海町ラビリンス

滝野れお

第1話 引っ越し先は海の町


「七海、泣かないで」

「大丈夫だよ七海。引っ越しても、きっと、あたしたちみたいな友達ができるよ」

「あきちゃん、じゅんちゃん……」


 卒業式の日は、最初から最後まで、涙が止まらなかった。

 六年間かけてようやく自分の秘密を打ち明けられる友達ができたのに、お父さんの仕事の都合で引っ越さなくてはならなくなった。

 一緒に同じ中学へ行けると思っていたのに、こんな風に友達と離ればなれになるなんて。あたしは目の前が真っ暗だった。


「七海、いつでも連絡してね。何かあったら相談に乗るからさ」

「うん」

「元気でね、七海」

「うん……うん」


 泣きながら友達と別れた、小学校の卒業式。

 その日のうちに、我が家は住み慣れた東京から、遠く離れた海町へ引っ越した。


☆     ☆


 翌日は、朝から荷物の整理で忙しかった。


「七海、ここはもういいからさ、散歩でもしてきたら?」

「えー、いいよ。最後まで片づけるよ、お母さん」


 引越し先の家は、海の見える高台にある。


 昨日は東京から電車に乗り、最寄駅からは車に乗り換えて、山の中の細い道を長いこと走った。

 数えきれないほどたくさんのトンネルを抜けて、ようやく家に着いた時には、もう暗くて波の音しか聞こえなかったけれど、今は、大きな窓からきれいな海が見える。

 

 お父さんが勤めることになったのは、この町のたったひとつの診療所で、この診療所と屋根のある廊下でつながっている木造平屋の古い家が、あたしたちがこれから住む家だ。設備も古くて便利とはほど遠いけれど、緑の屋根と白い壁がほんの少しだけかわいい。


 引越しの話をはじめて聞いた日、お父さんはあたしに言った。


『引越し先の海町は、最寄り駅から車で一時間以上かかる、かなり不便な場所にあるんだ。大雨のあと落石や、土砂崩れで道が塞がれてしまうと、救急車も通れないような大変な町なんだ。その町のお医者さんが先月亡くなってね、お父さんが行かないと、この町の人たちは安心して暮らせないんだよ』


 お父さんは医者で、それがどれほど大切な仕事かは子供のあたしでもわかる。だから、いくら引っ越すのが嫌でも、反対することなんて出来なかった。


 ここが、これから何年か、あたしたちが住む家なんだ。

 引越し屋さんが届けてくれたたくさんの荷物を片づけながら、あたしは改めてここで生きていく決心を固めていた。


「ねえ七海、これからはお母さんも診療所の手伝いで忙しくなるから、お買い物とかいろいろ頼むことになると思うの。だから、七海には早くこの町に慣れて欲しいのよ。お散歩がてら、町の様子を見て来てちょうだい」


「うん。でもさ、今日は初めてだし、あとで一緒に行こうよ」


 あたしはお母さんの提案を断った。

 初めての場所をひとりで散歩するのは何だか怖い。


「大丈夫よ。都会とちがって、田舎にはそんなにユーレイとかいないからさ」

「えっ、そうなの?」

「そうよ。そもそも人が少ないもの」


 お母さんは段ボール箱を開けながら、にっこりと笑う。


「それにね、大きくなるとだんだん見えなくなるものよ。お母さんも小さい頃は、七海みたいな霊感があったけど、いつのまにか見えなくなったもの。あんたも少しずつ見えなくなるわよ」


「本当にそうなら、すごく嬉しいな」

「そうよ。だから気楽に散歩に行ってらっしゃい」

「うん、わかった。それじゃ、海まで行ってみようかな」

「あっ七海、お店を見つけたら、帰りに甘いものでも買ってきて。気をつけてね!」

「はぁい」


 お母さんの笑顔に送り出されて、あたしは散歩に出かけた。

 べつに、お母さんの言うことを全面的に信じた訳じゃないけど、家のまわりの林や、窓から見える海がとてもきれいだったから、変なものさえ見えなかったら、お散歩するのも気持ちいいだろうなって思ってたんだ。


 実際、外に出て見ると、青空と山の緑ときらきら光る海が本当にきれいで、あたしは久しぶりに、心が解放されたような気持ちになっていた。


 あたしには生まれつき、霊感のようなものがある。小さい頃は、なにを見てもあんまり怖いとは思わなくて、見たものを素直にまわりのみんなに話してた。

 でも大きくなるにつれて、まわりの子たちから怖がられたり、ウソつきだって言われるようになって、だんだんと口に出しちゃいけないって思うようになった。


 自分の見ているものが、みんなには見えないのだと思うと怖かった。

 友達と話している時に見えたりすると、心臓が止まりそうになる。

 一生懸命見えないフリをしても怖くて仕方がなくて、その結果「七海って、あたしの話聞いてないよね」と言われることになる。

 自然とあたしのまわりからは、人がいなくなっていった。


 小学校の六年間であたしの秘密を話せたのは、あきちゃんとじゅんちゃんの二人だけだった。彼女たちは、あたしが挙動不審でもちゃんと話をしてくれて、いつもそばにいてくれた。ずっとずっと一緒にいたかった、大切な友達。

 二人のことを思い出したら、じわりと目頭が熱くなってきた。


 あふれてきた涙を袖でぬぐったとき、ちょうど林をぬけて目の前に海が広がった。

 大きな岩に囲まれた白い砂浜は、今まで見たどの海岸よりもきれいで、声が出せないほどあたしは感動していた。


 ザアッと音を立てて、波がくだける。

 心地よい海風が髪をなでて行き、あたしはすごくきれいな海の色に目をうばわれていた。


(あたし、この町のこと、好きになれそう)


 そう思った時、いきなり背すじに悪寒が走った。

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