亨①

 3-1

 どうして自分がここまで来たのか、正直なところまったく分からない。いや、理由はあるんだけどさ。それだってほとんどこじつけみたいなもんだ。俺はほとんど地元から出たこともなかったし、遠くに行く何かというのをやったことがない。


 それでも、中学校の時に読んだ……というか読まされた本の舞台だった千葉の海に行く気になったんだ。多分最後だからだろうと思う。自分の人生、最後くらい自分で決めても罰は当たらないだろう。


 昼に目が覚めて、家に誰もいないことを確認して、親の財布から金を取った(五万くらい入っていた)。もうここに帰ってくるつもりはなかったから、一応遺書めいたものも書いておいた。とは言っても、両親はきっと俺が家を出たことすら気が付かないかもしれない。


 携帯電話も持ったけれど電話をかけてくることもないだろう。中学校もろくに行かなくなった俺に、親はいつからか一切期待をしなくなった。俺より遥かに優秀だった弟の方ばかり向いていて、いつからか俺はあの家族の一員ではなくなってしまった。


 もっとも、俺は昔からずっとそれを願っていたのかもしれない。現状は俺の望みが叶ったと言えるだろう。嬉しいか? いや、そんなことはない……どうだろう? わからないし、分かろうと言う気もない。じゃあ何だ? 知るか。嬉しい。これで納得か?


 今朝起きて、勝手知ったる家を出て、駅までの道を歩きながらずっと出ているはずの答えに丸とバツをつけ続けていた。今から行く予定の千葉県のことは何も知らない。とにかく、『千葉』が着くところに行けばなんとかなるだろうと思って電車に乗った。


 電車なんて数えるくらいしか乗ったことはない俺でもなんとか乗れるってのはどう言うわけだ? 前世で電車に乗った記憶を覚えているってわけか? 前世、そんなものは糞食らえだな。現実だって間違いなく糞食らえなんだから、前世だって間違いなく糞食らえだろうよ。


 たとえ俺が今死んで異世界に転生しても間違いなく糞だろうな。面白くない冗談だ、それこそ糞食らえだな。それ以外なんだって言うんだろうか? 糞は肥料になるかもしれない、でも俺は……。


 駅まで歩く間にあるゴミ捨て場に何冊か文庫本が捨てられていた。不思議だ、古本屋に持って行けば数十円くらいにはなっただろうに。捨てた人間は新品しか買わないのかもしれないが、それで世の中のためになっているとでも考えるのだろうか。繰り返すが、不思議だ。


 文庫本は十冊ほど捨てられていたが、そこから三冊ほど苦拗ねた。ずいぶんと古い小説、それこそ中学校とか高校の教科書に乗っているような小説だった。でも本は新しい。一度読んだら捨てるんだろうな。電車でそれを取り出して読む。


 当然、劇中では呆れるほど煙草を吸っているシーンが出てきた。朝日、敷島、ゴールデンバット。バットを吸ったことはないが、数少ない両切り煙草仲間としてシンパシーを感じる。もしこれを作るのをやめたとしたら、煙草会社は大馬鹿野郎だってことになるだろう。糞だな。


 あ、バットが消えてもピースがあるか。あれはヴァニラ香料が強すぎるんだよな。そんなことを考えながら本を読んでいると無性に煙草が吸いたくなってしまった。一度電車を降りる。


 駅のホームで隠れてこっそり吸おうと思ったのだけれど、駅員に見つかったり口煩い中年や高年に何かを言われることを考えるとそれを実行する気にはならなかった。かと言って、喫茶店という柄でもない。俺には掘立て小屋みたいな喫煙所がお似合いだ。


 駅から出てぶらぶら歩くと、残念ながらそんなところはなく、酒屋兼煙草屋を見つけたはいいがそこにも灰皿はなかった。ぱっと見、品揃えが良さそうだったので、いつものゴロワーズ・カポラルとゴールデンバット、そしてショート・ピースを買った。


 バットを見た時なんか変だなと思ったが、開けてみると俺が知らない間にフィルター付きにリニューアルされていた。こんなのはバットじゃない。だったら販売が終わってもそんなに惜しくはないだろうな。


 買った煙草をバッグに入れて、吸えそうな店を探すがない。仕方なくパチンコ屋に入った。べつにそれがやりたいわけじゃなくて、ここなら間違いなく煙草が吸えるだろうって思ったから。


 店内に入るとジャラジャラと音が煩い。煩いけれど、どこにいたって、どんな音だって自分に聞こえる音なんて大して変わらない。変わるはずがない。案の定、綺麗に整頓されている喫煙所が店内の一角にあった。幸い誰もいなかった。


 こういう喫煙所、オッサンは必ず話しかけてくる。そんなに皆、会話に飢えているんだろうか? そんなことを考えながら煙草を取り出して吸う。実は美味いともなんとも思わないのだけれど、純粋に時間を灰にしているような瞬間が好きだからずっと吸っている。それだけ。


 煙にも味にも銘柄にも何も興味がない。俺はただ、こうやって自分の目の前で時間と、煙草がライターの火によって灰になっていくのを眺めるのがとにかく好きなだけ。目の前で何かを灰にする時間ってのはあるようで全くないんだ。


 せっかくだからさっき買ったピースも開けた。甘ったるい匂い、これが俺はあんまり好きじゃないんだよ。次にバットを吸った。フィルターをちぎろうと思ったが、どうもする気にはならなかった。


 俺がフィルター付きを好きじゃないのは、フィルターが茶色くなるのを見せつけられるから嫌いなんだ。これが自分の中に入っているわけだろ、つまり……。


「ねぇねぇね、どう、出たぁ?」

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