第10話 牽衣頓足(1/4)

 基礎魔法の勉強をしたあの日から5年が経った。

 フーリアさんの家庭教師の仕事は、僕が一人でもいられるようになるまでが任期だったが、父さんと母さんの温情と言うべきか、もはや家族に近しい人になっていたフーリアさんを、父さんと母さんはどうしても家から離したくなかったらしい。


 フーリアさんは正式的に、僕の家庭教師からお手伝いさん、いわゆるメイドになった。

 

 フーリアさんがメイドになったからと言って、何かが変わったわけでもなく、僕はいつもどおり魔法学校へ行くための魔法の勉強を教えてもらっている。


 また、精神が異世界の生活に適応してきたためか、一人称が変わったり、精神的な面で変化が見られるようになった。


「リーバが自分で魔法学校に行きたいっていうのは、俺たちにとってスッゲーうれしいことだ!」


 父さんたちはそう言って、僕が家から遠い魔法学校に行くことには反対をせず、逆に喜んでくれた。


 父さんたちは子供を離したくないと言って、反対してくると思っていたが、意外とすんなり悩みを解決した。


 しかし、ある程度の悩みも解決はしてきたのだが、一つだけ解決しきれていない問題がある。


 それは、フーリアさんの僕達に対する遠慮がまだ残っているということだ。


 一応、巣となっていた物置からフーリアさんを退かすことはできたのだが、今度は僕の部屋の前の廊下に寝床を敷いてしまった。


 僕も「部屋のふかふかのベッドで寝てはくれませんか?」と言ってはみたものの、どうしても「大丈夫です」「私はここで十分です」の二点張りで一向に部屋で寝てくれない。


 一度だけ、「今日は父さん達は用事があるそうなので、ベッドを使っていいらしいですよ」と、僕と父さんと母さんとで協力して、フーリアさんをベッドで寝かせようとしたが、これもあえなく撃沈。

 父さんと母さんが夫婦仲良く野宿するだけに終わった。


 それ以外の話では、フーリアさんは村の人達とも仲良くなった。

 

 僕の勉強が無い日は、村の子供達と仲良くおにごっこやかくれんぼをしていたり、買い物から帰ってきたと思っていたら、両手いっぱいに村の人達のおすそ分けを持ってきたこともあった。


 村の人が言うには「ちっこくて可愛いのがいたら、つい優しくしてしまうもんだろ?」らしい、まあわかるけども。

 


 しかし、ある日を境に、僕以外のみんなが暗い顔を度々するようになった。

 父さんや母さん、フーリアさんだけでなく、村の人達までもが。

 暗い顔をしないのはせいぜい村の子供達ぐらいだ。


 僕がなぜ暗い顔をするのかと大人たちに聞いても、「となりのエルマさんがぎっくり腰になっちまって……」や「コケて怪我したんだよ」と言って誤魔化すのだ。そんな理由ではあんな暗い顔は普通しないのに。


 それと、もう一つ不思議に思うことがあった。

 村の大人たちが暗い顔をするようになってから、父さんも母さんも僕を連れて街へ行かなくなったのだ。


 大体が僕をどちらかに預けるか、フーリアさんに預けるかして買い物へ行く……不思議だ。

 一回だけ僕一人で買い物へ行こうと思ったら、フーリアさんが脅威の察知能力で僕を捕縛してきた。




 そんなある日、フーリアさんからあることを告げられた。


「リーバくん、来月に魔法学校の試験があります。今の君なら十分に合格できる素質がある。受けに行きましょう」


 フーリアさんが突然そう言ったので、僕は反射的に「え……?」と言ってしまった。


「その、手続きは……?」

「してあります」


「僕、実技試験って何をすればいいか……」

「今まで学習してきたことを活用していけば良いです」

 

「支度もしてないし……」

「支度ぐらい、魔法学校に行く半月前にしておけばいいでしょう?」


 と、僕がした言い訳に近い言葉を、フーリアさんは次々に即答していった。

 

「その、不安なんですけど……」


 僕がそう言うと、フーリアさんは深くため息を吐いて言った。


「不安でいつまでも逃げられるとは思わないでください。時はいつかやってきます。その時のための勉強なんですよ。逃げるのではなく、立ち向かうためにしてきた勉強なんですから、不安ではなく、自信を持ってください」 


 僕はそうフーリアさんに諭されてしまった。

 正直、魔法学校の試験は怖くない。

 いや、怖くない訳では無いが、もし魔法学校に合格してしまって、フーリアさんと別れてしまう事の方が怖い。


 フーリアさんとは、身長も僕が越してしまった。

 顔つきも若干だが、僕のほうが大人びてきた。

 どちらかというと、僕のほうが兄に見えるようになってきた。

 それでも、僕は教え子で、フーリアさんは先生なんだ。

 それでも、僕は子供のようなワガママで、フーリアさんのそばに居たがっているのだ。

 彼女は、僕にとって先生で、姉で、理想なのだ。


 僕はいつの間にか涙を流していた。


「どうしたんですか!?」


 フーリアさんは驚いて僕に駆け寄ってきた。

 フーリアさんは周囲を見渡して、何かの生物がいないか探している。治癒魔法を使う気なんだろう。


「先生、大丈夫です。どこも痛くはありませんから」


 僕は涙を拭いてそう言った。


「では、私がなにかをしたから……」


 フーリアさんはそう言って、オドオドし始めた。無意識に何かをやろうとしているのか、フーリアさんの手があちらへこちらへと動いている。


「と、取り敢えず、落ち着いてください」


 フーリアさんは僕の背中を擦り、落ち着かせようとしてくる。

 

 僕は、なんて子供っぽいのだろうか。

 これがもう20を過ぎた社会人の姿なのだろうか。いや、異世界での時間も合わせると優に30年は生きたことになる。十分におっさんだ。


「わかりました。魔法学校の試験を受けます」


 僕は決意してそう言った。

 すると、フーリアさんは一瞬だけ固まって、次にゆっくりと僕に微笑みかけた。


「よく言いました。それでこそ私の生徒です」


 フーリアさんはそう言って、僕の背中をバンッと力強く叩いた。フーリアさんなりの鼓舞だろう。

 小さい手から放たれたその一撃は、さほど痛くはないが、頑張ろうと思える力が篭もっている。


「では早速準備に取り掛かりましょうか」


 そう言って、フーリアさんは物置の方へと向かっていった。



 

 ──僕はその時に見逃さなかった。

 フーリアさんが振り返り際になにやら儚げな表情をしていたことに。

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