第5話 ひみつのフィナンシェ作り
「あれ、誰もいない……の?」
てっきりパティシエのお父さんがお仕事してると思ってたのに。厨房は薄暗くてがらんとしていた。
沢口くんは「今日は外で仕事の日」と軽く言う。
「外で……?」
「なんか学校とかで教えてるらしいよ」
答えながら材料の用意を始めていた。
「勝手に使っていいの?」
一方のわたしはまだ荷物すら置けていないのですが。
「いいっしょ。早く準備手伝ってよ。ああ荷物なら適当に置いて。手洗うのはそこ」
はじめて家に招いた女の子に対しての扱いにしては雑なのでは? と思いながら指示に従う。
わたしが手を洗い終えると「で」と沢口くんはノートを開いていた。
覗き込むと、いつか見たあのキレイな文字が並んでおりそのいちばん上の所に『フィナンシェ』とある。そっか、これは沢口くんのレシピ帳なんだ。
「これはおれのオリジナルの配合だからあんま見せたくない。おまえは? その例のホットケーキミックスのレシピ本、持ってきた?」
「ああ、うん。……これ」
手提げカバンから取り出してページを開いた。沢口くんは「へえ」と興味深そうに配合表を見つめる。
「この通りに作ったわけ?」
「うん」
「ホットケーキミックスは?」
「これ」
さすがにこんなの持って学校には行けないから、これとほかの材料も少し、さっき帰りにうちに寄って取ってきた。
「ああ、よくあるやつ」
「でしょ?」
それでもわたしの使う材料になにか秘密があるにちがいないと思っているらしい沢口くんはレシピ本を眺めたまま動かなくなってしまった。
「……ね。とにかくやってみよ」
そう促して、作業にかかった。
ケーキ屋さんの厨房でのお菓子作り。なんだかイケナイことをしているような気がしてそわそわしちゃう。沢口くんは慣れているのか、その仕事ぶりはまるでプロのパティシエさんみたいだった。
「まずは卵」
わたしがいつもカレースプーンを使って失敗しながらなんとかやっている黄身と白身を分ける作業。それを沢口くんは割った卵の殻を使っていとも簡単にやってのけた。
「しゅご……」
「は、なにが?」
どういう育ち方をしたらこんな小5男子になるのさ。
「バター
「あ、はい」
なんとなく敬語になった。見たこともない大きな
「沢口くん、いつもここでお菓子作ってるの?」
訊ねると「店が休みの日、たまに」と。
「すごいね……」
プロが使う道具や設備がこんな身近にある生活ってどんなだろう。
考えている間に沢口くんによって焦がしバターが作られていた。
「レンジで作るのにも慣れてきたかな」
「沢口くんはコンロ、禁止されてないの?」
「されてる。つかほんとは勝手に厨房使うの禁止されてる」
「な!」
「ま、今日はレンジとオーブンだけだしいいっしょ。父さんがいても手伝ってもらうわけじゃないし、おれひとりでも同じだよ」
言いつつ熱くなったバター入りの器を手袋をした手で電子レンジから慎重に取り出す。
「いい感じ」
「うん」
「てかおまえ、やっぱ結構手際いいよな」
「え」
「…………なんでもない」
な、なにさ。わたしのことバカにしてたくせに。
やがて生地が完成。キレイに型に分け入れていよいよオーブンへ入れる。大きなオーブン。扉を開くと乾いた熱が顔に当たった。もちろんこんな本格的なものなんて初めて。いつもはここに、たくさんのケーキや焼き菓子が入るんだろうな。
焼き時間は15分。ここまで来たらお互いもうなにを話すでもなくただじっとその数字がゼロになるのを待つだけだった。
────と。
「ふうん。珍しいはちみつ使ってんだね」
背後から聞こえた低い声に揃ってびくりと肩を揺らした。
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