓月さんの目が、スッと細くなった。
一瞬で、あたしの頭は急速回転をはじめた。
黒い物の怪が見えることを、弓月さんに知られてはいけない。何としてもここで白を切り通さなくちゃ、大変なことになりそうな予感がした。
「みっ、見えるって、何がですか? あの、気を悪くしないでくださいね。じっ、実はあたしは、その……極度のイケメン恐怖症なんです!」
とっさに片方の手で顔を覆い、あたしはでたらめな病名を口にした。
「イケメン恐怖症? なにそれ?」
「で、ですから、弓月先輩のようなイケメンの方が怖くて、近寄れないんです!」
「そんなの聞いたことないよ」
「聞いたことなくてもあるんです! すみません、失礼します!」
あたしは今度こそ弓月さんの前から逃げ出して、自分の部屋にかけ戻った。心臓が爆発するんじゃないかと思うほど、バクバクしていた。
待合室の宴会は、夜遅くまで続いていた。
あたしは弓月さんと黒い物の怪のことが頭から離れなくて、なかなか眠れなかった。
「────いやぁ、まさか、うちの御先祖がこの町の出身だなんて、びっくりしたよ」
お父さんの声が聞こえて来た。宴会、終わったんだ。
「親父もおふくろも東京生まれだって聞いてたから、全然知らなかったなぁ」
「それじゃあ、あなたのおじいさんの代で東京に出て来たの?」
「神和さんの話だと、そうらしいよ。もう元の家は残ってないそうだ」
「そう。神和さんは、それであなたに診療所の医者を頼んだのね。なかなかこういう町の医師は集まらないでしょうから」
お母さんの声に、あたしは思わずうなずいていた。
(お父さんのおじいちゃん……てことは、あたしのひいお爺ちゃんがこの町の出身? そんな事ってあるんだ……)
そんな話を聞きながら眠ったせいか、その夜は、なんだか不思議な夢を見たような気がした。
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