第24話 全てを手に入れるはずだった(ビアンカside)
ガチャン
硬質な音を立てて、壁にぶつけられた硝子の花器が粉々に砕ける。
中に注がれていた水が飛び散って、毛足の長い絨毯に濃い模様を付けた。
「なんなの!? これは!! これが婚約者への扱いなの!? こんな花束だけ寄越して、どうして彼は一度もこの屋敷に足を運ぼうとしないの!?」
ビアンカは、つい数日前に大盛況のうちに幕を閉じた『使徒の虹祭り』で、観衆から「これまで見た誰よりも天使に相応しい」「神話の天使そのもの」と口々に讃えられ、国王からも直々に労いの言葉を賜った。誰よりも注目を浴び、セラヒムの婚約者候補だと知っても釣書を寄越す貴族が後を絶たない程の評価を得たはずだった。
けれど、最も欲しいものは未だに手に入ってはいない。
最愛のひと――美貌、家格、権力、財力の全てを持つセラヒム。彼を手に入れなければ、ビアンカの立場はあまりに儚過ぎるのだ。彼女は、自身がオレリアン伯爵の持ち駒の一つでしかないことをよく理解していた。
「セラヒム様が私を求めて、愛を乞うて跪いてくれなきゃならないのよ! 私自身がセラヒム様に愛され、プロコトルス公爵家の後ろ盾を得て、はじめて伯爵から駒扱いをされなくなるんだから。じゃなきゃ、お母様は
セラヒムから、執事によって代筆された祭りの労をねぎらう言葉の綴られた手紙と共に届けられた花束。それを生けた花器ごと、興奮のまま魔力で弾き飛ばしたビアンカだったが、苛立ちはまだ収まらない。
誰よりも「天使」に近しい容姿や、優れた光魔法の資質を持って生まれたビアンカは、ほんの1年前までは、下位貴族の住む町の小さな家に数人の使用人と共に押し込められ暮らしていた。母親と2人。父であるオレリアン伯爵は年に数度、ビアンカの成長を確認しに訪れ、その度に容姿や魔法の素養を淡々と確認して行くのみだった。値踏みするだけの冷淡な視線は、
母親は、平民から貴族の愛人へと引き上げてくれた伯爵に執着していたし、ビアンカも裕福な暮らしをさせてくれる伯爵に感謝が無かったわけではない。けれど、その保証が「天使」の素質と引き換えの物だと云うことも、はっきりと理解していたから、愛情は無かった。
そして、ビアンカの努力は報われ、オレリアン伯爵家の実子として本邸に住む権利を獲得したのだ。
けれど、その立場は盤石ではない。自分以上の「天使の素質」を持った娘が現れたなら、すぐにでも挿げ替えられてしまうだろう。自分たちがそうしたように―――。冷淡で強欲な伯爵のことだ、スペアは幾らでも作ってあるはずだ。自分たちのように―――。自分と母親の恵まれた暮らしを守るために、虎視眈々と唯一の立場を狙う者達が居るはずなのだ。
そんな心許ない立場を盤石に変えることの出来る唯一の一手が、全てを持つセラヒムの心を得ることだった。
「自分の立場を守る努力もしなかった、愚かなあの子を追い落とすのは簡単だったはずなのにっ……」
未来の見えない不安感と苛立ちに胸を締め付けられて、唇を嚙み締めるビアンカが思い起こすのは、順調に思えた彼女の筋書きが狂い始めたとき。強烈な
あの日、ビアンカは全てを手に入れるはずだった。
見目麗しい婚約者も、四大公爵家との繋がりも、オレリアン伯爵家の跡取りの立場も、天使として全ての人々に敬われる立場も―――その全てが、たった一人のできそこないのせいで、宙に浮いてしまった。
ビアンカは、ミリオンが逃げ出した後のオレリアン邸での忌々しい遣り取りを、もう何度思い出したか知れない。くすんだ灰色の髪や、着古して色の禿げた服など、ミリオンを連想させるものを見る度に、セラヒムの言葉が脳裏に蘇る――
「あぁ、ビア。彼女が魔法で逃げてしまったのだからね。婚約はお預けだね」
ちっとも残念そうでもなく、むしろにこやかに告げられた言葉は彼女の心に鋭い棘となって突き刺さった。
「あんなに目立ってしまった彼女は、もう居なかったことには出来ないからね。それに婚約も結ばれたままだもの。けど、君がもっといっぱい頑張ったら、婚約への道は近付くんだろうね」
トロリとした甘い微笑とともに告げられた言葉は、徐々に身体を蝕む毒の様に彼女の心を侵食していった。
(ミリオンを捕えなければ、私は幸せにはなれない! 私の邪魔をするミリオンが憎い―――!!)
いつしか鬱屈した感情は、虐げ、痛めつけ続けた義妹を更に呪うものに変化していた。
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