第24話

 鋭い風切り音を捉えた瞬間、守矢は振り向き様に裏拳を放っていた。

 金属質な音が響き、拳が何かを弾いた感触が残る。アスファルトの上に突き刺さった黒い羽根が、光を反射して輝いた。

「……また覗き見か、烏丸」

「臆病って言って欲しいわね」

 守矢は声のした方を見上げた。地上十階ほどの位置に、水に色を溶かしたように人型が浮かび上がった。色が付き、翼で空を打つ烏丸の姿が現れる。見下すような眼を守矢に、そして先程まで黄田がいた場所へと向けた。

「まさか、あんたが黄田と篠原に勝っちゃうとはね」

「お前等にばかり都合良くいかせるか。下りてこい」

「馬鹿ね。そう言われて、素直に下りていくと思う?」

「だろうな」

 言うが早いが、守矢が跳んだ。

『D・I Signal』の光が宿った拳を握り、一直線に烏丸へと迫る。

 しかし烏丸は余裕の笑みを浮かべたまま、さらに翼をはためかせた。

 ぐんと上昇し、倍以上の高さへと飛び上がる。足下を空しく素通りする守矢を見て、烏丸は大袈裟な笑い声を上げた。

「届くわけがないでしょう? 笑い殺そうとしてるわけ? だったら成功するかもね」

「っ……!」

「空も飛べない奴が、私に勝てるわけ無いでしょ。ああ、そうそう。残ってたヘリはちゃんと壊しておいたから、安心してね」

 舐めきったようにウインクを送ってくる烏丸を見上げ、守矢は近くの街灯の鉄柱を殴りつけた。八つ当たりを受けた鉄柱が、あっさりと半ばから折れて倒れる。

「器物破損よ、それ。ヒーローがそんなことしたら、怒られるんじゃない?」

「黙れ……!」

「あら、怖い。怖いから私はそろそろ帰るわ」

「――帰る?」

 あまりにも当然のような言い方に、守矢は思わず拍子抜けしたような声を上げた。

「こっちの部下も、生き残ってるのは撤退させたわ。今回はこれぐらいにしてあげる。何だったら確認してみれば?」

 烏丸の言葉に従ったわけではないが、守矢は慌てて通信を入れた。烏丸との会話を聞いていたらしく、藍の返答はすぐにあった。

『――敵の言う通りのようです。他の機関からも、グレイラーの撤退が報告されています』

「……お前等の目的は弓埜の拉致と、新兵器の――この新型高機動戦闘員の破壊だろう」

「途中まではね」

「途中?」

『――君が黄田を倒すまでは、ということだ』

 唐突に、藍ではない、中年の男の声が通信に入ってきた。

 腹に響くような力強さを感じる低い声。守矢の記憶のどこかに、その声が引っかかった。烏丸を見るも、いつも通り、何かを企んで楽しんでいるような、嫌な笑みを返してくる。

「……誰だ、お前?」

『忘れているのも無理はない。そもそも、君とまともに話したことが殆ど無いからな』

「何だと?」


     §


「――父さん?」

 藍が呆然と呟いた。間宮が、鵜飼が、瀬尾が、驚いたように目を見開いて藍を見る。

 その狭い範囲の沈黙が、発信源不明の外部通信にざわついていた司令室に、次第に拡大していき、やがて室内が静まり返った。

『声だけだが、久しぶりだな。藍』

「……本当に……父、さん?」

 藍は戦慄く唇をどうにか動かし、手元の端末越しに問いかけた。端末を挟むように置いた手が、禁断症状の出た病人のように震え出す。

『そうだ』

 返ってきた声を聞いた途端、藍の眼から涙が溢れ出した。側で唾を飲み込んだ間宮が、確認するようにゆっくりと口を開いた。

「弓埜仙治博士、か?」

『その声は間宮長官ですか。お久しぶりですな』

 弓埜仙治は淡々とした声で返した。懐かしさを楽しむ響きは欠片もない。どうでもいい話題について、事実のみを口にしているようですらある。

『こちらの者が、色々と迷惑をおかけしました』

「こちらの、って……」

『烏丸達から聞いているだろう。私が『Peace Maker』側に寝返った、と』

 再び司令室内がどよめいた。お互い顔を見合わせる者、説明を求めるように藍や間宮を見る者、反応は様々だったが、共通しているのは信じられないという表情だ。

 しかし視線を向けられている間宮も、震える藍を見つめていた。

「……嘘でしょ?」

『本当だ』

「嘘!」

『科学者なら目の前の事実を認めるんだ』

「っ――どうして!?」

 怒りと悲しみがない交ぜになった藍の叫びが、司令室内に響き渡った。

 力任せに机に拳を打ち付ける。伝わってきているはずの痛みさえ、今はまるで感じない。血が出そうな程に爪を食い込ませて、藍は拳を振るわせた。


『どうして、か。……科学者だから、だな』


 その一言で、藍は理解した。目の前が暗くなる。実際には司令室内部が見えているが、何が何なのか認識が出来ない。

 科学者としての考え方と、人間としての考え方。父の裏切りを敵に聞かされてから、本部の中で守矢に話したことが脳裏に甦り、父の言葉と組み合わさっていく。

「……どういう意味だね?」

 言葉を失い、頭を抱えるようにして項垂れた藍に代わり、間宮が尋ねた。

「君は『Peace Maker』に拉致されたんだろう。何故敵に」


『言ったでしょう。私が科学者だから、ですよ。確かに最初は拉致されて、強制的に研究させられていました。しかし次第に、私は彼らの技術に魅せられた。表の世界では決して実現することの出来ない科学と、人間の可能性に。……その結晶が、特災機関で言うキマイラという人間です。彼らは、彼らに使われている改造技術は素晴らしい……!』


 次第に静かな熱を帯びていく弓埜仙治の声音に、間宮の眉間に皺が寄っていく。

「何が素晴らしい。躊躇いもなく人を殺す連中の、何が……」

 間宮が口を開く前に、瀬尾が怒鳴った。

 椅子から腰を浮かし、しかしすぐに医療班に押し止められる。まだ血が足りていない。無理をすれば倒れかねない。

『確かに、倫理面ではそう思われるかもしれない。しかし彼らにも色々と事情がある。君は確か瀬尾君だったな。躊躇いなく人を殺すのは、君も同じだろう』

「命懸けの戦闘になれば、だ! しかし連中のように、無関係の一般市民に手を出すということはない!」

『勘違いしてもらっては困るが、こちらも一般人に危害を加えるのは本意ではないさ』

「信じられるか! 今まで何人、無関係の人間を殺してきた!?」

『さぁな。だが、悪いことをしたとは思っているよ』

 しかしその口調に、謝罪の気持ちが無いことは、藍だけではなくその場にいる誰もが感じ取っていた。

 藍がゆっくりと顔を上げた。髪が乱れ、頬には流れた涙の筋がいくつも出来ている。小刻みに震える口元の奥から、微かに歯のぶつかり合う音が鳴る。しかし赤くなった瞳には怒りや悲しみ、さらには殺意までもが揺らめいていた。

 まるでそこに父がいるかのように、司令室のメインモニターを睨み据えた。


「父さん……一体何がしたいの?」

『何が、とは?』

「組織で使っていた機械を私に送ってきた。私を連れ去るのかと思ったらそれも止めた。わざと新兵器を使わせて、それを壊そうとした……わけが分からない」

『あの装置は、後々お前の役に立つかもしれないと思ったからだ。生き残りの戦闘員やキマイラを見つけ出して、お前の研究材料にでもすればいいとな。実際守矢を見つけて役に立ったようだし、良かったよ』


 瀬尾は不審そうに藍の横顔を見た。

 間宮や鵜飼には理解できたが、瀬尾には何のことか分からない。そもそも守矢という男が何者かすら聞かされていないのだ。


『拉致に関して言えば、こちらの人材不足というのが一番の理由だ。お前ほどの頭脳が手に入らなくてな。まぁ、特災機関に痛手を与える、という意味もあったが』

「……ならどうして止めたの?」

『小宮病院で、お前が守矢に話していたことを烏丸から聞いてな。きっと何かを作っているだろうと予想した。さっきも言ったが、表の科学、特災機関には限界がある。しかしお前ならばあるいは、とも思った』


 状況が違っていれば、親馬鹿とも思える発言。藍に向けられたその声音は、誰が聞いても真摯な響きをもっていた。どれだけ歪んでいようと、本音なのだろう。


『だから何を作ったのかを見届けたかった。限界に負けず、お前の才能が何を生み出したか。黄田に負けるようなものであれば失望していただろうが、お前は見事に作り上げた。新たな高機動戦闘員をな。欠陥品だったあれを、立派に完全な物に変えた。私が思った通り、やはりお前は天才だ』


 到底正気とは思えない言葉を聞き、藍は奥歯を噛みしめて、唸るように呟いた。

「勝手なことを……」

『お前の才能が、どこまで成長するのか見てみたくなった。だから計画は中止した。正直言って、これからの戦いが楽しみだよ』

 暗い喜びを含んだ声に、マッドサイエンティストという言葉が、全員の頭に浮かぶ。鵜飼など比べものにならない。蘭に向けられるのが、哀れみの視線に変わった。

 藍は目を閉じると、怒りを押し殺した声で告げた。


「一つだけ……お願い」

『何だ?』

「南雲さん、雨田さん、水崎さん……あの三人に謝って」


 藍を見ていた瀬尾と間宮の視線が、険しいものになる。特災機関内でも極秘扱いになっている情報を、いくらこの状況とはいえ、皆のいる前で暴露するわけにはいかない。


『前任の高機動戦闘員達か。あれは仕方のないことだ。完成していない物を、強引に実戦投入すると決めたのはそちらだからな』

「それでも」

『私が謝って彼らが助かるのであれば、いくらでも謝ってやろう』

「父さん……」

『今日のところは、これぐらいにしておこう。敵同士ではあるが、お前の成長を見ることができのは嬉しかったよ。それと間宮長官』

「……何だ」

 唐突に名を呼ばれた間宮は、しかし動じる様子もなく返した。

『覚悟をしておいてください』

「そんなもの、最初からしているさ」

『ならば結構です』


 始まった時と同じように、通信は唐突に切れた。

 顔を伏せた藍は、高々と上げた拳を側の机に振り下ろした。

 誰も声を出そうとしない司令室内に、派手な音が空しく響いた。


     §


「ということよ」

 通信が途切れると同時に、空中に停滞してこちらを見下ろしていた烏丸が言った。

「……何がだ?」

 守矢の返事が予想以上に冷静だったためか、烏丸は拍子抜けしたように首を傾けた。

「覚悟しておけ、って言ってたでしょう? これからは守矢、あんたが最前線で戦うことになるんだから。一番覚悟がいるのはあんたでしょ」

「違うな」

 首を横に振った守矢は、真っ直ぐに烏丸を指差した。

「覚悟しておくのはお前等だ。一人残らず殺してやる。あの博士も、もちろんお前もな」

「殺すって……ヒーローになった奴が言う台詞じゃないわね」

 余裕を見せつけるように言った烏丸に対し、守矢は小さく肩を揺らして笑った。

「それも違うな」

「何が」

「俺は……ただの戦闘員だ」

 静かに言い放つと同時に、守矢は跳んだ。しかし届かないと分かっている烏丸は、その場から動こうとせず、嘲笑すら浮かべている。

「無駄だって――」

 言いかけた言葉は途中で消えた。守矢の意図に気づき、烏丸の目が見開かれる。

 角度を付けて跳んだ守矢は、烏丸と近い位置に建つビルを目指していた。空中で体を反転させ、壁を蹴る。黄田と戦った時にも見せた戦法。これなら更に高い場所――烏丸のいる高さまで、十二分に届く。

 慌てて上昇しようとした烏丸へと、青く光る守矢の拳が迫る。

「言っただろう。お前も殺すってな……っ!?」

 拳が当たる直前、烏丸の翼が大きく動いた。

 圧倒的な風圧が、真正面から守矢に襲いかかる。跳躍の勢いが完全に消された。

 暴風に飛ばされた守矢の体は、そのままビルの窓ガラスを突き破り、電気の消えたどこかのオフィスに突っ込んだ。事務机を幾つも薙ぎ倒し、ようやく止まる。

 頭を振って立ち上がった守矢は、ただの穴になった窓辺に駆け寄って外を見回した。烏丸の姿は見当たらない。また姿を消したらしい。

「危ない危ない、やるわねあんた。ひやっとしたわ」

「っ……! 出てこい、烏丸ぁ!!」

「いーやーよ。もう部下も全員引き上げたみたいだし、私もそろそろ行くわ」

 声はすれども、気配は感じられない。守矢に握られた窓の縁が、その握力で砕けた。

「クソが……覚えていろ……!」

「忘れたとしても、どうせまた会うわよ。じゃあね」

 一陣の風が吹いた。それが烏丸の起こした風かどうかは分からない。

 守矢はまだ警戒するように上下左右を見回していたが、完全に気配が消えたのが分かると、苛立ちを籠めた溜息を吐いて姿勢を戻した。ふと思い出し、通信を入れる。

「……弓埜」

『……はい』

 感情が死んでしまったような声が返ってきた。

 つい先ほど事実を突き付けられた時の、激高して掴みかかるような勢いは無くなっている。


「烏丸が逃げた。帰還する」

『……了解』

「弓埜」

『……はい』

「――泣くんだったら、今だぞ」


 しばらくの間、無言が続いた。

 通信が壊れたかと思うほどの沈黙の後、静かに、しゃくり上げる音が届いた。しかし思っていたほど大泣きしてはいないらしい。皆の前だからなのか、それとも必死に堪えているのか、離れた場所にいる守矢には分からない。

 守矢はマスクの顎と頸部にある小さなスイッチに指先を当てた。ごく短い、空気の抜けるような音と共に締め付けが緩む。マスクを脱いだ守矢は、装着前に藍によって短く切られた髪を掻き回した。

 首を一振りして空気を吸い込む。

 地上で流された大勢の人間の血、その鉄錆のような臭いも、ここまでは届いてこない。しかし装着している高機動戦闘員の装甲には、守矢が殺した敵の血がこびりついている。

 窓枠に腰を下ろした守矢の顔を、皮肉なほどに爽やかな風が撫で、過ぎていく。

 これから殺し続けるのだ。

 今は、少しぐらい休んでもいいだろう。

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