第27話:見えざる分岐点

 ずっと走らされて疲労困憊の馬と、精神的に疲弊を隠せない私。


 まったく最悪だ。そう言っていいはずだ。


 短槍スピアで盗賊と戦い、モンスターと戦い、馬を走らせ、荒野を一人で進んでいる。

 こんなことをする公爵令嬢が他にいるだろうか?


 父からも見捨てられて……。



 そういえば、自分はどうして魔法が使えなくなったのだろう?


 絶望に苛まれるあまり、そこまで深く考えなかった。


 父の決断も、思えばあまりに早すぎないだろうか?

 あの時は、自分への絶望だったとしか思わなかったが、あの「絶望の表情」は、もしかして別のところに……。


 これは単なる希望的観測なのか?

 それとも、これが噂に聞く「女の勘」というやつなのだろうか。


「はあ……。まったく、我ながら非論理的」


 以前は、こんな考え方をすることはなかった。

「勘」などというあやふやなものは唾棄すべきものと考えていた。


 以前は考えられなかったといえば、もうひとつ。


 今の私には、たったひとつだけ楽しみがある。


 この最悪な状況に対する文句で、「アイツ」をどう問い詰めてやろうか。

 そうしたら、どんな困った顔をするのだろうか。

 それとも、馬鹿みたいに笑ってくれるのだろうか。


 それだけは少しだけ。本当に、ちょっとだけ。楽しみだった。



 §§§§§§


「まだ、魔道兵は戻らんのか」

 焦燥しきった声で、ジーク附きの執事オリヴィン・スミスが手近にいた兵に聞いた。

 魔道兵さえいれば、回復魔法でたちどころに快癒が期待できる。

 逆に言えば、それ以外でたちどころに怪我を癒す方法はない。


 叫びたい衝動を、彼は必死に抑えていた。


「はっ……騎馬兵がみなグスタフ様への増援と、異変に対する調査へ出払ってしまい、伝令にも時間が掛かっております……」

 兵は縮こまりながら答えた。


 何もかも。何もかも裏目に出ている。


 ジークはグスタフを救うため、一切の妥協なく戦力を砦への増援に投入した。

 そして、今後の事を考え、早期に調査を決行。


 そのため、いまこの場には魔道兵もいなければ、緊急的に魔道兵を呼び戻す騎兵も手元にはない。


(私が、もっと早くに気づいていれば。いや、そもそもあの怪しげな魔術師と引き合わせなければよかったのだ……)


 スミスが、ブラックロッドと名乗る中央大陸からの使者という肩書の珍客を、ジークと引き合わせてから数分後のことだった。


 妙な物音が気になり、スミスは応接室に入室し、主人のジークフリード・レッドフォードが血塗れで倒れているのを発見したのだ。

 仰天しつつも気休めにしかならない応急処置をしていた最中、ジークはかすれ声でスミスに懇願した。


「私の……〈氷〉の魔法具を持ってこい……すぐに……」


 ジークがどんどん青ざめ、冷たくなっていく。

 主人の意図は分からなかったが、スミスは何故を問うこともなく疾風の如く主人の部屋へ行き、すばやく魔法具を持ってきた。


 震える手でジークは〈氷〉の魔法具である、特製の刺突剣レイピアを掴んだ。


「〈凝結〉……!」


 迷うことなくジークは魔法を発動し――己の腹部を凍らせた。



「ジークフリード様!なにを……!」


「ぐ……う……」



 みるみるジークの腹部から温度が失われ、凍り付いてしまう。


 なんということを。


(緊急事態とはいえ、こんな方法で止血なさるとは)


 スミスは己の主人の機転と度胸に、震えるほどの敬意を抱いた。

 即断即決が取り柄の人だとは思っていたが、これほどの度胸まであっただろうか?


 そういえば最近、「エルトには負けられん」とこぼしていた。

 以前であれば絶対に考えられない言葉だ。


 (ジーク様は生来負けん気の強いお人。あれが原因なのだろうか……)



 それから数十分が経過。

 ジークフリードは腹部の刺し傷と氷魔法によるダメージで失神し、ぐったりと倒れている。


 この場にいる誰も、それに対する解決法を持たない。


(せめて、〈水〉の魔法具ひとつでもあれば!)


 スミスは歯噛みした。人目が無ければ地団太を踏んでいただろう。


〈水〉の魔法には、体組織を作り直して戦傷を治す魔法がある。

 それも、今は激戦が見込まれるグスタフ砦にすべて投入されている。


 スミスは老いて皺が増えながらも普段は端正な顔立ちをしているが、いまは見る影もない。



「あの、スミスさん」

 申し訳なさそうに入室してきた兵がスミスに話しかける。伝令兵だ。


「なんだ!戻ったのか!」

 無論、スミスが言っているのは魔道兵のことだ。焦りのあまり主語もない。


「いえ。あの……公爵令嬢を名乗る方がお見えなのですが……」



 §§§§§§



「――来い!ヴァルゼム!」


 その言葉には、とっておきの技で応えた。


「〈流火玉衝りゅうかぎょくしょう〉!」

 自身の大剣技、その精髄といっていい技のひとつ。


 オーガですら一刀両断した剣技だが、ドラゴンにも通用すると自負している。


 男は直前でわずかに身をかわされたものの、完全には避けきれていない。


 勝った。そう思った。



 その慢心をあざ笑うかのように、かろうじて剣で受け止めた貴族風の男は、もう片方の手のひらを向けてくる。


 そこから自身の身長を大きく超えるほどの大きさを持つ魔法球が形成され――爆裂した。


 巨大な衝撃波と共に白い炎が広がり、眼前を白く染めていく。


 一瞬だけ爆発音が聞こえ、爆風が周囲に広がり、周りが白く輝く魔素で満たされる。


 痛みと熱さが、一瞬だけ全身を通り抜けるように過ぎて行った。

 力が入らない。指先一本たりとも、動かせる気がしなかった。


 白い風景の中で、これまでの人生で起きた様々が想起される。


(俺は、なにを――――求めていたのだ。なぜ……)


 わからない。

 自分はどうして、「世界」などというものを望んだのだったか。



 その謎に行き着くことなく、後に世界から「覇王」とまで呼ばれ畏怖されるはずだった男は、この世から消滅した。

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