第51話 ハッピーエンド

「だめだ! 汐里! 吐けっ!!」

 ぐいっと腕を捕まれ、背中を強くさすられる。

「……亮太?」

「いいから今飲んだものを吐くんだ! お前まで……お前まで生きることをやめなくていい!」

 ああ……やっぱりそうだったんだ……亮太、生きること……やめようとしていたんだね……

「ごめんね、亮太……私が馬鹿だった」

「そんなことより! ああ、どうすればいいんだ……」

 私はすっかりパニックになっている亮太の頭を見る。

 ない。さっきまでそこで揺れていた白い花が、なくなっている。

「良かった……勝ったんだ……」

 ずっと緊張し続けていた体から、どっと力が抜けた。

「どうしてこんなことをしたんだ! あれを飲んだらどうなるか、わかってるのか!」

「多分、どうにもならないよ……だってあれ、普通の風邪薬だもん」

「……え?」

 亮太はピタリと動きを止めた。

「風邪薬。そこのドラッグストアで買ったやつ」

「だって……その袋とメモ用紙……」

「ああこれ、そっくりだったでしょ? 良かったあ、そこらで売ってるようなジッパー付袋で……」

 笑顔で説明する私に、亮太はぐったりとした表情かおで大きなため息を吐いた。

 これは、最後の手段だった。

 亮太の実家から帰ってきても、いい案がまったく浮かばなかった私に、エリカが提案してくれたプラン。

 でも、少しでも演技だとバレたら即アウトになるから、本当に緊張した。

「それより亮太、私……」

「お前は、俺なんかと一緒にいちゃいけないんだ!」

 亮太の真剣な眼差しが、真っ直ぐに私の心を射抜く。

「どうして、そう思うの?」

 そう亮太に問う私の心は、不思議なほど冷静だった。

「俺は……汐里を幸せにできないから……稼ぎは少ないし、性格は暗いし、不幸を呼び込むような気がするし……って、汐里……なんで笑うんだ?」

「だって……私を幸せにできるのは亮太だけなのに、全然わかってないから、おかしくて……」

「でも……」

「不幸は、私と分け合おうよ。それは亮太の分だけじゃない、私の分もだよ? そうすれば、お互い半分ずつになるじゃない? 私ってあったまいい!」

 私はわざと茶化して笑った。

「汐里……」

「あとごめん、亮太の母子手帳勝手に見て、住所調べて亮太の実家に行ってきちゃった」

「あっ……そういえばさっきそんなようなこと言ってたな……あれ、本当だったのか」

 亮太の表情かおが途端に気まずいものになる。

「俺のこと怒ってただろ……じいちゃんとばあちゃん」

 私は一瞬怯んだ。

 亮太が気にかけたおばあさんは、昨年亡くなっていたからだ。

「亮太……私が会ったのは、おじいさんとお父さんだけなんだ……おばあさん、去年病気で亡くなったって」

 私は迷いながらも、最後の部分を口にする。

 亮太は一瞬、傷ついたような表情を浮かべた。

「そうか……ばあちゃん、死んじゃったのか……俺、葬式にも出なくて、迷惑ばっかりかけて……結局何も恩返しできなかったな……俺は、最低の孫だ」

 最低の孫。

 亮太の言葉尻は、自身を責める色に染まっていた。

 確かに、そう思ってしまうのも無理はない。

 だけど。

「もし亮太があのまま生きることをやめていたら、おばあさんは本当に悲しんだと思うよ。それが、一番最低な孫のすることなんじゃないのかな?」

 私は駅まで送ってくれた亮太のおじいさんを思い出した。

「おじいさん、別れ際に私に言ってた……一番は、亮太が幸せに生きていってくれることなんだよって」

 私はじっと亮太の瞳を見つめた。

 かすかに潤んだ亮太の瞳は、見ていて切なくなる。

「亮太の幸せってなに? どんな時に、亮太は幸せを感じるの?」

「俺は……俺なんか……幸せになっていいのか……母さんも、兄ちゃんも幸せじゃなかったのに」

 亮子さんの幸せ。亮一さんの幸せ。

 それって、なんだろう?

 既に亡くなっている本人には聞きようがないから、憶測することしかできないんだけど。

「亮子さん……亮太のお母さんは、不幸だったのかな? 亮太が生まれるの、きっとすごく楽しみにしてたんじゃないのかな……家族四人揃って、あれもしたいこれもしたいって、考えていたんじゃないのかな……」

 亮太は視線を床に落とす。

『あいつのせいで亮子は死んだんだ!!』

 亮太のお父さんが吐いた、あの呪いの言葉。

 あれを幼い頃から刷り込まれていたとしたら、亮太はお母さんの死を、自分のせいだと思っているかもしれない。

 でも、現実は違う。亮太のせいじゃない。

 私は亮太の手をとって、ぎゅっと抱きしめた。

「亮太はね、幸せになる為に生まれてきたの。そして、亮太だけが私を幸せにできる。これは嘘じゃないよ……もしまた亮太が私から離れて行くって言っても、私つきまとうから……だって私、幸せになりたいもの」

 それに……やっぱりお父さんのこと……すごく気になるんだ……

「一緒に生きようよ、亮太……それでさ、二人で実家に帰って、どうだこんなに幸せになってやったぞ! って、お父さんに自慢しちゃおう!」

 亮太は少し驚いたように私を見た。

「汐里……親父にも会ったのか……親父に、なにかされなかったか?」

「うん……お酒かけられた。でも、私は怒ってないよ」

「酒……」

 亮太の表情が強張る。

「大丈夫! その後、ちゃんとおじいさんが色々助けてくれたから。私ね、無理かもしれないけど、お父さんにも変わって欲しいと思ってるんだ」

「あの親父に? それは……いくら汐里でも難しいんじゃないかな」

「うん、そうかも。でも、やってみないとわからないじゃない? 私ね、意外としつこいんだよ?」

「うん……知ってる……」

 あ、亮太やっと笑った。

 嬉しい……そう、私はその顔が見たかったんだよ!

 私はようやく腹の底から安堵して、亮太めがけて飛び込んで行ったのだった。

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