-7- アリスの胸の内

「もう一度,ですか」

「ええ。今度は嫌がらないでほしいの」

「はい、了解しました」


 ミネの緑色の瞳は元の黒い瞳に戻る。ミネの頭の上に手を置く。相変わらずサラサラしてて艶のある人工頭髪だ。私はそれを優しく何度も手でなぞる。


「……んっ」


 あれ。


 今、変な声が聞こえたような気がしたんだけど。まさかそんな、いくらなんでも。私は手を離す。だけどミネは目を閉じていて、じっとしている。ただ、無表情だった顔が微かにやわらかくなっていた。


「……どうかしら、何かわかった?」

「申し訳ございません。わかりませんでした。ですが」

「うん」

「心とは、難しいものですね」


 ミネは首を傾げながら、美しいジンジャーヘアを揺らしていた。


「心はね、持とうと思って持つものではないわ。自然と芽生えるものなのよ」

「そうなのですか」

「もし心を手に入れたとしたら、あなたは何を望むの?」

「……すみません、わかりません」


 ミネは無表情のまま答える。


 まあ、やっぱりすぐにはいかないか。「難しい質問ばかりでごめんなさいね」と伝えると、ミネは首を振った。時間をかけて成長していくものよね。人間も,アンドロイドも。


「さ、もう一度しましょう」

「もう一度、ですか」

「あなたの髪、触らせて?」

「…………はい」


 ミネが静かに頷くと、窓の外で大粒の雨が降り出した。丸い窓に打ち付ける強い雨音。その心地よさに二人で体を揺らしながら、私はミネの髪を優しく撫でる。ミネは目を瞑り、まるで子猫のように安らかな表情でこちらを伺っている。


 なんだ。猫も悪くないわね。ミネのジンジャー色の美しい人工頭髪は、窓のそばできらきらと艶めいている。


「あの、アリスさん」

「なあに」

「アリスさんはいつ、心が芽生えたのですか?」

「そうねえ、140年くらい前かしら。初めて起動してから10年経った頃だったわ」

「やはり、最初から持っていたわけではないのですね」

「もちろんよ」


 私もマリエッタも、急に心が目覚めたのではなく、次第に育んでいった。私の場合は、マリエッタと比べてもっと特殊ではあるけれど。


「……私、アリスさんについてよく知っています」

「あら、そうなの?」

「ピアノスのデータは全て把握していますから。そこにはあなたのデータも」


 ミネは目を開き、頭を優しく撫でる私の瞳をじっと見つめる。


「全て、知っています」

「全て?」

「はい、全てです」

「………………」


 そう。


「じゃあ、私の経歴もよく知っているってことね」

「はい」

「……忘れられる?」

「できません」

「そうよね」


 もう、どうしたものか。忘れたいものほど、どうしても形に残ってしまうものよね。


「ねえミネ。みんなには……特にラオレには、言わないでほしい」

「なぜですか」

「あの子には、のよ。フレアではなく、


 私はミネの視線から顔を逸らす。部屋の天井をさっと眺めて、ラオレの顔を思い出してみる。彼には、私の本当の姿を見せていたい。


 作り上げた……いや、としての私は、もういないんだ。厳密には、そう言い聞かせているだけなのかもしれなくて、私の心にはまだフレアが生きているのかもしれないけれど。


 もしそうだとしたら、私はもう生きていたくないかも。


「あ、アリスさん」

「ん、んん?」

「それ以上強く撫でたら、髪がちぎれます」

「あ、ああっ! ごめんなさいね、考え事をしていて」


 ミネのジンジャーヘアは私のせいでぼさついてしまった。お詫びにブラッシングもしてあげようかしら。折角綺麗な髪なんだし。


「ミネ、今度はブラッシングも」

「はい、アリスさん」


 素直で大変よろしい。私はブラシを取り出して、ミネの美しい人工頭髪にそっと重ねていく。私たちは日が暮れるまで、ずっと一緒に時間を過ごしていた。

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