第44話 美しきかな君が世界

 オードリー嬢が五歳、エミリア嬢が七歳のとき、二人は出会った。

 チャップマン男爵がウェントワース伯爵と商談をするために、伯爵家を訪れた。その際、あわよくば縁がつくれるようにと、男爵は娘を連れて行った。

 オードリー嬢は、親族以外の同年代の少女に会ったのはそれが初めてだった。エミリア嬢の第一印象は「冴えないつまらない子」だった。きれいなおもちゃをもってきたわけでもなく、おもしろいおしゃべりができるわけでもない。二人があいさつを交わしたあとは、ほぼ沈黙が続いていた。

 こんな子は放っておいて、侍女と人形遊びでもしようとオードリー嬢が思ったとき、エミリア嬢が『このお花、つかってもいいですか?』と訊ねた。毎朝部屋に活けられる花を、オードリー嬢はそこにあることすら意識していなかった。どうでもよかったからうなずくと、エミリア嬢は花とリボン、そして持っていたピンを使って小さな胸飾りを作ってみせた。


『あのあの、あの、お部屋にあったものですが……、どうぞ』


 胸飾りを差し出されたとき、オードリー嬢は初めて相手の顔をまともに見た。かわいくもなければ特徴もない子だと思ったけれど、なぜか少し年上の少女のはにかんだ笑顔から目が離せなかった。

 それ以来、オードリー嬢の希望で二人はたびたび会うようになった。

 ある初夏の日、伯爵家の庭でお茶をしたことがあった。

 オードリー嬢は、戸外に出るのは好きではなかった。急に暑くなったり寒くなったりするし、風が吹けば服や髪が乱れる。帽子をかぶっていても日射しはまぶしく、絨毯にくらべると芝生は歩きにくいうえ靴が汚れやすい。突然の雨に見舞われることだってある。そもそも、いつもと違う場所というだけで疲れた。

 けれど、エミリア嬢は目を輝かせて庭園をみまわした。


『すごい、きれいです。あの房になった紫と白のお花、すてきですね。あっ、この葉っぱの色とかたち……。こんなかざりがあったらかわいい……』


 風に吹かれてテーブルに落ちた黄緑色の葉をつまむと、エミリア嬢は熱心に観察しだした。そして次に訪問したとき、薄い紙と金属を組み合わせた木の葉の胸飾りをオードリー嬢にプレゼントした。

 そんなことが、かぞえきれないほどあった。

 オードリー嬢は、なつかしそうにそう話した。


「まえからずっと、エミリアのどこが好きなのか考えていました。その、普通でしたら惹かれるはずがない相手といいますか。ですから、自分でもどうしてなのか不思議で」

「えっ……」


 本来はオードリー嬢の好みじゃないっていわれて、エミリア嬢が微妙に傷ついた表情になる。


「いま、思うのは。部屋も庭も、わたくしにとってはただの場所でした。でも、エミリアにとっては違った。伯爵家の整えらえた庭園だからというわけではなく、たとえただの道でも、馬車からみえた平民の家でも、エミリアはどこにでも美しさを見出します。そして、それを作品にしてみせてくれる。わたくしは、エミリアの作るものが好きです。けれどもっとも心惹かれるのは、エミリアがこの世界をみる見方そのものなのです」


 オードリー嬢が話しているあいだ、エミリア嬢は「そんなことないですっ」とか、「かいかぶりすぎです」とか言ってたけど、残念ながら誰も彼女に注目してなかった。オードリー嬢は、そんな彼女の手を両手で包んだ。


「呪いにかかって考えさせられたわ。もしあなたが物を作れなくなったら、わたくしはどうするだろうって」


 エミリア嬢をじっとみつめるオードリー嬢。二人の顔の距離は近い。


「今回は、わたくしがひどく混乱して、どうすればいいのかちゃんと考えられなかった。成人の儀のこともあるし、呪いを二年耐えれば解けるからと……いえ、すべて言い訳ね。あなたに、本当にひどい態度をとってしまった」

「いえ、あの、それより、お顔が。鼻が、くっつき……」


 こんなことは二度と起こってほしくない。でも、もし似たようなことがあれば自分はどうするだろうと、オードリー嬢は自問自答していたらしい。


「わたくしは、人を雇ってあなたが思い描くものを作らせるかもしれない。けれど、もし誰も作ることができなければ、わたくしに話してくれるだけでいい。わたくしは、あなたの見ている世界が知りたいの。わたくしが求愛したのは、エミリア・チャップマンよ。職人のエミリアじゃないわ」

「ひえ、でっできればもう少し距離を、オードリーさまっ」

「わたくしの身勝手で、あなたを傷つけてしまった。ごめんなさい。どう謝れば許してもらえるのかわからないけれど、謝罪を受け入れてもらえるなら、なんでもするわ」


 情熱的に迫られて、エミリア嬢があせったり、あわてたり、半泣きになったりの百面相を披露する。

 オードリー嬢は必死に口説き続ける。

 そんな二人を、俺たちはなまあたたかく見守った。

 そのうち、熱烈なセリフと近すぎる顔にエミリア嬢の精神が焼き切れた。ぷしゅうって頭から煙を出しそうなくらい赤くなって、チカチカするみたいに視線をあちこちにさ迷わせて、彼女はオードリー嬢の手を振り払った。


「オッ、オードリーさまは……勝手です」


 エミリア嬢が、警戒する小動物みたいに数歩後ろに下がる。


「わ……たし……、オードリーさまに突き放されて、とてもつらかったです」

「ごめんなさい」

「理由があったといわれても、や……やっぱり納得できないし、またおなじことをされたらと思うと……」

「二度としないわ」

「信じられません! 本当に、つらかったんです! 怖かったんです! もうあんな目にはあいたくない……っ!」


 エミリア嬢の目からどっと涙があふれた。一度我慢ができなくなってしまったらそこが限界だったみたいで、これまで堪えてきたものを吐き出すようにわんわん泣きだした。

 そっか。俺は、エミリア嬢の自己評価が低いのが不思議だった。でも、幼馴染でいまや自分の作品を唯一認めてくれてるはずのオードリー嬢に突然嫌われたと思って、精神状態がどん底だったのかもしれないな。そのうえ物は作れないわ、ロバートから作品の権利をよこせといわれるわで、ひょっとしたら現在はエミリア嬢の人生上で自己肯定感が最悪の時期なのかもだ。

 オードリー嬢が、エミリア嬢を椅子に座らせた。眼鏡を外させて、ハンカチで顔を拭く。どうにかエミリア嬢がおちつくと、隣に腰を下ろして憂い顔で相手をみつめた。


「失くした信頼は、とりもどすようにこれから努力するわ」

「ゔぇ……」

「だから、いまはどうか離れていかないで」

「わ、わだじがら、ばなれだこど……ない……です」

「そう、そうだったわね」


 沈んだ声で、オードリー嬢がまた「ごめんなさい」とくり返した。


「わたくしがあなたからの信を失ったことは、よくわかったわ。だから結婚については、すぐに答えをきかせてとはいわない。ただ、工房で働かなくていい方法を一緒に考えさせてほしいの」


 オードリー嬢が自分の手首をなでた。袖口からみえてる腕輪は、エミリア嬢作なんだろう。


「あなたが作る世界はすばらしいわ。どうか、自分が生み出す物に矜持をもって。他人に好き勝手させたりしないで」


 エミリア嬢は、受けとったハンカチでチーンと洟をかんだ。うむ、淑女がすることじゃあない。でも、子どもみたいに手放しに大泣きした姿をみたせいか、不作法っていうよりエミリア嬢らしいなって思ってしまう。


「オ……オードリーさまは、職人の矜持って、いいますよね」


 かすれた声に、すかさずルイーズ嬢がお茶を勧める。茶碗の中のお茶はとっくに冷たくなってるけど、エミリア嬢はまるで淹れたてみたいに少しずつ口に含んでいった。


「わたしは……、自分が考えたものがかたちになって、その子たちを欲しいと思ってもらえる人のところにいってくれれば、それでいいって思ってしまうんです」


 指先で空になった茶碗をいじりながら、エミリア嬢がゆっくりと話す。


「わたしが考えたとか……、作ったとか……、そういうのにこだわるよりは……。誰が作ったっていいから、作品になったほうが、よっぽどいい。……あの、できれば、おかしな修正は加えないでほしいですが」


 あ、それはわかるかもしれない。新しい魔術式を編み出したり、魔法の理論を発表するときは、誰がそれをしたのかが注目されるし重要になる。でも俺は、そこはあんまり気にならない。


「だから、あなたはお人よしっていわれるのよ」

「えっと……そうじゃないと……思うんです、けど」


 オードリー嬢はもどかしそうで、アルバートとルイーズ嬢も彼女に同調してる。エミリア嬢は、違うって説明したいけどうまくことばにできないみたいだ。

 さっきの「面倒な男」のたとえはピンとこなかったけど、この話なら俺はエミリア嬢寄りじゃないかな。


「おい、愚民ども。生み出すことこそが喜びだ。その崇高な歓喜を知りもしない輩が、よけいなことをほざくな」

「はいっ」

「きさまのことじゃない!」


 この流れで、どうして元気よく返事をするんだ、エミリア嬢。


「俺が新しい魔術式を構築したなら、ノア・カーティスが作ったと称えられる必要はない。重要なのは、俺がそれを作れるかどうかだ。俺の才能の発露を下賤の輩がどう利用するかなど、知ったことか。そんなことを気にかける時間があるなら、次なる高みに挑むために使うほうがよほど価値がある」

「あ……、そう、それ。わたしも、そんなかんじです!」


 つけ加えるなら、改善はともかく改悪はされたくない。ここもエミリア嬢と似てる。というか、作り手として当然の感覚だよな。


「なるほど。一点物の宝飾品と、広く使われることが前提の魔術式をおなじようにあつかうことはできないが、作り手としての名声を気にかけないという点ではノアとエミリア嬢は似ているのか」

「おい、おまえ、俺とこの愚鈍を同列に語る気か!」

「エミリアちゃんの場合は、名声はともかく実績は必要だから、そこに無頓着でもいられないだろうけどね」

「その部分を補うのがわたくしの役割だと思っています」


 俺の主張は無視された。もちろん本心では、同列に語ってくれてかまわないって思ってる。だから無視されていいんだけど、みんなしぜんに俺の発言をやりすごすようになってきたなあ。

 実績は、俺だってまったくいらないわけじゃないけどね。塔にいて、研究するためには、成果が認められないといけない。

 あれ、だけど考えてみたら、俺は成果について塔から厳しくいわれてはいないな。まだ子どもだからかな。成果とか権利とか報酬とか、そういうのは保護者であるカーティス伯爵、つまり父さまにまかせてるからなあ。

 俺も成人したら、そういうことを自分でしないといけないんだろうか。うわあ、面倒だ。というか俺の場合は、それ以前にグラン・グランの呪いを解かないと成人後の人生がお先真っ暗だった。


「名前にこだわらないというのも、度を超すといろいろ問題を生む元になるんだけどねえ。まあ、いまはそれを話してるわけじゃないからいいか」

「ノアさまに共感する日がくるなんて信じられない……」


 エミリア嬢がしみじみつぶやく。さっきオードリー嬢にも言われたな。

 うーん、この口の悪ささえなければ、俺は平凡な十三歳男子なんだよ。例外といえば、大魔法使いだってことくらいだ。ああ、グラン・グランの呪いをぜんぶ解かないといけないことにはなっちゃったけど。そのせいで精霊契約なんてめずらしいことをしたけど。学園では、第二王子と友だちになったけど。……最近ちょっと非凡なことが増えてきたかもしれないけど、根は普通なんだよ!


「ルイーズさまがおっしゃることは、大事なんだろうと思います。ただ、わたしにとって一番大事なのは、そこじゃなくて……。オードリーさまは、よくわたしに誇りがないのかっていいますよね」


 エミリア嬢が、作業部屋から一冊のデザイン帳をもってきた。


「でも、わたしに職人としての矜持があるとすれば、これなんです」


 少し情けないかんじにへにゃっと笑う。エミリア嬢は、デザイン帳の最後のほうを開いてテーブルにおいた。

 俺たちは、頭をつき合わせるようにしてその頁を見た。

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