70 交戦距離



 俺たちを乗せた馬車は、街道を西へと疾走する。


 夜明けまでにはまだ数時間ある。


 いつの間にか月が出ていて、そのほのかな光だけが頼りだ。


 馬車を先導するようにヴェルが騎馬で前を走っている。


 後ろには山賊――プネルたちが、やはり騎馬でついてきている。


 俺が座っている御者席は吹きさらしで、夜の風が直接身体を冷やす。


 思ったよりも寒いな、ここ。



「悪いな」



 俺は、隣で馬にムチをいれる夜伽三十五番にいった。



「あ、はい……はい? なにがですが?」



 不思議そうな顔で俺をみる三十五番。


 彼女のブラウンの髪の毛が、風の中で踊っている。


 大きくて色気のある瞳が俺を見つめる。



「いや、ずっといいように使っているからさ」



 馬車は全速力で走っているので、風と馬の蹄の音がすごい。


 彼女に聞こえるように、俺は大きめの声で話す。


 まだきょとんとした表情をしている三十五番の耳元でさらに叫んだ。



「マナを吸い取ったり、ずっとこんな寒い御者席で馬車を運転させたりさ」


「はあ」


「迷惑をかけているな、すまん」


「迷惑? 私は奴隷ですよ?」



 といわれても、俺は二十一世紀の日本で暮らしていたわけで。


 頭では理解していても、人間が人間をまさに道具として所有し使役する奴隷というものに、俺はまだ慣れていないのかもしれなかった。


 キッサとシュシュに関してはもともとが戦争で捕らえられた捕虜なので、きちんと自我もあるしわりとわがままもいうけど、三十五番は気持ち悪いほど俺に従順だ。


 この少女は俺の所有物で、殺そうが身体を弄ぼうがありとあらゆる面で俺の思うがままになる。


 俺が死ねといったら、この子はほんとに死んでしまうだろう、という確信まである。 そのことに下卑た満足を感じるんだけど、それはそれとして、罪悪感を持つのも当たり前ってもんだろ?


 なにしろ俺は、基本的人権が保証された民主主義国家で生まれ育ったんだからな。


 今、ほんの数キロ先から俺たちの命を狙っている騎士たちが追いかけてきている。


 接敵は近いだろう。


 いつ死ぬかわからないからこそ、今のうちにこの罪悪感をなんとかしたかった。



「ここを乗り切ったら、労ってやるからな、なんかほしいものとかあるか?」


「いえ、別に。――私は、産まれた時から奴隷なのです。一番最初の記憶は奴隷市場で裸になってセリにかけられてるところで――あれは五歳くらいだったんだと思いますが、親の顔も知りませんし。奴隷としての教育を受けてきましたので、ほしいものなんてなにも――」


「綺麗な服とか、なんかないのか」


「奴隷はただいわれた通りのことをやるのが悦びと感じるように教育されてます」



 奴隷として生まれ奴隷として育ってきたら、そうなるもんなんだろうか。



「じゃ、ここを生き残ったら、給料やるよ。その金でお前にお前を売ってやる」



 三十五番は大きく目を見開いた。



「それって……」


「自分で自分を買いな。それでお前は自由だ」



 キッサとシュシュは、女帝陛下――ミーシアに売買を禁止されている。


 本来なら処刑されているところを、俺の永遠の奴隷とすることで生命を助けたのだ。


 だが、夜伽三十五番に限っていえば、いつの間にかなし崩し的に俺の奴隷ってことになったんだし、そんな縛りはない。


 キッサとシュシュに関しても、あの首輪さえなんとかなれば、解放してやってもいいんだけど。


 ミーシアがいいっていえばいいんだし、今となっては説得できる気がする。


 三十五番は、バシッと大きくムチをふるった。



「私は奴隷としての生き方しか知りません……」


「じゃ、そのあともしばらく俺のとこにいればいい。奴隷じゃなくて、家臣としてな。俸禄も出す」


「あ、はい……」


「ただ、今は俺の奴隷として働いてくれ。必ずここを生き残るぞ」


「あ、はい!」



 三十五番の返事が力強い。


 こころなしか、表情にも生き生きとしたものが見て取れる。


 うんうん、やっぱり人間ってやつは、希望ってもんがなきゃ生きていけないからな。


 こいつなんか、もうほとんど死にたがってたようなことをいってたし。


 粗末な街道を走って行くと、草原の中に、大きな岩がごろごろと転がっている場所に近づいてきた。


 五つか六つほどの、象くらい大きな岩。


 前を走るヴェルが片手をあげ、スピードを落とす。


 ヴェルはその岩の周りをぐるりと回ると、



「ここにするわ」といった。



 事前の打ち合わせで、どこかいい場所があったらそこで闘うことにしていたのだ。


 なにしろこちらは馬車で、道沿いを走るしかない。


 向こうは騎馬で、俺たちよりもスピードが早く、この草原のどこからでも俺たちを襲うことができる。


 馬車と騎馬での遭遇戦なぞ、最初から戦いになりはしない。


 幸い、向こうは連携をとって同時攻撃をしかけてくる気配はないので、有利な地形で敵を迎え撃とうというわけだ。


 岩陰の最も奥まった場所にミーシアと三十五番、それにハイラ族の副首領を配し、南西から向かってくる騎兵に対して俺とキッサ(とシュシュ)が右翼、ヴェルとプネルが左翼の岩陰に。


 その周りをプネルの部下たちが固める。


 ついでにいうと、人質にしていたプネルと副首領の妹は、拘束を軽くされてヴェルの近くに。



「いいわね、プネル、この戦闘で活躍できたらあんたたちの名前は正史に永久に残るわよ。失ったアルゼリオン号と領土を取り戻せるだけじゃないわ、皇帝陛下の腹心として国家の中枢に入り込むチャンスよ」


「――わかってます、あたしだって一生を山賊で終えるつもりはなかった、ここまで来たらこっちに賭けますよ」



 プネルが答える。


 正直、プネルたちのことはそこまで信用していないが、プネルにしてみれば、今俺たちに敵対しても、その先ヘンナマリに褒美にありつけるかどうかは未知数なわけだし、この戦闘で勝つ方に与したいところだろう。


 ヴェルの力は帝国内に知れ渡っている上に、俺の力もその身体で味わったのだ。


 人質をとられていることもあって、プネルはどうやら俺たちが勝つ方にベットすることにしたようだ。



「キッサ、どうだ?」



 俺の問いに、キッサは緊張した面持ちで答える。



「やはり、こちらに向かってくるのは南西の槍と竜の紋章の騎士団だけです」



 北東のジュリー・ア・ケイビー・ギャルビン、西北西のカロル・ア・ミルテ・ヘイジ、それに南の星と花の紋章の騎士団はまだ様子見をしているようだ。


 とりあえずは、こちらにまっすぐ向かってくる南西の槍と竜の紋章の騎士団二〇〇のみと戦うだけでいい。


 敵が連携してこなくてよかったぜ。



「騎士様の話では――」



 キッサがいう。



「この騎士の名前はリンダ・ア・グニー・アドルフソン。その戦力はほとんどは弓騎兵らしいです。遠距離からの騎射を得意としているそうで、突撃はしてこないでしょう」


「この世界の弓ってどのくらいの距離から当たるんだ?」



 俺はこの世界の弓について殆ど知らない。


 ま、地球の弓についても知らないけどな。


 キッサはいつもどおり丁寧に答えてくれる。



「法力を使わなければ弓の射程はおおよそ百五十マルト、実際は射程百マルト以内、できれば五十マルトまで近づかないと当たらないでしょう。法力を乗せれば二百マルトの距離で人体を狙って撃てると思います」



 二百メートルか。


 そのくらいが交戦距離になるかもしれない。


 俺もヴェルも、二百メートルなら法術の射程範囲内だ。


 草原を騎射相手なら、岩を盾にして闘う俺たちの方が有利かもしれない。



「あとはリンダって奴の法術がどんななのか――」


「そこまでは騎士様も覚えてないそうです。なにせ動員二〇〇騎の騎士ですからね、公称一万騎を動員できる大騎士様にとってはかなり格下の騎士ですし、帝国二〇〇諸侯全員の能力までは把握していなくて当然です」



 なるほどな。


 まあしかし、ヴェルが覚えていない程度の能力、ってことだろう。


 まさかリューシアほどの力は持っていないに違いない、と思いたい。


 月のほのかな光の下、俺たちはじっと奴らが近づいてくるのを待つ。


 できれば敵の射程範囲外からアウトレンジで叩きたい。



「距離五〇〇マルトまできました!」



 キッサが叫ぶ。


 俺もヴェルも、それにプネルたちも身構えて接敵の時を待つ。



「距離三〇〇まできたら先制攻撃するわよ!」



 ヴェルが叫ぶ。


 月が出ているとはいえ、夜なので視認距離がかなり短い。


 キッサの暗視と遠視の能力だよりでぶっぱなすしかない。


 そのキッサが、草原の中の屹立する一本の枯れた木を指さし、



「この方向、今距離四〇〇……!」



 さあ、戦いの始まりだ。


 と、思った時。


 その方向から、ギィンという甲高い音とともに、赤く光るレーザー光線のようなものが俺たちを襲ってきた。


 そのレーザー光線は、まるでやわらかな豆腐を崩すかのように、俺たちを守ってくれるはずの巨大な岩を簡単に破壊した。

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