4 奴隷の処刑
いつまでたっても六本足の魔物が襲い掛かってくる気配がないのだ。
ん? どうしたんだ?
そっと目を開くと、魔物は俺をにらみつつ、牙をむき出しにしている。
一歩、俺にむかって近づく。
「く、来るな!」
思わず叫ぶと、魔物はピタリと動きを止める。
「どうした、早くこいつを殺せ!」
裸の少女が魔物に命じるが、それでも魔物は動かない。
「な、なに? ほら、早く殺しなさい……!」
全裸の奴隷少女はうろたえたような声を出す。
なんだよ、いったいなにが起こってるんだ?
「ちっ、仕方がない……」
白髪の全裸少女が魔物に近づき、その耳許でなにかブツブツと囁き始めた。
「ダリュシイの魔石の力によって命ず、我が腕となり足となり牙となれ、我の命ずるままに動き我の意志にすべてを委ねよ……」
すると、魔物の瞳から一瞬光が消えた。
動きが少し不自然になっている。
どうやら裸の少女は直接魔物を操縦することにしたようだ。
そういう魔法か何かなのだろう。
この世界では法術とかいっていたような気がする。
少女の紅い瞳が俺を捉える。
「あなたに恨みはありませんが。私の妹のためです。申し訳ありませんが、ここで死んでください。……すぐに私もそちらに行きますから、おあいこでしょう?」
いやいや、意味がわからん!
そりゃ自分の処刑は確定していて、俺を倒せば妹だけは助かるだなんて絶望的な状況、同情に値するとは思うけどさ。
だからといってこんな魔物に襲われて死ぬのは、痛そうだし苦しそうだし正直そういうのはやだぞ。
一度は死の覚悟を決めたはずなのに、自分が殺される光景を改めて想像すると、本能がそれを拒絶する。
魔物が俺に近づいてくる。
頭に浮かぶのは、こいつに生きたまま内蔵を食いちぎられて絶叫する自分の姿。
やべえ。
どうせ死ぬなら楽な方がいいんですけど!
「ま、待て……話せばわかる……」
あ、まずい。
このセリフ、我ながら死亡フラグっぽいぞ……。
「話してわかったとしても……こうするしかありません。では……行きますよ!」
白髪全裸少女が叫び、そして魔物が俺に向かって跳躍した。
「や、やめろお!!」
俺は手のひらを魔物に突き出す。
それで魔物が止まるわけもない。
六本足の巨大な魔物は、今度こそ迷いなく俺に向かって突進してきた。
俺の脳みその中で恐怖の感情が爆ぜる。
神様お願いします、できれば痛くありませんように!
目の前にはもう、魔物の鋭い牙があった。
リアルな質感のエナメル質。
こええええ!!
痛そう!!!!
「やっぱりやだぁぁぁ!!」
悲鳴にも似た声が俺の喉から発せられた。
次の瞬間。
「ガフゥゥゥン……」
魔物の六本の足が、その場でガクンと崩れた。
ん? どうしたんだ?
「ガフ、ガフゥン……」
俺のすぐ目の前で、魔物の筋肉から力が失われていく。
そしてまるで最初からそういう形のぬいぐるみだったかのように、魔物は力なくクタリと床に横たわった。
「おお……!」
「すごい……」
「さすが、異世界の戦士……」
「手を触れもせずに……」
「今のは法術? でもあんなにあっけなく……」
王の間で居並ぶ人々がざわざわと感嘆の声を出す。
え?
なにこれ?
俺別に何もしてないんだけど?
こいつ、死んじゃってるの?
魔物は目の前で舌をだらんと出して、ピクリとも動かない。
試しに革靴の先っぽで頭をこつんと蹴ってみた。
やっぱり死んでいるみたいだった。
裸の少女が、目を大きく見開き、
「まさか……」
と呟いた。
が、すぐに少女は気を取り直したのか、
「ならば、私がこの手で!」
白い髪を振り乱しつつ、俺に向かって一直線、突き進んできた。
うわわ、その腕を離したら胸が見えちゃうじゃん!
けっこうでかい!
ばいんばいん揺れてる!
そのさきっぽも見えるぅっ!
ピンク! ピンク!
桜色だあ!
とかいってる場合じゃねえ!
「おわっ! ちょっと、待て、待って!」
俺は手にしていた革製のカバンを闇雲にふりまわす。
そして、本当に偶然に。
俺に殴りかかろうとした少女の側頭部へ、カバンの角がカウンター気味にヒットした。
その瞬間に少女の膝がカクン、と折れる。
彼女は脳しんとうをおこして意識を失ったらしく、拳を振り上げたまま傷だらけの裸体を俺に預けてきた。
「おっとっと」
それを反射的に抱きとめる。
「すごい、なんだあの武器は……」
「あっという間に仕留めたわ……」
「カバンのように見えたけど、あれ武器だったのね……」
いやいやいや、カバンです。
会社支給の安物です。
中に保険営業のためのパンフレットが詰まっていて、そこそこ重いけど。
「見事だったわ。試すようなことをして申し訳なかった。謝るわ」
パンパンパン、と拍手をしながら紅い鎧の金髪騎士、ヴェルが言った。
「さすが、異世界の戦士ね。フルヤコイラはそんなに強くもない魔獣だけど、まさか手も触れず法術もなしであっさりと殺してしまうなんて……。先ほどは失礼したわね」
「あ、ああ……」
俺は失神した裸の少女を抱きかかえたまま、曖昧にうなずく。
正直、なにがどうなってるのやらさっぱりまったくわからない。
ヘンナマリとかいうハイレグ女騎士が「つまんないの」と言ってぷいと横を向くのが見えた。
ってことは俺が殺されるのを期待してたってことかよ、なんだよこいつ。
くそっ。
いや待て、そんなことより。
俺、今、裸のおにゃのこと抱き合ってるぞ!?
うおおおっ!
俺の人生でこんないいことがあるなんて!
ところで、これ、どうしたらいいんだろう。
「あのさ、この、こいつ、どうすれば……」
俺の問いにヴェルがうっかりしてた、という表情で、
「ああ、そうね。どうせ戦争捕虜奴隷だし。陛下、今処刑してもかまわないですか?」
聞かれて少女帝は、
「ここでは許可しません。別室にて首を斬りなさい。耳朶は、そこのタナカ・エージ……といいましたか、その者に与えなさい」
「はい、かしこまりました」
ヴェルは少女帝へ礼を捧げると、まず魔物のしっぽをむんずとつかみ、軽々と引きずりながら俺に言った。
「とりあえず、ええと、タナカ? 変な名前だけど」
「タナカは名字だ、ファミリーネームだ、エージが名前」
「どっちにしても変じゃない。じゃ、エージ、そいつをつれてこっちに来なさい。刑場があるから首と耳を切り落とすのよ」
「はい?」
もう、なにがなにやら。
意味がわからなすぎる。
「耳……耳? 切り落とす? 首?」
「うん」
なにを当然のことを、といった表情でヴェルがあっさりうなずく。
「首切ったら死んじゃうんじゃないか?」
「いやだから殺すのよ。……ああ、そう言えば書物に書いてあったわね。異世界の人間って、敵を殺すのを妙に厭うことがあるって」
「いや当たり前だろ!?」
「でもね、いっとくけど、もう陛下の裁可は下ったんだから、逆らえばあんたが死刑まであるわよ。きちんと自分で殺しなさいよ、それが耳朶を得る条件だしね」
「………………」
俺、初めて裸を見て、初めて抱きしめた女の子を、初めての殺人の対象にしなければならないみたいです。
いやいやいや!
初めての殺人も何もないからっ!
女の子の裸を見たり抱きしめたりは一万回でもやりたいけど、人殺しは一度だってやりたくねーよ!
「いいから、ほら、そいつちゃんと持ちなさいよ」
言われて、ついつい腕の中の少女をお姫様だっこで抱きかかえる。
あれ、女の子って結構重く感じるもんだなあ。
まあ、四十キロとか五十キロのバーベルと同じ重さと考えればそりゃそうか。
この子は意識を失っているので全身の筋肉がだらんと弛緩している。
それがさらに重く感じさせるのかもしれない。
彼女を抱く腕が体温で温かい。
この子、まだ死んではいないよな。
息してるし。
改めて裸の少女を見下ろしてみる。
髪も真っ白、肌も真っ白。
整った顔は、かなりの美人。
そこかしこにある傷口が、すげえ痛そう。
ところどころ化膿しちゃってるし。
刃物で切られたのかな?
手当てしてやらないと。
あ、殺すんだっけか、じゃあ手当てはいらないのかな。
それに、プルンプルンに弾力のありそうな胸、その頂上を示す部分は、うん、きれいな桜色だ。
あと、この子、体毛まで白いんだな、結構、毛が薄いなあ。
なんかこう、ジーンと感動しちゃうなあ。
そうかあ。
裸の女の子って生で見ると、こんな感じなのかあ。
女の子の身体って、柔らかいなあ。
そっかあ。
って、何考えちゃってるの俺。
「じゃ、こっちが刑場だから。終わったら蘇生術成功のお祝いの晩餐会だからね」
「あ、ああ、うん」
少女帝に敬礼をして王の間を出て行こうとするヴェルについて行こうとして。
いやいやいやいや!
いやいやいやいやいやいやいやいやいや!!
俺、こんな女の子を殺すの?
殺す?
首を斬って?
なんかそんなグロ動画を2chで踏まされたことあったけど。
あれを、俺にやれっていうの?
馬鹿じゃねーの?
ありえんだろって、待て待て待て待て、やだぞ、やりたくないぞそんなの。
えーと。
考えろ。
拒否したら俺が死刑……?
考えろ。
男として、こんな華奢な若い女の子を殺すだなんて。
どんな理由があろうとも、絶対やりたくない。
ちなみにあのハゲ課長だったら喜んでやりたい。
いややっぱりそれでも微妙だな。
おっと、それはどうでもいい。
ここは帝国、ということは皇帝の治める君主国家。
法律はあるだろうけど。
今までの会話を聞く限り、皇帝の人治国家であるっぽい。
つまり、現在の日本のように君主の行動が憲法とかによって制限されているのが立憲君主制の法治国家だとして、専制君主制の人治国家においては皇帝の言葉がすべてにおいて優先される。
法律に人殺しは駄目と書いてあっても、皇帝がOKと言えばそっちが正義になる国だ。
で、この国の君主はあそこにいる幼い女帝様。
この王の間で少女帝に話しかけたのはヴェルくらいなもので、他の人は遠慮しているのか、女帝陛下に顔を直接向ける者すらいない。
基本的に若い女性だらけである。
みんな直立不動で、声を上げたとしてもヒソヒソ声。
金髪の女騎士ヴェルと、青髪のハイレグ女騎士ヘンナマリだけが例外的に自由に発言してる。
そのヴェルも女帝陛下に対しては基本、絶対服従の姿勢だ。
ヘンナマリだって、その口調と会話の内容からして、女帝に対して大きな影響力を持っているようには思えない。
つまり少なくともこの場には女帝陛下のもと院政を敷いている先帝だとか、女帝を操り人形にしている皇太后とか、日本の摂関政治みたいに実質的な権力を握っている外祖父とか道鏡やラスプーチンみたいに女帝を意のままに動かす陰の実力者とか、そんなのははいないんじゃないか?
どこかにいるのかもしれないけど、ここにはいないか、いても今は口を出す気がないかのどちらかだ。
キーパーソンはただ一人、あの幼い顔立ちの、女帝陛下のみである。
人殺しはいやだ。
それをやるかどうか決めるのは、すべてはあのロリ女帝!
つまり、あの少女帝を説得すれば、俺は人殺しにならなくてすむ!
俺は、裸の少女の身体をそっと床に横たわらせた。
ちょっと失敗して、少女の後頭部がゴツン、と床にぶつかってしまった。
たいしたことなさそうだけど、いい音がした。
コブができてたらごめん。
さて、俺は女帝陛下の前に進み出て、跪いた。
「ちょっと、あんた……」
ヴェルの声を無視して、俺は頭の中をフル回転させる。
とりあえずこのロリ女帝に好かれ気に入られ、俺のわがままを通さなきゃいけない。
失敗したら俺は人殺しになるか、死刑になるかだ。
考えろ、考えろ、どうしたらこの女帝陛下に信頼され、説得できるかを!
営業マンとしての経験、そして歴史オタクとしての知識もフル動員するんだ!
俺は静かに女帝に話しかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます