第6話 わからないこと
教科書が古いのならば授業にならない。アイリン先生の勧めもあり、となりの席の御船千子ちゃんの横へと机を並べて一緒に見せてもらうことになった。
成り行くままに身を任せる。
千子ちゃんは江戸を思わせる日本髪を結っていた。芸者さんやカツラでしかまず見ることのない珍しい髪型だ。純和風な顔立ちをしていて、日本人形のようでもある。
「ありがとう」
と礼をのべながら近付いていくと、快く笑顔で迎えてくれる。
ふたりの間に置かれた教科書はたしかに私のものとはちがった。どころか、傷や折れですらまるで見当たらない。グッと指で押さえて折り目を付けないと自然に閉じていってしまうほどに、使ったあとがない。
妙に思って口もとに手をあてたら千子ちゃんは口の端を持ち上げふくんで笑う。
「ぜんぜん使ってないなとおもった?」
「そこまでは。綺麗だとは思いましたが」
苦笑いで返すと、
「いいのよ、本当のことだから」
と隠す様子はさらさらないようだった。
なんでもないと言った風に説明される。
「昨日の話よ。教科書に不備があったらしくてね。ぜんぶが差し替えになってるの。本当にただ、新しい物だってだけなのよ」
「昨日、ですか」
その時に私の席へ用意されたものだけ、取り違えられたということなのだろうか。すでに授業がはじまっていたので、周りの様子を控えめにうかがってみる。だれもがみな、真新しい教科書を机に広げていた。
「どうかした?」
ぼそりと聞かれたので、ぼそりと返す。
「千子ちゃん、昨日と今日。他にはなにか変わったことはありませんでしたか?」
「転校生がやってきたわ」
カクリ、と肩すかしを食らう。
「そりゃまあ、そうですが。それ以外で」
千子ちゃんは目を閉じて集中しだした。
それは記憶をたどっているのだろうか。身動きひとつも取らずに、スンと澄ましたようなその表情は真剣そのものである。瞳を開けたのか開けないか。見えているのかいないのか。半眼の眼差しで答えた。
「他にはなにもかな。昨日のまま。いつまで経っても変わり映えしないただの日常。シェリンさんの机の中だってそのままよ」
言われて机の中をのぞいてみる。そこにはぽつんと筆箱が置かれていた。取り出してみると中にはペンや定規がぎっしりと。これはだれの忘れ物なのだろう。そして。
「どうして中にあるとわかったんです?」
目元だけでにやりと笑い、
「私には見えるのよ。透視能力があるの」
と半ばには信じがたいことを言う。
だけども私の不在幻聴と同じようなものなのかもしれない。彼女にもなにか不思議な力が宿っているのだろう。真偽の程は定かではないけれど、深くは掘り下げないほうがお互いのためにもよさそうだった。
「そこ、なんですか。今は授業中ですよ」
ビシリと先生に指された。ヒソヒソ話が聞こえていたのならばたいした地獄耳だ。注目が集まっていたので素直にあやまる。
「すみません、先生。すこしわからないところがあったので質問をしていました」
「いいですか? ミス、シェリン。わからない事があるのならきちんと挙手なさい」
シン、と静まり返った教室にコンコンとノックをする音がよく響いた。だれかが来たようだ。磨りガラスからうごく人影が見えている。気を削がれた先生は口を曲げたままでドアへと向かい、そして開けた。
ひとりの男性職員となにやら会話を交わしてから戻ってくる。その顔色は見るからにわるく、目を見開いて色を失っていた。なにがあったのかと教室内がざわつく。
「落ち着いてください。つい先ほど、
「だれ?」
と聞くとクラスメイトだと返ってくる。
もうひとりクラスメイトがいたのかと首をかしげる私に、先生は動揺したままで前と同じことを言った。あるいは落ち着きを取り戻そうとしていたのかもしれない。
「質問なら、挙手なさい」
ならばと私は手をあげた。
「先生、ここはなんなのですか?」
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