-2- 『森の機械の乙女』

***



 これはあるおおきなもりにすむ、ひとりぼっちのにんぎょうのおはなしです。


 にんぎょうはいつもひとりでした。なぜなら、にんぎょうはからだがうごかないからです。にんぎょうのめも、くちも、うごくことはなく、じぶんでなにかをえらぶこともできませんでした。


 にんぎょうはもりのなかでじっとしながら、かわをながめたり、とりのなきごえをきいたり、かぜできぎのはっぱがゆれるおとにみみをかたむけたりしました。でもそれは、にんぎょうにとってとてもたのしく、どうじにさびしいことでもありました。


 あるひ、にんぎょうはおもいました。


――どうしてわたしは、こんなにもさびしくてつまらないのだろう。だれかにあいされたい。もっといろいろなことを知りたい。いろんなことをしたい。


 にんぎょうはそうつよくねがっていました。すると、もりにやってきたあるにんげんがいいました。


「ぼくがきみを、もりのそとへつれていってあげよう。だからいっしょについておいで」


 にんぎょうはとてもうれしくなりました。それからにんぎょうは、にんげんにつれられてたくさんのものをみにいきました。


 きれいなおはなが、いっぱいさいているばしょがありました。


 おおきなけものが、たくさんいるばしょもありました。


 おしろみたいなかたちをしたたてものが、あるまちもありました。


 そしてさいごに、にんぎょうはとあるばしょにつれていかれました。


 そこはしろくて、しずかで、とてもつめたいばしょでした。にんげんはそのばしょのことを、「けんきゅうじょ」といいました。


――わたし、ここはあまりすきじゃない


「そうかい? きみはもともとここでうまれたんだよ」


――もりにかえりたい


 しかし、にんげんはなにもこたえません。

 ベッドににんぎょうをねかせ、おおきなきかいをうごかしてにんぎょうをいじくります。にんぎょうはなんだかくるしそうなかおをして、ぴくっとからだをふるわせています。しばらくすると、にんぎょうのかおがすこしだけわらったようにみえました。


「だいじょうぶだよ。すぐになれるさ」

「しんぱいしないで、フレア。きみはこれから、すばらしくうつくしくなるんだ」

「がんばって、フレア!」


 へやのそとにあるまどから、たくさんのにんげんがみまもっています。にんぎょうはじぶんのなまえが「フレア」だとわかっていたのでしょうか。いままでこえがだせなかったにんぎょうは、とてもかわいらしいこえで、なんどもうなずいていました。


 そして、にんぎょうははじめてうごきだしたのです。



***



「……フ、レア……」


 聞いたことがある。確か、100年以上前に活動していた世界初のアンドロイド・ミュージック・アーティスト。アンドロイドでありながら、人間の心を揺さぶり、その歌声は多くのファンを魅了した。しかし、人気絶頂期にぱたりと活動を休止し、そのまま行方不明になった。


 アンドロイド研究者の間では、フレア・アルメリアの失踪について様々な憶測が飛び交ったが、結局真相は不明のまま、100年経った今でも議論されている。


 こんな絵本にフレアの名前が出てくるなんて、なんだか不思議なものだ。ここからアリスのことがわかるでもなく。アリスとフレアには何か関係があるのだろうか?


 真相のわからないまま、俺は書斎の窓から外を眺める。雨に濡れる深い森の景色をガラス越しに見つめながら、アリスという存在の希少性や重要さを改めて認識する。アリスがいなければ、感情を持つアンドロイドの開発に携わるという貴重な体験はできなかったかもしれない。


「……ピアノス、か」


 また思い出してしまったな。しかしまあ、どうしてのだろう。


 俺にはわかっている。

 研究所の敷地内で見つかったピアノスシリーズの残骸は、ミネに解放されたのでもなく、カワカミチーフに逃がされたのでもなく、


 誰かが逃した形跡があったという話も、自分の意思でポッドを出たピアノスが「誰かが逃した」というログに書き換えたのだろう。ピアノスはそれくらい知能の高い、そして起点の効くアンドロイドだ。


 では、なぜ逃げ出そうとしたのか。これは憶測だが、単純な話だ。きっとあのポッドの中にいるのが退屈に感じたんだろう。この絵本に出てくる人形と同じように。それに、俺も研究所を辞めて雨の街に越してきてようやっと、自由を手にした気がしているから。


 子が成長すると親に似てくるように、設計者にアンドロイドは似てくるものだ。ピアノスを保管するなら、そこまで推測しないとだめだ。全く研究所の連中ときたら。ピアノスをもの扱いするから、脱走されて挙げ句の果てに残骸に……。


 残骸に?


「何で、残骸になったんだ」


 逃げ出した先で何があったんだろう。そういえば聞いてなかったな。でも、それは俺の口から語るべきじゃないだろう。あくまでピアノスと研究所の問題なのだから。俺はただ設計しただけで、もう研究所の人間じゃない。


「おいラオレ」


 と、背後から声がかかる。カワカミチーフとマリエッタが帰ってきたようだ。二人は書斎に入ってくる。


「ラオレ様? 書斎に勝手に入らないでください」

「はい、すいません」

「もう、お嬢様に言いつけますよ?」

「ごめん、それだけは。どうしても読みたい本があって」

「読みたい本って……これ、ですか」


 マリエッタは机に広げた『森の機械の乙女』を手に取る。


「アリスがおすすめしていたんだ」

「お嬢様が?」

「ああ、だから読んでみたくて」

「……」

「えっと、どうかした?」


 マリエッタはページをめくりながらこちらを見つめる。何か変なこと言ったかな。


「私は何度か読んだことがあります」

「おお、そうなんだ」

「はい」


 それなら、あれのことも知ってるかな?


「ならさ、フレアって知ってる? フレア・アルメリア」

「……えっと」


 マリエッタは少し寂しそうな顔をして言い淀む。するとすかさず、カワカミチーフが後ろから話しかけてきた。


「あー、こほん。ラオレ、話はかわるんだがいいか」

「……なんですか」

「謹慎が明けるまで、お前の部屋に泊めさせてもらえないか。フランシェリアさんとマリエッタには許可をもらってる。頼む!」

「嫌です」

「即答かよ!」


 カワカミチーフは驚いた顔でこちらを伺う。


「いや、だってチーフのいびき絶対うるさいし」

「そこをなんとか! ほら、家賃払うぞ。飯だって奢る」

「そういう問題じゃなくて」

「なんだよ、水くせぇなぁ」

「いや、普通断るでしょう。元上司とそんな……同居とか」

「まあ、そうだよな。でもよ、俺はお前のこと結構気に入ってるけどな」

「……何ですか。何も出ませんけど」

「いいじゃねえか、一緒に露天風呂行った仲だろ?」


 チーフはそう言ってニヤリと笑う。やめなさいよその顔。気持ち悪い。


「そういうとこですよ」

「冗談だよ。この通り、頼む。もう当てがないんだ。充電ポッドもしばらく借りられるようにフランシェリアさんにはお願いしたんだ」

「……まあ、その。アリスがいいなら。俺は別に。マリエッタ、君は?」


 『森の機械の乙女』に目を落としていたマリエッタに尋ねる。彼女はハッとした様子で、本を閉じて答えてくれた。


「私も、いいと思います! 賑やかで楽しくなりそうですね」

「よし、決まりだ。ありがとよ。短い間だがよろしくな、ラオレ」

「あー、はい」


 こうして、アリスとマリエッタとのこじんまりとしたルームシェアは途端に忙しくなり始める。


 そして俺はまた、フレアについて知りそびれた。まただ。やはりカワカミチーフとマリエッタは、俺に隠し事をしている。最初はアリスについて。次はフレアについて聞いた時。一体、何を秘密にしているのか。それはわからない。けれど、俺は何か大きなものから見放されているような気がしていた。


 それでも、俺は。真実を見つけ出す。きっとそれができるはずだ。いや、絶対に見つけ出してみせる。

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