02
◇ ◇ ◇
洋平と夏弥の妹達もまた、偶然県立三條高校に通う一年生だった。
四者全員同じ学校という好都合を活かし、洋平はすぐに行動に出た。
同居人のチェンジを提案してきた直後、洋平は夏弥の首根っこをつかむと、廊下を引きずり回す勢いで一年生の教室へと向かった。
無論、この昼休み中に二人の妹を説得するためである。
「お、おい! 洋平! わかったから。自分で歩くって!」
「待ってろ俺のユートピアァァ!」
ユートピアとは、つまり理想郷を意味するのだが、同居人の交換くらいで手に入れられるなら、彼の理想郷はずいぶんと安い理想郷である。
「よし、秋乃の教室から行くか。二組でいいんだよな?」
「っはぁ。そ、そうだけど……。何もそんなに慌てなくても、時間あるだろ」
ようやくシャツの襟を放してもらえた夏弥は、息を整えつつ洋平の顔を見た。
その視線の先には、一年二組の教室の端っこで、孤独にもスマホの音ゲーに熱中している秋乃の姿があった。
わかめのように縮れた黒髪に、大きめの黒縁眼鏡。白いヘッドホンで両耳を塞ぎ、どこか凄みのある指裁きをみみっちいスケールでくり出している。
前傾姿勢にスマホ肩。良い子はもう少し画面から離れて見ようね! とお馴染みのテロップでも付きそうな様子だ。
夏弥は、自分の妹ながらここまで陰キャらしい陰キャに育った事を、どちらかといえば嘆いていた。
「はぁ」
残念な妹に夏弥がため息を一つこぼしていると、カツカツと足音を立てて洋平が教室の中へ侵入していった。秋乃の座る端っこの席まで、迷いなくその足は進んでいく。
「お、おい、洋平!」
途中、秋乃のクラスメイト達が「あの人誰? 超イケメンなんだけど!」と黄色いヒソヒソ話を囁いたりなどしていたが、洋平はお構いなしだった。
「おーい、秋乃ー?」
ヘッドホンで聞こえていないと察した洋平は、そのヘッドホンを強引に外して秋乃の顔を覗き込んだ。
「はっ? ああ⁉ あ、洋平。じゃなくて! もうちょいでフルコンだったのに何してん⁉」
「ああ、悪いな~。少し相談があるんだよ」
洋平は確かに「超イケメンなんだけど」と囁かれるほど綺麗な造形の顔立ちである。
しかしながら、秋乃からすればなんて事はなかった。
それは従兄のお兄さんくらいの感覚でしかない。
「私のフルコン邪魔するくらい大事な相談?」
「まぁそう怒らないで。大切な話っちゃ大切な話なんだ」
洋平と秋乃が話している間、夏弥は教室の入口のそばに立っていた。
しかしどうにも居たたまれない気持ちである。
去年は当たり前のようにこの辺りの廊下をうろつけたというのに、進級した途端にこれだ。
「――というわけなんだけど、いい?」
「わかったよ。好きにやってよ。私はゲームに戻るっ」
そう言って、ざっと説明された今回の提案を秋乃は呑み込んだ。
すちゃらとヘッドホンを装着する。
洋平は、一年二組の教室から出てくるなりしたり顔で言った。
「あとは美咲だけか」
「思ったけど、洋平がラインで訊けばいいんじゃ……?」
「確かに! わざわざ来なくてよかったじゃん。秋乃のほうも夏弥に訊いてもらえばよかったわ。ははっ」
洋平は、一時的なハイテンションのせいで、スマホという文明の利器さえ見落としていたのかもしれない。
夏弥はそう感じつつ、早く自分の教室へ戻りたい気持ちに駆られていた。
そして洋平が美咲へ送ったラインの返信は意外にも早く、兄妹でお互いいがみ合っているせいか、提案はさっくり認可されたのだった。
ただし、直接相談した秋乃も、ラインで相談した美咲も、示し合わせたかのように追加の意見を出してきた。
それは、「移動するのもめんどくさいから、言い出しっぺが動いてね」というごもっともなものだった。
「フフ。これで万事オーケーだ。俺のユートピア復活も容易なもんだわ」
二年の教室に戻りながら、洋平は喜びの舞をそこで披露していた。
有頂天に手足が生えたらこんな感じだろうか、と夏弥は少し冷ややかな眼差しを向けている。
「……あのー、洋平君。今更悪いんだけど」
「え? 何? 俺、今とんでもなくハッピーなんだけど?」
「御三方の合意形成は出来ただろうけど、はてさて俺の意見は?」
「あ~、今日からついに美咲とお別れかぁ! 早速今日誰かと遊ぼうかなぁ~」
「あの、だから、俺のいけ――「やぁ~俄然やる気になってきたわ! 日々の活力に繋がるっていうか? うんうん。いやぁ、感謝してるぜ相棒! イチャつくためには我関せずな
夏弥の意向より、自分の心の高ぶりに浮かれ騒ぐ洋平だった。
もはや理性ではなく、本能にハンドルを握られてしまっているのだろう。
「はぁ。まだ五月だぞ? 進級早々プライベートでもクラス替えかよ」
「じゃ、はいこれっ」と、夏弥が手渡されたのは小さな銀色の鍵だった。
「おいおい、マジなのか?」
「冗談で昼休み妹達に会いに行かないだろ?」
夏弥も多少見覚えがある。この鍵は、洋平が現在暮らしているアパートの鍵だ。
鍵の譲渡により、イコール今回の話が酔狂な冗談や嘘っぱちなんかじゃないという事実が、そこにありありと現れているようだった。
「にしてもキーホルダーの趣味……」
「可愛いっしょ? 元カノのプレゼント♡」
「洋平は元カノのプレゼントを取っておくタイプと。いや? 女々しくも過去を引きずるタイプだと」
「物は大事にするタイプだと言ってほしいね。別に夏弥、クマは嫌いじゃないだろ?」
「まぁいいんだけどさ、なんでも」
洋平の部屋の鍵は、至ってシンプルなツキノワグマのキーホルダーが付けられていた。リアル志向なのか、モン〇ンのフィギュア並みに毛並みやら牙やらのディテールが細かい。
「んっ!」
「え?」
「夏弥ん家の鍵は?」
洋平の差し出してきた手のひらの意味を、そこでやっと理解する。
「あ、ああ……ていうか待って? いきなり鍵渡されても。服とか諸々どうすんだよ?」
「あっ、確かに」
夏弥はほぼ無意識に質問してしまっていた。
彼は案外自分が、この馬鹿げた思いつきに乗り気である事に気付いていなかった。
「まぁ俺と夏弥って、あんまり身長も体型も変わらないし、そのまま自由にお互いの服使うって事でいいんじゃね?」
「うーん……それはある意味合理的なんだろうけど、若干『そういう関係』のようで気が引けるんだが……」
「ぶはっ、それもそうだわ、ははっ。じゃあ、服に関しては後日バッグに詰めてちょっとずつ学校でお互い受け取る事にしようぜ? それなら出来るだろ」
「まぁ、そうするか。指定があればラインするって事で」
洋平の突飛な思いつきに振り回されつつも、結局はなんだかんだ提案を呑み込んでしまっている夏弥だった。
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