第16話 不器用な指

 指がうまく動かなくなった。

 そう言ったエミリア嬢が、俺を見て、眼鏡をかけなおして、顔をそらせて、また俺を見て、話しかけようとして、やめて、やっぱり口を開いた。


「……ノアさま。あの、失礼かも、しれませんが……。いえ、失礼ですよね……。やっぱり、いいで……」

「言いかけてやめるな、鬱陶しい! 要件を明確に言え!」

「ひゃいっ! ノアさまの髪を編ませてくださいっ!」


 はい? 俺の髪ぃ?

 べつにいいけど、なんで髪の毛?


「愚民の思考は、悪い意味で測りがたいな」

「愚民です!」

「肯定するなっ。きさま、仮にも俺をつきあわせて、結果がでなければ承知せんぞ」

「わわわかりまひたっ。その、説明より、みせたほうが早いと思いまひてっ」


 エミリア嬢、落ち着いてゆっくり話したらいいからね。舌をかまないように気をつけてね。

 俺の髪は、紐で一つに縛ってるだけだ。編むっていうから、紐を外して手渡した。ベンチの端に寄って、背もたれに体の右側がくるように横向きに座りなおす。そのほうが髪をさわりやすいだろう。

 エミリア嬢が俺の背後にまわった。


「……あの、髪、きれいです……ね」

「下手な世辞は耳が穢れる。そんなものいらん。さっさとやれ」

「いやノアくん、お世辞じゃないと思うよ。束ねているときも美しかったけれど、こうしてほどくと際立つね。麗しい夜が広がるようだ」

「ノアは、魔法にしても容姿にしても、自分のことに無頓着だからな。少々危なっかしくみえる」


 ルイーズ嬢の賛辞は、女の子限定じゃなかった! それに、みんなもどうした、褒め殺し作戦か。

 アルバートだって、金髪と緑の目が陽だまりの森とか、明るい草原みたいで、いいじゃないか。ルイーズ嬢はアルバートと色合いが似てるけど、あったかさよりまぶしさが勝ってるかんじだ。エミリア嬢は、こげ茶の髪に茶色の目で、人のよさそうなところがほっとする。


「黒髪でも、これほど艶やかでなめらかだと輝くようだ。ノアくんの白い肌がより引き立つね」

「この髪に飾りを作るなら、銀で花冠を模したら……。それとも黒い絹糸に宝石の粒を連ねて、あちこちに散らしても……」

「夜空の星だね、すてきだな。宝石は、透明な金剛石、瞳とおなじ色の蒼玉、月を思わせる黄水晶なんかどうだい。紅玉もきれいだろうな」

「いいと思います! 糸に魔力が通るようにして、石をほのかに光らせたら……」


 頭の後ろから会話が聞こえる。

 エミリア嬢は職人だから、作りたいもののアイディアがわくこともあるんだろう。ルイーズ嬢は、たんにおもしろがってるんだろう。

 もう、好きにしてくれ。

 おとなしく髪をいじられてた。髪の束を引っ張られて地肌が引きつれたり、きつく編まれて痛かったりしたけど、反応しないように耐えた。俺が悲鳴なんか上げたら、エミリア嬢が恐怖のあまり泣き出してしまうかもしれない。

 じっとしてたら、エミリア嬢が離れていく気配がした。俺の背中を、アルバートとルイーズ嬢がのぞきこむ。


「うむ。なるほど……」

「へえ、うん、完成した、のかな」


 微妙な反応だ。どんなふうになったんだろうと、首筋に手をのばして、髪を前にもってきた。

 髪の毛は三つ編みにされてた。束の太さがそろってなくて、全体がデコボコしてる。あちこちから毛がはみ出てるし、編みこめていない分が垂れ下がってた。なんとか編み目になっているところも、つまってる部分とゆるゆるな部分がある。

 三つ編みの先は、髪紐で留められている。力まかせってかんじのぐるぐる巻きにされたうえで、たぶん蝶々むすびにしたんだろう。たぶんっていうのは、右の輪っかは大きいけど左側はほとんど輪になってなくて、おまけに二つの輪っかが上の方と下の方を向いている。紐の先の長さもバラバラで、ようするに蝶々むすびらしいかたちになってなかったからだ。

 率直にいって、ものすごく下手だ。アルバートとルイーズ嬢が口ごもったのは、びっくりするくらい不格好だっていえなかったからだな。

 俺は三つ編みをつまんで、ピコピコ動かしてみせた。ここまでひどいと、いっそ見事だな。


「――で?」

「……精一杯やりました。あの、どうしてこういうことをしたか、きいてください」


 エミリア嬢が、ぐっと歯を食いしばる。


「わ――わたしは、十二色の金属の糸を組み合わせて、ラーベナ地方の立体紋章を作ったことがあります。組むことなら、近衛騎士団の飾緒程度だったら目を閉じてても簡単に作れます」


 気弱な彼女にしてはめずらしく、しっかりと言いきる。


「薄く伸ばした金で、指先くらいの大きさの蝶々むすびを百個作ったこともあります」


 エミリア嬢が、両手を広げて目を落とす。小柄な体格にしては大きめの手で、長い指だった。


「だけどいまは、集中して丁寧にやっても、これなんです。こんな技術で、物なんて作れません!」


 俺とアルバートとルイーズ嬢の視線が、ぐちゃぐちゃの三つ編みに集中した。一所懸命やってこの結果なら、飾緒なんてとうてい編めないだろう。

 エミリア嬢は、やけになったみたいに鞄からノートをぐいぐい引っ張り出した。テーブルで広げてみせたのは、ブローチのデザイン画だった。真ん中に楕円形をした青い石があって、その周囲を金の台座が取り巻いてる。台座には濃度と大きさの違う青系の石があしらってあって、中心に近いほど色が濃く、外にいくにしたがって薄くなっていく。台座の下側には、透明な小さい石で作られた鎖がつけられていた。

 優美で繊細なブローチだった。


「これは去年のオードリーさまのお誕生日に、ご本人から依頼されてデザインしたものです」


 エミリア嬢は、別のノートを開いてその横に置いた。

 あきらかにさっきのデザイン画を真似したものだけど、出来はまったく違った。最初の画が才能ある本職の人が描いたものだとしたら、次にみせられた画は五歳児か絵心のまったくない人が苦労して描いたようなかんじだった。全体のバランスが悪いうえ細部がちゃんと描かれてないし、色がはみ出してる。


「こっちが、試しにと思って三日前に描いたものです」


 俺たちはことばを失った。

 エミリア嬢が嘘をついているようには思えない。すると彼女は、できていたはずのことが、いまはできなくなっているのか。たしかに、こうして実際に示されたら、以前の技術といまとでは別人としか思えないくらいの差があった。


「いまのわたしじゃ、オードリーさまのお友だちへの贈り物も、ウーンデキム祭への出品も、なにひとつまともにかたちにできません……」

「おい、きさまが作れなくなったのはいつからだ」


 エミリア嬢が口にした時期は、予想通り夏茶会の直後だった。

 次の質問をためらった。みんなの前できいていいのかどうか迷ったからだ。そうしたらルイーズ嬢が、あっさり訊ねた。


「日付がはっきりしてるなら、原因に心当たりはあるかい?」


 とたんにエミリア嬢が、やらかしたってふうに青ざめた。退こうとして足元がよろめいて、芝生にカクンと膝をつく。


「どうしたんだい!」


 ルイーズ嬢が駆けよった。背中を抱えて支えると、空いた方の手でエミリア嬢の手を握る。


「言え……ない……です」


 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だった。

 立てなくなったエミリア嬢が、肩をおとして泣いている。

 ルイーズ嬢が、俺とアルバートに目線をよこして、顎でくいっと小道を指す。女の子がとり乱してるところを見るなっていうことだってわかったから、俺たちはうなずいてその場から退散した。

 エミリア嬢の態度は、どう解釈すればいいんだろう。

 彼女が物を作れなくなったのは、時期からして呪いが関係している疑いが濃い。原因を訊ねられて、「わからない」じゃなくて「言えない」と答えたのもそうだ。

 物が作れなくなったり、指が動かなくなる呪いはない。だから、もし彼女が呪われてるとしたら、どの呪いがどう影響してるのかを探らなきゃならない。


「エミリア嬢のことは、あとでルイーズにきくことにしよう。授業のあと、また碧の間を使えばいい」

「まだ関わる気か? おまえは、俺に必要ない」

「私がいなければ、ルイーズは来ないよ」


 でもさ、アルバートって忙しいんじゃないかな。王子の生活はあんまり想像できないけど、俺でさえ学園の勉強以外にも、呪いの調査とか、当主教育とか、中断してるけど塔での研究とか、するべきことがいろいろある。

 俺につきあって時間をとられたら、アルバートにとってよくないんじゃないかなあ。


「フラフラ遊んでいられるのか、王子とはいい身分だな。国への責任を果たせ、この無能」


 アルバートが、腕組みをした。半眼になって、俺を見下ろす。身長は俺のほうが少しだけ低いくらいなのに、倍も背が高い人からにらまれてるような威圧感があった。


「この私が、たかが学園の勉学程度で、王子としての責務をおろそかにするとでも?」


 声の厳しさに、腰が抜けそうになった。


「己の物差しで他人を測るな、不愉快だ。私にその未熟なくちばしを挟むまえに、まずは己が成すべきことを遂げよ、ノア・カーティス」


 アルバートが、絶大な自信と冷たい怒りをみせてる。

 こえええー!

 生まれてこのかた命令しなれてるんだよ。そんな人間の怒気と威圧に、一介の伯爵家の息子がビビらずにいられるわけがない!

 どうして急に怒りだしたんだ。さっきの俺のセリフくらい、会ってからいくらでも言ってただろ。もしかして蓄積された鬱憤が、いま許容量を超えたとか? お願い、アルバート、キレるならわかりやすく予告して!

 パニックを起こして内心泣きそうになってたら、アルバートがニヤッとした。少し意地が悪そうだけど、さっきまでの氷点下の魔王さまじゃなく、俺が知ってるいつものアルバートの表情だ。


「そんなに驚かなくても。普段のノアを真似てみただけだ」


 なんですとぉ! 俺は、そこまで傲慢じゃな……いことはないな、傲慢だな。だけど、あんな威厳はないぞ。

 アルバートは、やっぱり王族なんだなあ。俺は偉そうにしてるだけで、アルバートは本当に偉いから、にじみでるものが違う。どれくらい違うかって、野原ネズミのこけおどしとタテガミライオンの咆哮くらい差がある。


「おまえ、いい度胸だな」


 王子の圧はシャレにならないから。心臓に悪いんで、今後はやめてください。


「私は、ノアがなにを追っていて、どうなるのかを知りたいんだよ。これからは、つき合わせてもらうさ」


 俺は、了解したとは言えなかった。だって呪いが関わってくるから、どうしてもアルバートに教えられないことがある。どこまで手伝ってもらえるのか、そもそも手伝ってもらえることがあるのかすらわからない。

 だけど、つき合おうとしてくれるのか。

 そう考えたら、胸がほわっとあったかくなった。

 だったら、せめてアルバートが楽しければいいな。どういう過程で、どういう結果になっても、俺につき合おうとしてくれてるアルバートにとっていい時間になってほしいな。

 そんなふうに思った。

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