29.宿屋の立て直し

 宿に戻って、事の次第を女将であるスザンナさんと共有した。

 以前の帳簿を見せて欲しい、と頼んだところ、予想通りの答えが返ってきた。


「夫が管理していたんです。それで……亡くなった後に遺品を整理していてもみつからなくて……」


 やはり隠していたか。

 裏や常連客との情報のやりとりで得た金銭で成り立っていた宿だから、そこは隠しておくべきところだったのだろう。

 店をくまなく探せばきっとあるだろうが、今は昔の帳簿はどうでもいい。


「宿代がやっぱり安すぎるんです。情報料で成り立っていたなら、それがなくなった今、利益が出るように計算して宿代を決めないといけない」


「そんな、急に言われてもどうすれば……」


「損益分岐点を……って言っても分からないか。ともかく仕入れの原価や宿で働いている人の賃金やなんかを全部まとめて、経費がいくらかかっていて、それを賄って利益を出すためには幾ら必要なのか計算しないと」


「そ、そうなんですね。ウチはいま従業員は私と娘のスーだけです。あとは料理の材料やなんかですか。ええと仕入れの伝票は――」


 驚くべきことに料理の素材には妥協は一切なく、高級店かと思えるような食材を使っていた。

 そりゃ料理が美味いわけだよ。

 もちろんスザンナさんの腕前もあるのだろうけど。


 経営方針の変更という大仕事になってしまった。

 ディアーネには「とにかく常連客は戻ってこないから、普通の宿屋として再出発する」と言ってある。

 計算などは神殿学校で学んでいるし、ディアーネは真面目で成績も良かったから戦力になる。


 まず経費を圧迫している食材を安いものに切り替えてもらうことにした。

 味は落ちるかもしれないが、高級食材を使った料理を利益が出る値段で出すとなると、ただの宿屋が出す料理の値段ではなくなってしまう。

 スザンナさんの腕前は確かなようなので、食材をグレードダウンしてもそれなりに美味しいものが出せるはずだ。


 そうこうしているうちに、マーシャさんが顔を出しにきた。


「あれ、みんなで顔を突き合わせてなにしているの?」


「ああマーシャさん。それがですね……」


 説明はスザンナさんに任せた。

 その結果、マーシャさんもディアーネと同じように「は? え、どういうことそれ?」と困惑させることになってしまったが。


「え、つまり亡くなった店主はその、裏社会と通じている情報屋だったってこと!?」


「そうです。だから情報通の店主が亡くなったこの宿に常連客は戻ってこないし、情報料で支えていた経営の方から見直さないといけないんです」


 俺は簡単に説明した。

 それだけでマーシャさんはちゃんと理解したようで、


「ごめんなさい!! 私、何も知らなくて……!!」


「いいんです。とにかく依頼の内容、常連客に声をかけるんじゃなくて、経営の立て直しに変更してください」


「分かった。手伝うよ、私も。経営とかそういうの割りと得意なんだ」


 食材の伝票を見ても「え、これ高いの?」とか言っちゃうようなマーシャさんが経営に強いとかどの口で言えるのだろうか。

 ともあれ、計算はキッチリできるので、戦力としては使えるのだけど。


 宿屋は、丸一日の計算結果を踏まえた抜本的改革を受け入れて、新装開店することになった。



 必要なのは新規客層の開拓である。

 なので大々的に広告を打つことにした。

 冒険者ギルドに依頼として張り紙を貼らせてもらい、宿屋の宣伝をする。

 料理が美味しい宿として食事だけでも、と一言書いたのが奏功したのか、徐々に客足が増えてきて、宿が満室になるまで約一ヶ月ほどかかった。


 その間、借金取りの親分には黙ってもらうことにしたのも効果があった。

 俺たちが亡くなった店主が情報屋であることを突き止め、宿を普通の宿として再出発させたいので、しばらく返済の催促を止めてもらうよう頼んだ。

 先方は「なんだ、気づいちまったのか」とそっけなかったが、裏社会でそれなりに繋がりのあった店主との仲は良かったようで、頼んだ通りに宿屋の前に来るようなことはしなくなっていた。


 経営が軌道に乗れば、あとは借金を徐々に返済してくだけだ。


 スザンナさんとスーちゃんだけじゃ回らなくなっていたので、新たに従業員を雇い入れて、それでもちゃんと利益が出るようになっていた。

 特に料理の評判は良く、昼と夜は宿泊客だけでなく食事目当ての客も呼び込めたのが大きい。


 ともかく一ヶ月に渡る大仕事を、俺たちは無事に終えた。


 なお宿代と食費は依頼人の負担ということになったので、この一ヶ月はタダで生活している。

 宿の手伝いと経営の見直し、宣伝活動など、いろいろとやることがあったのだ。

 それも、もう終わりだが。


 マーシャさんがやって来た。


「ありがとう、レイシア、ディアーネ。あなたたちがいなければ、店主不在のまま常連客に声をかけ続けて今頃、借金が膨れ上がっていたところだったわ」


「仕事だからね。なんとか経営も軌道に乗ったし、もう大丈夫だね」


「うん。これは成功報酬だよ!!」


 マーシャさんから依頼達成の報酬を受け取る。

 ズッシリとした重みのある銀貨袋。

 領都での初めての仕事は、冒険者ギルドを通したものではなかったが、なんとか依頼達成と相成ったのであった。



 結局、マーシャさんは一体、何者だったのだろうか。

 その日からマーシャさんが宿に姿を現すことはなかった。

 俺たちがマーシャさんの正体を知るのは、もう少し後になってからになる――。

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