第20話
「あんたが、瀬尾か」
高機動戦闘員の装備を身に着けた守矢は、油断無く篠原との距離を測りながら、離れた位置でこちらを凝視している瀬尾に声をかけた。
我に返った瀬尾が、あからさまな怒りを顔に浮かべて守矢を睨み付ける。マスク越しに聞こえてきた声は、どこかで聞き覚えのあるような声だった。
「誰だ、お前は!?」
「詳しい話は後だ。下がってろ。そいつの相手は俺がする」
値踏みするように守矢の頭から爪先までを眺めていた篠原は、その言葉を受けて小さく肩を揺らした。
「誰だか知らないけれど、大きな口を叩くわね?」
「お前が俺を知らなくても、俺はお前を知ってる。――篠原冬實(しのはらふゆみ)って名前もな」
いきなりフルネームを呼ばれ、今度こそ篠原の顔色が変わった。
「あなた……何者?」
「知ったところで、何の意味もない。ここでお前を殺す」
「……言うじゃない」
余裕を見せる守矢の態度が癪に障ったのか、篠原の頬が引きつった。剣呑な雰囲気が強くなっていく。篠原は足下で呻いている部下を見下ろし、靴底をヘルメットの上に軽く乗せた。
「黙りなさい」
踏み下ろした瞬間、頭の奥にへばりつきそうな嫌な音と共に、ヘルメットの破片と赤黒い何かが飛び散った。
「貴様、自分の部下を……!」
「私を苛立たせたから。まぁ……その点で言えば、あなたも同じだけれど」
言葉の途中で、篠原は視線を守矢へと移した。笑みが深くなる。
守矢が構え直した時、篠原の姿が掻き消えた。
極端に低い姿勢で地を蹴り、瞬き一つのうちに守矢へと肉薄し、真下からその喉元へ鉤爪のように開いた左手を突き上げた。
しかし守矢は僅かな動きで、篠原の攻撃を避けていた。続けざまに左右の拳が打ち込まれ、時折鞭のようにしなる蹴りがフェイントで飛んでくる。
守矢はそれらを全て避け、あるいは受け流し、払いのけていった。
「ちぃっ……!」
幾度目かの蹴りを避けた瞬間、篠原の動きに隙が生まれた。
常人ならばそれと気付かない程度の間隙を、しかし守矢は見逃さず、空いた胴体に拳を打ち込んだ。肉を叩く手応え。しかし右手で防がれている。
だがそのまま拳を振り切り、篠原を弾き飛ばした。同時に自らも走り、飛び上がる。守矢の放った蹴りは、後十センチというところで篠原に防がれた。
空中で体勢を戻した篠原は、線路の上に危なげなく着地した。守矢の攻撃を防いだ右手に目を落とし、感覚を取り戻すように開いては握ることを繰り返した。
「……流石、ってとこかしらね」
「嫌味のつもりか」
「本気よ。こっちの攻撃が全然当たらないなんてね」
今の守矢の身体機能は、高機動戦闘員の特殊装甲のお陰でかなり強化されている。普通の人間であれば最初の一撃で喉笛を切り裂かれて、絶命しているはずだ。先程瀬尾が避けられたのは、篠原が加減していたからに過ぎない。
「本当に高機動戦闘員なのね。烏丸からの報告じゃあ、昔の三人は誰も残ってないと思っていたのだけれど、まさか四人目がいたとは」
「違うな」
「何が」
「俺は四人目じゃない。俺以外に増えることもないだろうしな」
「なんだかよく分からないけど……とにかくあなたを殺せば、今度こそ高機動戦闘員は打ち止めということよね」
「殺せればな」
「無理だとでも?」
意味深な笑みを浮かべた直後、篠原の体の回りがゆらゆらと揺らめき始めた。
微風に吹かれるように、ショートの髪が静かにざわめく。枕木の間に詰められている石が小刻みにぶつかり合い、カチカチと音を立てた。
(――何だ?)
守矢は装甲越しに、外気温の変化を感じ取った。
ちらと瀬尾の方を見ると、顔全体から汗を拭きだし、何かを防ぐように手を翳している。篠原が何をして、今の気温が何度なのかは不明だが、相当暑くなっていることは分かった。このままでは、生身の瀬尾は耐えられないかもしれない。
一瞬体勢を低くした守矢は、一足飛びに篠原との距離を詰めた。
しかしその直後、篠原の手から炎の塊が放たれた。横っ飛びに跳んで避けるが、その着地点へさらに炎が撃ち出された。次々に放たれる炎を、転がるようにして避けていく。咄嗟に支柱の陰に隠れた守矢に、篠原の嘲りが飛んできた。
「さっきの威勢はどうしたの?」
支柱が振動したと感じた瞬間、守矢はその陰から飛び出した。
その直後、隠れていた支柱を炎の渦が貫いた。すぐに炎は消え、穴の周囲のコンクリートと中の鉄骨が、高熱で溶かされたようにドロリと爛れているのが見えた。
守矢は改めて篠原との距離を測って後退しながら、離れた位置にいる瀬尾に呼びかけた。
「瀬尾! これから少し派手に動く! どこかに隠れていろ!」
「何を……」
「さっさとしろ!」
何か言いたげにしていた瀬尾だが、結局ほんの少し逡巡し、暑さでだれてしまった体を叱咤して柱の陰に転がり込んだ。
瀬尾が隠れたのを確認すると、守矢は一度構えを解いた。
「何をするつもり?」
「今言っただろう。悪いのは耳か、頭か?」
「……あなた、ムカつくわね」
篠原の顔から、小馬鹿にしたような薄ら笑いが消えた。口元を引き締め、殺意に満ちた視線を守矢に据える。
「……『Extractor』起動」
言葉の直後、守矢の全身を覆う装甲、その両手足に光が宿った。青い水晶のような菱形の突起から発した光は、数条の筋となって胸の中央へと収束、一度強く輝くと、体内に吸収されるようにして消えた。
起きたのはそれだけで、外見上に特に変化は見当たらない。深呼吸するように肩を上下させた守矢は、ゆったりとした動作で拳を構えた。
「……? 何も無いわね。ただのこけおどしじゃないの?」
「そう思いたいなら思ってろ――いくぞ」
§
藍の前に置かれた端末が電子音を上げた。
端末の画面内には、高機動戦闘員の装甲を精密に再現した画像と、英語と数値の羅列が表示されている。そして今、電子音と共に『Extractor:Starting』という文字が点滅を繰り返していた。
「……起動しました」
「みたいだな」
緊張を孕んだ藍の声とは対照的に、鵜飼の声は平然としていた。キャスター椅子を二つ使い、片方に足を乗せてゴロゴロと動かしている。いかにも暇をもてあましているといった風だ。藍の視線も自然険しくなる。
「何だよ」
「……別に」
藍はふいと視線を戻した。鵜飼のことを特災機関に紹介したのは、確かに藍である。その能力は高く評価しているが、人間的には好きになれないというのが本音だった。先程は守矢の手前、かなり我慢していた。
「あんた前からそうだよな。言いたいことがあったら言えばいいだろ。はっきりしないのは嫌いなんだよ」
「なら言わせてもらいますが……もうちょっと緊張感を持ってください」
鵜飼は藍の言葉と鋭い目を受け、呆れたように鼻を鳴らした。皺だらけのズボンに通した足を椅子の上から下ろし、側の机に頬杖を突いた。
「あんたといい長官といい……ここの連中は心配ばっかりだな」
「当たり前でしょう」
「なら俺も言わせてもらうけどよ、今ここで俺やあんたが緊張したところで、あいつの勝ち負けに関係あるのか? 実際戦うのはあいつじゃないのか」
「それは、そうですけど……」
「だろ? だから心配やら緊張やら、そんな意味のないもん。したってしょうがない」
「じゃあ、何をしろというんですか」
勢いこんで机を叩き、振り返る藍に対し、鵜飼は肩を竦めて答えた。
「信じてりゃいいじゃないか」
「……え?」
「自分の頭と腕、自分の作った物、自分の仲間とそいつの勝利。ぜ~んぶひっくるめて信じてりゃいいんだよ。信じながら、待つ。……あんたはあいつを信じてないのか?」
「……信じてます、けど……」
「おう、それでいい」
てっきり人を食ったような答えを返してくると予想していた藍は、その予想を大きく外れた答えに目を丸くして瞬いた。鵜飼の人柄は大学の頃から知っている。普段は絶対にこんなまともな答えを言う人間ではない。
「何だよ。ポカンとしやがって。言いたいことがあったら言えって」
「……いえ」
爆発しかけた緊張は、今の言葉ですっかり萎んでいた。
気が抜けたというのではなく、肩の力が抜けたようだった。
守矢を信じる――。
確かに今はそれしかない。
§
篠原の動きは全て、手に取るように感じ取れた。
守矢自身は間違いなく、篠原と正対している。二つの目で見えているのも、篠原の正面だけだ。しかし守矢の意識は、篠原をほぼ全方位から捉えていた。
自分の体は一つしかないにも関わらず、敵を中心として幾つも存在しているようだ。しかし守矢の脳は混乱することなく、むしろその異常な感覚を問題無く処理していた。
感覚だけでなく、体の動きも先程より数段鋭いものに変わっていた。目視できない速度で迫る篠原の攻撃を、全て紙一重で、しかし余裕で回避することが出来るようになった。
反対に篠原からは、先程までの余裕が消えていた。どれだけ攻撃しても、守矢には擦りもしない。放つ炎も見切って避けられる。まるで全ての動作が、動く前から読まれているのではないかと思えるほどに、守矢の動きには無駄が無かった。
「こ、の……!」
低い位置から放った篠原の蹴りは、守矢ではなく、その後ろにあった壁の配電盤を吹き飛ばしていた。
直後、真横から飛んできた守矢の拳が、篠原の腹にめり込んだ。その威力に、篠原の顔が苦悶に歪み、体が宙に浮き上がった。
「が――!?」
動きの取れない篠原の背中を、守矢が更に真上から殴りつけた。
背骨から全身へ激痛が走る。
線路の上に叩き落とされた篠原は、跳ね上がった勢いを利用して自力で枕木を蹴った。距離をとろうとしたのだろう。だが既に、その眼前に守矢が迫っていた。
至近距離から生み出された炎を、守矢は発生と同時にかいくぐった。次の瞬間、顎を真下から打ち抜いた。
脳天まで突き抜けるような一撃に、篠原の思考が一瞬停止し、上体を仰け反らせて無防備な状態を晒した。
体を捻った守矢は、左足を高々と振り上げた。
唸りを上げる踵が篠原の右肩に落とされ、斧で断ち割ったように、易々と右腕と胴体とが分断される。傷口から赤黒い血が噴き出し、白銀の装甲を染めた。
「っ――がぁぁぁあぁ!?」
篠原の絶叫が、大音量で構内に響き渡る。
「覚悟はいいか」
線路の上を無様に這うように後退していた篠原は、背にぶつかった信号機に寄りかかりながらどうにか立ち上がった。いくら改造されていると言っても、相当なダメージが蓄積されているらしく、その足下は覚束ない。
「あと一撃で終わりにしてやる」
傷口を押さえて睨み付けてくる篠原。守矢は静かに近付きながら、拳を握りしめた。
不意に篠原の肩が上下し始めた。喉の奥から何かを堪えるような声も聞こえる。痛みと怒りがない交ぜになり、引きつっているようにも思える笑いだ。
「何が可笑しい?」
「……甘いわね」
篠原が俯き加減にしていた顔を上げる。
その直後、それまで以上の大量の炎が、篠原を中心として全方位へ、爆発的な勢いで噴き上がった。一気に構内の気温が上昇していく。
守矢は両腕で顔を防ぐようにしながら後方へ跳んだ。
視界の端に瀬尾の姿が映る。この熱量では、どこに隠れていても到底耐えられない。咄嗟に柱を蹴って方向転換した守矢は、瀬尾の体を掴み上げ、炎を背にして全力で駆けた。
百メートル程の距離を一瞬で駆け抜け、一際大きな柱の陰に飛び込む。炎はその手前で勢いを失い、闇の中に消えていった。
「大丈夫か?」
小荷物のように脇に置いた瀬尾を見下ろして尋ねる。返事はないが、苦しげに呻いているところを見ると生きてはいるようだ。しかし左腕は装備ごと血塗れになっている。他にも怪我があるかもしれない。手当を急いだ方がいいだろう。
柱の陰から顔を出した守矢は、逃げてきた方向に目をやった。炎は消えているが、余韻の高熱が充満している。暗視機能は働いているが、篠原の姿は見えない。
「逃げたのか……?」
「……追え」
不意に瀬尾の声がした。
見れば肩で息をしながらも、上体を起こし、薄目を開いて守矢を見上げている。
「お前はどうする」
「俺は大丈夫だ。……守矢、とか言ったな……。お前が誰かは知らん……だが、高機動戦闘員なんだろう。ならその任務を全うしろ」
荒い息を吐きながら言う瀬尾。
少し躊躇った後、守矢は瀬尾の肩を軽く叩いて、踵を返した。
「まだ通信は出来ん。弓埜達はあんたが地下にいることを知ってはいるが、すぐに応援が来るとも限らない。悪いが本部には自力で行ってくれ。入口は分かるだろ」
「……後で詳しく話してもらうぞ」
「断る。人と話すのは苦手なんでな。弓埜にでも聞いてくれ」
瀬尾の立ち上がる弱々しい音を背中で聞きながら、守矢は篠原が逃げたであろう方向へと歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます