(そして家路につく その3)

「メリットがない……」


 そうボソッと、ロアは呟いた。


「私がここにいても、あなたたちにはなんの益もない。それどころか、また裏切るかもしれないっ」

 

 どうしても段々と声が大きくなってしまうのをロアは止められなった。


「どうして、あなたたちは、そう人を信じられるんだ!」


 最後はほとんど絶叫にも近い叫びだった。


 そんなロアの姿をレイは静かに見つめていた。


「その答えは、もうメリーちゃんが言ったやんな。むしろ、『人間不信』のロアにはこっちやねんな?」


 話したはずのない『人間不信』のことよりも、ロアにはその後に続く言葉が怖かった。


「どうやったら、人を信じられるか?」


 やめて、やめてくれと、ロアはレイさんに向かって手を伸ばす。


「どうして両親を信じられんかったか?」


 それを聞いてロアは膝から崩れ落ちた。


 ロアが『人間不信』に成ったのは、確かに両親に売り飛ばされたと知らされたあの時だった。


 だが、ロアが人間不信なのは、ロアがロアに成ったときからだった。ロアという自我がこの世界に定着した、あるいは生じた時からの話だった。



 そう、彼女はこれまでだれのことも信じることができていなかった。


 だとしても、あのまま、厳しいけれど立派で、その根底には確かな優しさのある両親のもとで、暮らすことができていれば、きっとそれでよかった。


 『人間不信』に成ることもなかっただろう。


 けれど、現実はいつだって非情なものだ。


「わ、わたし、私は……」


 両手でロアは顔を抑える。けれどあふれる涙は指と指の間から零れ落ちて、地面へととめどなく落ちた。


「……私は、両親のことを信じたかった……」


 私の両親が、私を売り飛ばすはずがないと、そう心の底からロアは言いたかった。彼らを信じたかった。


 それなのに、そんなロアの思いをあざ笑うかのように、彼女のじがは、両親に売り飛ばされたことを、さも当然のごとく受け入れた。裏切られても何の不思議もないというように。


 最初から、ロアは2人のことを何も信じていなかったのだから。


 信じようもなかった、ただそれだけのことだった。

 

 しかしながら、信じられないからといって、信じたくないという訳ではない。


 ロアの両親を信じたいという思いは本物だった。何かの間違いなのだと信じたかった。けれども、ロアの心は、どうしても本心として両親を信じることはできなかった。


 そして、その板挟みに苦しみ続けることに疲れたロアは、やがて誰かを信じたいという思いを心の奥底に封印したのだった。


 それなのに、私は出会ってしまった。あなたたちを信じたいと思ってしまった。


「でも、だめなんだよ。信じたいと思えば思うほど、信じられなくなる。

 辛いんだ。苦しいんだ。耐えられないんだよ。こんな思いをするくらいなら、私は誰のことも信じたくない」


 そう言いいながら、どうしようもない思いを抱えてロアは走り出した。レイを置き去りにして。


 こんなことをしたってどうにもならないことは分かっている。でも、逃げ出したかった。少しでもこの苦悩から逃れられるなら。


 ひたすら続く道をただただずっとかけていく。草原を抜け、森を抜け、気づけば小高い丘の上で、横になっていた。


 体を動かそうとしても指一本動かない。息をするのがやっとだった。


「無茶するやんな」


 ばしゃっと顔に水がかかる。いつのまにかレイさんが体育座りで横に座っていた。彼女は、おそらく瞬間移動ができるのだろうなと酸欠で回らない頭でロアは思った。


「別に信じなくたってええんよ。両親と暮らしてた時はそれでええって思ってたんやよ。それと同じやから。


 ただ、一緒に暮らそう。それだけでいいんやよ」


 優しく頭をなでてくれるレイさんにロアは何も言えなかった。ただ、昔、同じように母親に頭を撫でられたことを思い起こした。もうずっと昔に、忘れ去った記憶のはずだったのに。


「いつかきっと分かるようになる。メリーちゃんの言葉の意味も、なんでロアが、人を信じられんのかも。だから、少なくともそれまでは、ここにいてもいいんじゃないん?」


 言葉にはできなかった。でも、代わりに一度、ロアは深く深く頷いた。

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