42 決着
リューシアのサソリの尾が、空気を切り裂きながら一直線に俺に向かってくる。
さながら俺を照準して飛んでくるミサイルのようだ。
俺も手の中の硬貨を握りしめ、歯を食いしばる。
俺の手から発せられているのは、もはや光のムチでも扇でもなく、剣だった。
ライムグリーンに光り輝く巨大な剣を、リューシアに向けて振り下ろす。
「おるぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
光の剣先とサソリの尾の毒針が激突する。
鼓膜が破れるかと思うほどの金属音が耳をつんざく。
リューシアと目が合う。
グレーの瞳、薄紅の髪の毛。
感情の読み取れない表情。
お人形さんのように整った顔。
だが見た目とは裏腹に、こいつの心は欲望の塊でできているのだ。
快楽への欲求に身を任せている、最低野郎。
「なかなかすごい力だね……。ボクは男ってものと戦ったのはこれが初めてだけど、男というのはみんなこんなに強いものなんだね。それとも君が特別なのかな?」
戦いの最中だというのに、リューシアは淡々と話す。
俺はそれに答えて、
「いいや、男ってのはな、どっちかというと女よりも弱い生き物なんだぜ。俺なんかその男の中でも弱い部類だ」
「そうかい? ボクの攻撃を真正面から受け止められるなんて、そんな人、この帝国にはヴェルのほかにいなかったよ」
「……男はなあ、女の子を守るときには特別な力を発揮するもんなんだよ」
それは、まさに今、気づいたことだ。
まだヴェルやキッサやミーシアやシュシュと知り合っていない、元の世界の俺だったなら。
正直、こんな戦いに巻き込まれていたら一目散に逃げ出すか小便でも漏らしてガタガタ震えることしかできなかっただろう。
実際、この世界にきたばかりの俺は、フルヤコイラを前にしてその通りの状態だった。
でも、今は違う。
俺は、ヴェルを、ミーシアを、キッサを、シュシュを守らなきゃいけない。
その気持ちが俺から恐怖とか不安を吹き飛ばす。
かわりに心の内側からふつふつと得体のしれないパワーが湧き出てきている。
ああ。なるほどね。
マンガとかアニメとかによく登場する、クサい言葉。
そして俺が今までの人生で一度も実感したことのない心の力。
これが、勇気ってやつか。
生きているのかも怪しく思えるほど白い肌、つくりものみたいに無感情な顔をしたリューシアと、その臀部から生えて俺を突き刺そうとしているサソリの尾。
帝国の一軍をまかされている、サイコパスな将軍が俺を狙っている。
はは。
ぜんぜん怖くねえ。
硬貨を握りしめた俺の右手から伸びる光の剣、それがまるで俺の身体の一部のように感じる。
全身の神経が冴えわたっている。
集中力が高まったせいなのか、リューシアのサソリの尾の、どんな動きにも対応できる気がする。
闘いへの恐怖、死への恐怖なんて微塵もない。
守るべきもの、守りたい人がいる、ただそれだけで人間は恐れをなくせるのだ。
「タナカ・エージ。異世界の戦士……。君をここで倒せば、もうこの国にボクを越える力を持つ人間はいなくなるね。ヴェルは殺しちゃったし……」
リューシアの言葉に一瞬ドキッとした。
離れた場所で横たわるヴェルへと視線をやる。
このサイコパスを追ってここまできたので、ヴェルとは少し距離があるが、血塗れになったヴェルの身体はまだ呼吸で上下していた。
少しほっとする。
まだ、死んでない。
くそ、このクズめ、ビビらせるようなこと言いやがって。
と、ヴェルが横たわる場所のさらに遠くから、二つの人影が走ってくるのが見えた。
ヘルッタと、……ミーシアだ。
馬鹿、隠れていろと言ったのに。
ヴェルがリューシアに腹部を差し貫かれたのを、どこかから見ていたのだろう。
やばい、ミーシアの命こそがリューシアの勝利条件であり、俺たちの敗北条件なのだ。
反乱者であるリューシアやヘンナマリにとって、帝国の現皇帝であるミーシアとミーシアが身につけている国家の秘宝、マゼグロンクリスタルは戦略的な大目標であり、最終目標でもある。
逆に言えば、最悪、ヴェルや俺がここで命を失ったとしても、ミーシアさえ守れたならばヴェルの
ともかく、リューシアの意識をあのロリ女帝に向けさせてはならない。
ヴェルに駆け寄るミーシアから俺はすぐに視線を切り、リューシアに叫ぶ。
「おい、ガキ! さっきから俺の身体を標本にするだとかヴェルの首を寝室に飾るだとか好き勝手なこと言ってやがるがなあ……おまえが俺に負けたらどうなるかは考えてねーのか?」
「はあ?」
ミーシアの方へと視線を向けかけたリューシアが、薄紅の髪を揺らして首を傾げた。
「なに、そんなことあるわけないけど、もしそうなったらボクを殺して耳をとるんだろう?」
今はこのサイコパス少女の注意を俺に引きつけ続けなければならない。
ヴェルに駆け寄るあの少女がミーシアだということに気づかれたら状況はさらに悪化するだろう。
ミーシアが奴隷に変装していることもあって、リューシアは泣きながらヴェルにすがりつくあの奴隷少女が実は皇帝陛下その人だということに、幸いにもまだ気づいていないようだ。
とりあえず、この殺人狂の気を引けるようなエキセントリックなことでも言っておこう。
「耳は切り取る。だが、殺しはしねえよ」
「じゃあ、どうするんだい」
「耳だけじゃなく、両腕と両足も切り取る。んでもって俺の夜のご奉仕専用奴隷にでもなってもらおうかな」
そういうのがお好みなんだろう、こいつは。
「ははっ」
リューシアが笑い声をあげる。
だけどそのつくりもののような表情はそのままで、とてもじゃないが笑っているようには見えなかった。
「ひゃはっ。ひゃーはっはっはっは」
気が触れたかような甲高い笑い声、なのに顔は全然笑っているようには見えない。
「ひーっひっひひひっひっひひ……。おもしろいね。ボクの四肢を切り落として、ひゃはは、このボクを、夜伽奴隷にするって? 考えたこともなかった。おもしろそうではあるけど、でもね、ボクは、残念だけど」
男のアレに似た、巨大なサソリの尾が俺をまっすぐ狙う。
「ボクはね、痛がらせたりいたぶるのは大好きだけど、その逆は大嫌いなんだ、想像すらしたくないね」
そして。
リューシアの詠唱とともに、サソリの尾全体に、鋭いトゲが生えてくる。
トゲに覆われた男根そっくりの形をしたサソリの尾は、いまやトゲに覆われてその禍々しさの度をましていた。
「はは、タナカ・エージ、もう標本にするのはやめだ、想像すらしたくないことをボクに想像させちゃった罰だよ、これで肛門から口まで差し貫いてあげる。……日の出から日没までじわじわとゆっくり時間をかけてね」
いやいや、差し貫くもなにもその気色悪いトゲトゲしっぽは俺の身体よりもでかいじゃねーか、俺の身体が破裂して散乱しちまうぜ。
童貞より先にケツの処女を失って同時に死ぬなんて、
「まっぴらゴメンだな!」
趣味の悪いトゲトゲしっぽの動きにあわせて、俺も光の剣をふるう。
目にもとまらない、という陳腐な表現そのままに、しっぽが俺に向かって加速しながら一直線に飛んできた。
それを真正面から受け止める。
ギャリギャリッ! という大きな金属音と摩擦音。
それが一面の小麦畑に響き渡る。
その音に全身の皮膚がひっかきまわされる錯覚にとらわれた。
空気が、ビリビリと震える。
「うおおおおおお!」
剣を一度引き、振りかぶってもう一度サソリの尾に向かって打ち下ろそうとしたその時。
ギュパッ、という実に不快な音と共に、トゲだらけの尾が口を開くかのようにいくつにも枝分かれした。
一本だったサソリの尾が、ざっと十ほどの、先が鋭い爪になっている触手に変わったのだ。
それが不規則な動きをしながら四方から俺を襲う。
「くっそ……!」
一本の光の剣だけでは、十もの同時攻撃を捌き切ることは難しい。
俺を突き刺そうと蠢く十本の触手をなんとか振り払い続けるが、だんだんと後ろへと追い詰められていく。
「はは、タナカ・エージ、大事なことを忘れていたよ。ボクはね、もちろんだけど人間の男の性器って見たことなかった。君の性器だけは丁寧に切りとって、ボクの宝物として寝室に飾ってあげるよ」
「このクソ変態が……っ」
かわしきれず、一本の触手が俺の太ももをかすめる。
血がほとばしり、激痛が走る。
この状態で痛みがどうこう言っていられないっていうのに。
俺は、その場にガクンと膝をついてしまった。
「ひゃはははは! 終わりだね、タナカ・エージ!」
そしてどす黒い色をした気持ち悪い触手が俺の胸を刺し貫こうとしたその瞬間――
それは、小さかった。
卓球のピンポン球くらいの、小ささ。
さっき見た巨大な火球とは比べ物にならない。
スピードだって格段に遅い。
でも火炎に包まれたそれは、俺たちが闘っている場所を大きく迂回するように飛んできて。
尻尾を生やしたリューシアの死角、後方の足元を這うように飛んでいたそれは、リューシアの近くで対艦ミサイルのようにポップアップして浮き上がり、そして。
「ははは、タナカ・エージ、君の性器はどのくらいの大きさ……」
そのセリフを、リューシアは最後まで言うことが出来なかった。
小さな燃え盛るピンポン球が、リューシアの頭部に、ガツン、と直撃したのだ。
「がっ……? ああっ……?」
俺との闘いに集中しすぎていたリューシアは、それをまともにくらった。
彼女の顔半分が炎に包まれる。
「……ヴェル……」
俺はそう呟いてヴェルが横たわる方向を見た。
ミーシアとヘルッタがヴェルの顔を覗き込んでいる。
そしてそのヴェルは横たわった状態で腕を持ち上げ、剣を俺たちへと向けている。
だけどその剣を持った腕は、すぐに力なく地面にくたりと降ろされた。
意識すらあるのかないのか、それでもヴェルはその最期まで戦おうとし、そしてその通りにしたのだ。
「ヴェルゥゥゥゥゥ!! こ、この……!」
一本の触手が大きく伸び、ヴェルへと向かおうとしたその時、今度は登った太陽を背にして、一羽の鳥――始祖鳥の化け物、ゾルンバード――が、一直線にリューシアに向かって体当たりをかましてくる。
反射的にそれをよけようとするリューシア、その隙を俺は見逃さなかった。
硬貨を握った右手に意識を集中する。
俺を守ろうとする女の子たちを、守りたい。
感情を爆発させる。
「おるぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ライムグリーンに輝く光の剣は、その長さを十数メートルにまで増す。
そしてその光は、火球で顔を焼かれ、それでもゾルンバードの攻撃に防御体勢をとろうとしている少女の身体を、蠢く触手ごと袈裟斬りに斬ったのだった。
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