第8話 遠慮

 昨日の小さな歓迎会が過ぎ、夜が明けた。

 フーリアさんは俺たちとは別の部屋に寝ることになった。

 父さんはベッドのある部屋で寝たほうが良いと言ったが、フーリアさんは「私はただの家庭教師ですし……」と言って物置で寝袋を使って寝たのだ。

 俺もフーリアさんに「部屋で寝たほうが良いですよ」と言ったが、それでもフーリアさんは頑なに物置で寝ようとするのだ。


 申し訳無さを感じているのだろうか、昨日の歓迎会でも肉には手を付けていなかった。宗教関連で肉が食えない、肉がただ単に嫌いな人、というなら話はそこで終わりだが、フーリアさんの場合はどうも遠慮して肉に手を付けていない様子だった。


 なんとかしてフーリアさんの遠慮を解かせなければならない。

 そう思った俺は、下の階のフーリアさんが寝ている物置へと向かった。


 しかし、俺が物置へ向かうようなことをせずとも、フーリアさんは俺の部屋のドアを開けようとしていたようで、俺は勢いよく開くドアに頭をぶつけてしまった。


「いた!?」


 痛いとも、居たとも取れるような声で俺はそう言う。


「大丈夫ですか!? まさか扉の前にいたとは思わなくて……」


 フーリアさんは俺の様子を心配してか、慌てて倒れ込んだ俺のもとへと駆け寄った。

 

「大丈夫です……。ちょっと頭をぶつけただけで……」


 俺が頭をさすりながらそう言うと、フーリアさんはより慌てて、「大変……ちょっとまってください」と言って、何かの準備をし始めた。


 フーリアさんは周囲を見渡して、床に一匹の虫が居ることに気がつくと、それを素手で触って何かの詠唱をし始めた。


「生と死の女神よ、この者の命を献上いたします。ですのでこの聖者の苦痛をお和らげください」


 フーリアさんがそう唱えると、頭を扉にぶつけた痛みがどんどんと引いていき、最終的には無痛と言えるほどまでに痛みが引いた。


「治癒魔法ですか?」


 俺がそう言うと、フーリアさんはホッとした表情をして「そうですよ」と穏やかな声で喋った。

 

「命を引き換えに傷を治すんですか?」


 俺がそう聞くと、フーリアさんは少し悲しそうな顔をして「そうですよ」と言って、フーリアさんは続ける。

 

「治癒魔法は生物の生命力を使って、傷を癒やすんです」


 傷を癒やすのに等価交換が必要なのか。

 治癒と言うより、ゲームにあるようなHPを吸収するようなものだと考えたほうが良さそうだ。

 おそらく、治癒魔法と詠唱魔法で分けられているのは、詠唱魔法とは違う条件で発動しなければならないからだろう。


「すみません、今度からは気をつけます」


 フーリアさんが申し訳なさそうな声でそう言って、俺に頭を下げた。

 フーリアさんの遠慮をなくそうとしたら、遠慮されるどころか、逆に申し訳無さを植え付けてしまった……。


「そ、それよりも、何か用ですか? 先生」


 俺がそう言うと、フーリアさんは何かを思い出したようで、ハッとした顔をした後に俺にこう言った。


「あぁそうでした。今日は森に行って魔法の勉強をしますよ」


 そう言えば昨日確かにそんなことをフーリアさんが言っていた気がする。

 あれ? 語学と算数の勉強についてはいいのだろうか?

 

「先生、魔法の勉強をするのはいいんですが、語学と計算はいいんですか?」


「その二つは試験にはありませんし、計算に関しては君は優秀ですから」


 そう言ったフーリアさんは俺に手招きをして、階段を降りていった。

 俺はフーリアさんの後ろをついて行く。


 フーリアさんは、フードのついている茶色いローブを羽織り、右手には大きな魔法の杖を、左手には魔術書やお昼に食べるお弁当などが入っているバッグを持っている。


「いくら昼間の森といえど、魔物が出る可能性もありますし、地形が複雑なので足元が安定しません。気をつけて歩いてください」


 そう言って、フーリアさんは小さい体でスイスイと目の前にある大岩を登っている。

 その動きには一切の無駄がなく、どこかで経験を積んでいるのだろうと、素人目でも分かった。


「先生、ロッククライミングとかやってたんですか?」


「ロックライミング……? 岩登りなら冒険者時代に嫌というほどやってきましたよ」


 なるほど、フーリアさんは家庭教師になる前は冒険者をやっていたのか。

 確かに一人だけでやる分には、冒険者は見た目のことではとやかく言われなさそうな職業だ。その分危険ではあるが。


「うん、ここらでいいですかね」


 フーリアさんの目の前には、今までの狭い木と木の道とは打って変わった、広い土地が目の前には広がっていた。

 その広い土地は学校の運動場ぐらいの広さはあり、ここ一帯だけ不自然な程に木が生えていなかった。


「先生、ここは?」


 俺がそう言うと、フーリアさんは辺りを見渡して、何かを考察した後に言った。


「この広場の中央に家の柱に似た残骸があります。おそらくは昔の魔女がここを住処にして、ひっそりと暮らしていたのではないでしょうか」


「魔女……ですか」


 その魔女の家の亡骸は非常に黒く、おそらくは燃やされたものであろうことが分かる。

 地球の中世ヨーロッパでは魔女狩りが流行していた。地球とは違うものであってほしいが、次のフーリアさんの言葉で、その願いは消えた。


「魔女は元々、差別されていた人種でした。魔法の美に限りなく触れ、魔人化した彼女らは、外見の美しい顔とは裏腹に、醜い角や羽が生えていたそうです。

 おおよそ人間とは違う、人間とは思いたくないものを、人々は忌避し、排除してきたのです。

 この建物は、そう言った名残の負の遺産ですね……」


 フーリアさんはすこし悲しそうな顔をしてそう言った。

 幼少期に魔人化しかけた彼女にとって、魔女の迫害の歴史には思う所があるのだろう。



 その後、俺はフーリアさんに一通りの簡単な詠唱魔法を教えられた。

 まだまだ上手くは使えないが、それでも時間をかけて上達していくのが重要だとフーリアさんも言っていたし、頑張っていこう。


 一通りの勉強を終えたあと、俺はフーリアさんに話しかけた。


「フーリアさん」


「なんですか?」


 フーリアさんはお昼ごはん用に持ってきたパンを口いっぱいに頬張っている。


「遠慮、してませんか?」


 俺はフーリアさんにそう言った。

 フーリアさんはもぐもぐしていた口の動きを一瞬止めた。

 こういう時は本人に直接聞くべきだと、ばっちゃが言ってた。


「遠慮なんて……私はしてませんよ」


 「ハハハ……」と力のない笑いが、その言葉が嘘だということの判断材料になっている。

 おそらくフーリアさんは演技が苦手なんだろう。本人は必死に誤魔化しているつもりなんだろうが、バレバレだ。


「何で遠慮なんかするんですか? 普通に接してくれればいいのに!」


 俺は子供のみが持っている、純粋無垢の特性をうまく活用しながらそう言った。

 こういう時は持っているもの全てをフル活用していくもんだ。


「えっと……えー……」


 フーリアさんは説明が難しい、と言ったような顔をしている。


「えっと、何ででしょうね……? あはは……」


 フーリアさんの防御は思ったよりも固く、フーリアさんが遠慮をしている原因を誤魔化されてしまった。

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