第9話 かなしみは隠されて②
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その夜、テントを張り終えた俺はメルトリアが組み上げた枝葉の傍らにしゃがみ込んで手を翳すのを見た。
その手のひらの下、一瞬だけポッと火が揺れて……何事もなかったかのように掻き消える。
「…………」
なんともいえない表情で見下ろすメルトリアはどこか切なそうで……俺は少し考えてからわざと大きな声で話しかけた。
「メルトリア、テントは張り終えたから夕食にしようか!」
「! あ、ありがとうアルトスフェン。すぐに火を起こすね」
彼女はぱっと立ち上がって荷物から火打ち石を取り出し、カツカツと鳴らして火種を作ると……慣れた手つきで焚火を起こす。
――へぇ。魔法に明るい場所で育ったと言っていたけど、魔法が苦手なのかな。
知られたくないのかもしれないし、気付かないふりをしておこう。
俺はその様子を見詰めてそう結論付けてから、ぐるりとあたりを見回した。
そのときに集めた薪代わりの枝は濡れないように木のうろや岩の影に残されていて、こういった場合、旅人の暗黙の了解として使った分を補充しておくものなのだ。
……教えてくれたのは勇者一行のなかで一番旅慣れていた弓使いの男性オルドネス。
俺たちのなかで最年長だった彼は寡黙で――だけど優しかった。
「火は大丈夫そうだな。見張りがてら薪を集めてくるつもりだけど、料理を手伝うほうがいいか?」
「あ、ありがとう。料理は任せて、簡単なものなら作れるから」
メルトリアの亜麻色の髪が焚火に照らされて光っている。
俺はそれをじっと見詰め……誰かとこうやって旅をするのは久し振りだなと実感した。
「――あの、アルトスフェン。私の顔になにかついてる? 視線が刺さるのだけど……」
「おう? ……ああ、悪い。ちょっと感慨深いなって」
「……感慨深いって?」
「そ。俺の話、もっと聞いてくれるんだよな。薪拾いから戻ったら旅の話をするよ。ちょっと待ってて」
「……! う、うん!」
メルトリアは頬を引き上げて花が咲くような笑顔をみせると「せっかくだから豪華な夕飯にしようかな」と荷物を覗き込む。
「まだ旅は始まったばっかりだから節約してもいいんじゃないか?」
俺が笑うと、彼女は焚火に煌めく亜麻色の髪を揺らして首を振った。
「駄目だよ! 考えたら私とアルトスフェンの旅が始まって最初のご飯だもの。尚更忘れられないものにしなくちゃ……」
******
――エルフメイジのルーイダを仲間にした俺は北へと向かったんだ。
魔物の群れが迫っている町があると知ったから。
そう話し出した俺に、メルトリアは木製の器を差し出した。
穀物や茸などこれでもかと具材の入った粥には
それに混ざり香草の食欲をそそる香りがして、濃厚で芳醇な粥である。
思わず言葉をとめてゴクリと生唾を呑み込んだ俺にメルトリアが微笑んだ。
「私の住んでいた場所でお祝いに作られるお粥なの。本当はここにこんがり焼いたお肉を載せて花で飾るんだけど。……さあ召し上がれ!」
「これは……うまそうだな。いただきます」
俺は折りたたみ式のスプーンを手に艶めく粥を掬って「ふー」と息を吹きかけた。
ひやりと冷たい空気は土と草の匂いがして、粥がくゆらせる湯気が白く煙る。
黄金色の粥をゆっくりと口に運べば柔らかな口当たりとともに
「…………うまい」
驚くほどうまい。
俺がすぐに次のひとくちを口にすると、メルトリアは嬉しそうな顔をした。
「よかった。これなら忘れないよね?」
「おう。……はふ。毎日でも食べられそうだ」
俺はそう言ってから思わず笑みを浮かべた。
「……ルーイダとふたり、最初に食べたのは猪の丸焼きだったな……」
「い――猪⁉ お、大物だね……」
「ふ。そうだろ? ルーイダが魔法で豪快に狩ってさ。丸焦げも丸焦げ……だけど腹一杯で」
俺はそう言いながら粥を掬い……話の続きを口にした。
魔物の群れが迫っている町は遠く山脈の麓にあって、林業と狩猟を生業とする人々が住んでいたんだ。
勿論、避難した人もいたけど……町には年配が多く、彼らが避難するには遅すぎた。
だから彼らは罠や防壁を幾重にも仕掛けて魔物と戦おうとしていてさ。
俺とルーイダは魔物の群れより先に町に到着できたものの、まさか王都からの応援が俺たち『勇者一行』だけだなんて思わなかった町の人の落胆ぶりはすごかったよ。なにせたったふたりだし。
――そこで出会ったのが旅慣れた弓使いの男性、オルドネスだ。
肩に掛かるくらいの濃い茶色の髪は首の後ろで束ね、切れ長の目は深い蒼。
武器は金属製で細かな蔦模様が彫り込まれていて……けっこう重かったのを覚えてる。
俺が勇者だってわかると、彼は魔物の群れを誘導して効率よく罠に嵌めることを提案してきた。
内容的には結構無茶な作戦だったけど、俺とルーイダはそれに協力することを決めて最終的に群れの討伐を成功させたんだ。
それが切っ掛けでオルドネスは同行してくれることになった。
……あとで知ったんだけど彼はその町の生まれで……町には母親が住んでいたらしい。
らしいってのは……オルドネスがそのときになにも言わなかったからだ。
――家を飛び出してからずっと旅暮らしだったんだよ、あいつ。
でも、魔王を倒す直前に教えてくれた。
魔王を倒したら……一度くらい母親に顔を見せに帰ろうと思うって言ってさ。
俺が話を切ると……メルトリアは眉尻を下げて唇をへの字に引き結んでいた。
「オルドネスさんにとって大切な故郷だったんだね……」
翡翠色の瞳を潤ませて言葉を絞り出した彼女に、俺は粥の最後のひとくちを呑み込んで頷いてみせる。
「おう。……オルドネスは寡黙だけど優しくてさ。帰ったあとはそのまま町に根を下ろしたみたいだ。こういう旅での料理もすごくうまくて……料理はほとんどオルドネスがやってくれてたな、作るのが好きだって話してた」
「そっか。アルトスフェンは美味しそうに食べるから作り甲斐があるかもね。……おかわり、どう?」
「そんな顔してるか? ……できればお願いします」
差し出された手におずおずと木製の器を手渡すと……メルトリアは花が咲くように笑った。
……こんな始まりも遺しておければいい……そう思う。
俺は革の手帳に最初に記すことを決めた。
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