第二部

1 新たな戦いの始まり

 あれから三ヶ月がたった。


 もう夏だ。


 俺はいま、自分の領地の政庁にいる。


 政庁といっても、人口二万ほどの小さな領地の政庁だから、わりと手狭でけっこうぼろい。


 小さな領地、といったけど、俺みたいな成り上がりがいきなり二万人を束ねる封建領主となるのはけっこう破格だ。


 小さいっていうのは、ヴェルのイアリー家みたいな人口五十万人の大領主と比べて、ってことだ。


 いうまでもないけど、俺は政治に関してまったくの素人だ。


 いちおうリンダの残した組織はあったけど、よそものの俺が領主として突然赴任したところでそうそううまく機能はしない。


 いちおうヴェルから人材やらなにやら融通してもらったけど、いやあ、最初はほんとに苦労したぜ。


 キッサが思ったよりも領地経営に詳しくて、それが一番助かった。


 キッサとシュシュの首にはまだ首輪がしてある。


 それを唯一外せるという婆さま――伝説の元宮廷法術士はまだ見つかっていない。


 生まれ故郷に隠遁してるって話だったけど、そこはすでに廃村になっていて、行方が全然わからないのだ。



「あーどうすっかなー」


「おつかれですか、ご主人様」



 俺の奴隷、サクラが紅茶を淹れてもってきた。


 結局、サクラはまだ自分で自分を買う勇気がないらしく、まだ俺の奴隷のままだ。


 でも、すでに奴隷というよりも有能な秘書みたいになっちゃっているので、奴隷かそうでないかは名前だけ、って感じだろうか。



「エージ様、今年の収穫見込みですが……」



 キッサが書類の束をもってきて俺の机にドサッと置く。


 サクラが秘書だとしたら、キッサは俺の宰相みたいなものだ。


 税の徴収から近隣諸国(諸国、といってもターセル帝国下の封建領主たちだ)との調整、害獣駆除、治安維持、その他諸々(もろ)……俺なんか全然駄目で、ほとんどキッサがやっているようなもんなのだ。



「……エージ様、だらけてますね……」


「もうキッサ一人でいいんじゃないかな」


「なに情けないこといってるんですか、ほら今年は幸いにも豊作になりそうですよ。天候も安定していましたし、あ、そうだ、ミグンダさんちに赤ん坊が産まれたそうです」


「お、産まれたか。お祝いの品を贈らなきゃな」



 正直、リンダはわりと苛烈な政治を行っていたらしい。


 領民や部下たちにかなり恨まれていて、そのおかげ、といったらおかしいが俺の領主着任も抵抗なく受け入れられた。


 さて問題は軍事で、帝国の皇帝から封建領主としての騎士の地位を保証されている関係上、皇帝の要請があればいつでも軍事力を提供しなければならない。


 この地域の人口は二万人。


 兵力は四〇〇人だ。


 ざっくり人口の二%といったところか。


 女性しかいないこの世界の特殊性を考えると、これでも多いくらいじゃないかと思う。


 そしてこの地に着任してまだ三ヶ月だというのに、すでにきな臭い話が聞こえてきていた。



「そういえば、エージ様、今日は騎士様がくる日ですね」



 キッサが未だにヴェルを騎士様と呼ぶ。いまや俺も騎士様なんだけどな。



「格からいえば、俺がヴェルを訪問すべきなんだろうけどな」


「エージ様がきちんと領主をやれてるか心配してるそうですよ」



 ま、本当のところをいうとかなり助かる。


 現実的な話として、つい最近までオタクの営業マンだった男がいきなり領主なんてやれるはずがない。


 すくなくとも俺が十分慣れるまで、ヴェルやヴェルの部下たちの監督を受けたほうが安心だ。


 なにより、それが一番領民のためだとも思うからな。


 知りもしないのにわかったふりしてアホな政策かますと、領民が一番困る。


 雀が作物荒らすから雀を全部殺せ、っていう命令を出したら天敵のいなくなったイナゴが大発生して飢饉になったりな。ちなみにこの話は現実の地球上であった史実だ。


 貴族会議ではヴェルの意見が常に俺より優先、という付帯がついてる以上、俺の領地はヴェルの領地の支部的な位置づけであることも否定出来ない事実ではあるしな。





「ちょっと見てきたけど、そこそこやれてるみたいじゃない、エージ」



 その日の午後、ヴェルがわが領地にやってきた。


 いつもどおり、お供の兵は数人だ。


 まあこの大陸でヴェルに勝とうと思ったら千人規模の兵がいるし、安全性に問題はないんだろうが。



「そうそう、本題だけど。あんた、婆さまを探しているっていってたわよね」


「ああ。キッサたちの拘束術式を解いてやりたいからな」


「情報が入ったわ」


「ほんとか!」



 それを聞いてキッサもぴくっと反応した。


 キッサとシュシュの姉妹に賭けられている首輪の拘束術式。


 俺が死んだらキッサとシュシュも死ぬ。


 俺から三十メートル離れても死ぬ。


 この三十メートルってのが曲者で、実際命がかかっているわけだから実際のところは怖くて十メートル以上離れられない。


 一度シュシュが熱を出して寝込んだ時には、俺は政庁から一歩もでられなくなって予定していた領地の視察もできなかった。


 キッサも、



「ずっと一緒にいられてすごく嬉しいですよ? ……でも、ほかならぬエージ様がいつでも声や視線の届くところにいらっしゃるってのが、というかいつでも離れすぎないようにどこにいるかをお互いいつでもどこでも完璧に知っていなきゃいけないってのが……ちょっと負担になるときもあります」



 俺もそうだ。


 俺だってキッサのことは気に入ってるけどさ。


 男なら誰でも誰にも邪魔されず一人で考え事したいときがある。


 でも、そんなときにでも頭の片隅にはかならず今キッサとシュシュがどこにいるかを把握しておかなきゃいけない。


 精神的な負担にならない、とはいえない状況なのだ。


 それも死ぬまで続くってんだからな。



「で、ヴェル、ババ様はどこにいるって?」


「それが……」



 ヴェルは顔を曇らす。



「ちょっとかなりやっかいなことになってるのよね」


「やっかい?」


「ええ。知っての通り、ババ様は伝説的な力を持つ法術士よ。ハイラ族がそのババ様の力を狙って、…………」



 ヴェルはキッサの顔をちらりと見る。



「婆さまの玄孫を誘拐したの。それで無理やり獣の民の国――正確には、ハイラ族の領土の首都に呼びだされて、監禁されているそうよ」



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