03 着ぐるみと魔法陣
梨奈は女子大付属の女子高に通っている高校二年生。百六十センチくらいの身長で、前は学園祭の寸劇で王子様の役を引き受けていたが、最近は魔女や王様など年寄りの脇役が多い。無鉄砲で大雑把で熱血漢で涙もろい。そして、突っ張らかってコケてしまう。
何だろうこの性格、ツンデレか? いや、ただのアホだ。
「ええとね、クリスティアン王子殿下? 私さっきこっちの世界に来たばかりだから、色々分からなくて無礼を働いたかもしれないけど、許して下さる?」
夢の中であっても、とりあえず我が身の保身である。不敬罪にされてはたまらない。自分では王子様を救ったつもりだった。
「しかし、この女マリア・シェルツ男爵令嬢は、三か月前からこの学園にいるが」
王子は梨奈が胸の上に抱えているヒロインの着ぐるみを、眉を顰めて指した。
「私、時々夢でこの世界の雑音が聞こえていたけど、ちゃんと向こうの世界にいましたよ。学校に行ってたし、ご飯もちゃんと食べてたし」
「ふむ。雑音とはどのような」
「なんかブツブツと、変な声のような音が聞こえるんです」
梨奈は胸元を覆っているヒロインの着ぐるみを引っ張った。よく伸びるゴムのようなシルクのようなソレに、綺麗なドレスが着せられている。顔が付いていてちょっと引いた。
ひらひらフリルのドレスは薄いピンクで、高価そうなレースがふんだんに使ってあるが、梨奈の趣味ではなかった。レース生地やフリルの布地をひっくり返して見ていると楕円形の模様が目に留まる。
「あら、これは何かしら」
着ぐるみの裏に楕円形のネームタグのようなものが印刷されている。
クリスティアン王子は口元を手で覆いながら上から覗き込んだ。
「それは魔法陣だ」
王子の顔がキリリと引き締まった。
胸のポケットから白いハンカチを取り出して、ブツブツと何かの言葉を紡ぐ。すると着ぐるみのタグがぼわっと光って、王子の持つハンカチに魔法陣が浮かび上がった。
タグの色が少し薄くなったような気がする。
梨奈の目が興味津々といった感じで、王子のハンカチと持っている着ぐるみのネームタグを往復する。
「今の、魔法の呪文なの?」
「そうだ。転写の呪文だ」
「あのう、私の世界には魔法はないんです」
「魔法がない──」
「はい。でも、ブツブツと聞こえる声は、クリス殿下の呪文と同じような、似ているような気がします」
「そうか……」
金髪の王子はしばらく考え込んでいたが、やがて言った。
「実は、私の記憶がこの二週間曖昧なのだ。先程、君が私の頭をた──」
「うわーー! ごめんなさい、ごめんなさい。殺さないで!」
梨奈は手に持っている着ぐるみを頭の上まで上げてしゃがみ込んだ。不敬だ。王子を引っ叩いた不敬罪で処刑される。
「……」
王子は無言でそれを見て息を吐いた。
「コホン」
クリスティアン王子はもう一度仕切り直す。
「異界の乙女リナよ、殺さないから落ち着いてくれ」
「本当……?」
リナは着ぐるみを目元まで下げて聞く。処刑とか勘弁して欲しい。
「とにかくお陰で意識がはっきりとした。君にはお礼を言いたいぐらいだ」
梨奈はそれを聞いてやっとホッとした。どうやら不敬で処刑は免れたらしい。
クリスティアン王子は着ぐるみを指して言う。
「私はこのような女性は好みではないのだが、最近ずっと一緒にいたようだし、今日も何か仕出かしてしまったのではないか?」
綺麗な青い瞳で、じっと梨奈を見る。
「遠慮なく言ってくれないか。君は率直に言ってくれそうな気がする。今、君に聞いておいた方が良さそうなんだ」
梨奈は少し迷った。しかし、こういう事ははっきり言った方が良い、どうせ一蓮托生なんだし、と思い直して単刀直入に告げた。
「あなたはホールの真ん中で、綺麗な銀髪のお嬢さんに婚約破棄を言い渡していらっしゃいました。私があなたの頭を叩いたのは、余計なことをこれ以上言わないよう、お止めしたからなの」
王子は頭を抱えてしまう。
「クロチルド・ラフォルス嬢は公爵家の申し分のない令嬢だ。申し訳ない事をしてしまった。謝罪に行かねばならんな」
「婚約破棄は間違いでしたって言えばいいのでは──?」
「いや、皆の前で口に出してしまった以上、もうどうしようもない」
クリスティアン王子は両手で顔を覆った。
この男はヒロインに魅了されて婚約破棄をしたバカ王子ではないのか。割とまともなことを言っているが。首を傾げて王子を見る。
最近は悪役令嬢が主人公の話が多いし、令嬢はたいてい他の人とくっ付いて、バカ王子はざまぁされるけど、この人はどうなるんだろう。断罪をしていないから少しはマシだろうか。
しかし王子様はすぐに立て直した。
「とりあえず王宮に行こう。父上に報告せねばならん」
(立ち直り早いじゃん)
王子は梨奈を振り返り聞く。
「リナはそれを着れるか?」
「コレ?」
手に持った着ぐるみを見る。
今更ドレスだ何だというのもめんどくさい。ドレスはひとりでは着られないと本で読んだ。下着もコルセットとか色々あるだろうし。
「侍女を呼べばドレスは手に入るが、君のことは誰も知らないから、その顔でここから出ると咎められるかもしれん」
「そういえばそうですね」
梨奈は此処では部外者の不審人物だ。異世界から来たと言って誰が信じるだろう。この王子は信じてくれたみたいだが。しばらくヒロインに成り済ますしかないのだろうか。着ぐるみを着たくはないが仕方がない。
「ちょっとやってみますね」
着ぐるみに腕を通して王子殿下にファスナーを上げてもらう。自分の身体にピタリと添った。何か着ている感があるけれど。
どういう仕掛けでこんなにぴったりなのか。中身が素っ裸だからか?
何となく理不尽で納得がいかない。
タグが薄くなった所為か、ブツブツという声がかなり小さくなっている。
「短時間だったら大丈夫そうです」
「そうか」
クリスティアン王子は頷いてドアに向かう。
ドアを開けて外の誰かと話をしているようだ。取り巻きだろうか「正気に戻るまで……」とか「家に帰れ……」とか切れ切れに聞こえる。
王子が外で相談している間、部屋の鏡に気付いて見ると、ピンクの髪で可憐な感じの少女が映っていた。胸が大きい。
「ふーん?」
ドレスの胸元を引っ張って中身を見て、持ち上げてプルプルと揺らしていると、「行くぞ」と王子がげんなりした様子で声をかけた。
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