第46話 亮太と亮一 過去
「龍彦! やめないか!」
私は幼い亮太にものを投げつけようとする龍彦の腕を掴んだ。
まだ1歳半の亮太はわんわん泣いている。
早くお逃げ。
亮太の前に立とうとした亮一に、素早く目で合図した。
亮一は動けずにいる幼い亮太を抱き抱え、足早に去っていく。
「離せ、くそ親父っ! ……あいつさえ……あいつさえ生まれてこなけりゃ……」
またその台詞か……それに、いつもの深酒の匂い。
「龍彦、いい加減にしろ! そんなことを言ったら亮太が可哀想だろうが!」
「もういい! こんな家出てってやる!」
心配と怯えがにじみ出ている妻の横を乱暴に通り過ぎ、龍彦は出ていった。
バンッという大きな音は、玄関の扉が閉まる音だ。それと同時に、妻がヘナヘナと床に座り込んだ。
その横に屈み込みながら、私は過去を思い出す。
本当に、亮子さんは龍彦の心の支えだった。
『次も男の子ですって! 亮一、弟だよ〜、良かったねぇ!』
亮子さんは大きくなり始めたお腹をさすりながら、満面に笑顔を浮かべていた。
そこにいるだけでパッと周りが明るくなるような、そんな可愛らしい嫁だった。
『ほんとに⁉ やったあ、僕ね、ほんとは嫌だけどワルモノの役やってあげるんだ! だって僕、お兄ちゃんだから!』
当時もうすぐ5歳になる亮一は、亮子さんにくっつきながら、嬉しそうにはしゃいでいた。
『えらいなあ、亮一は……お父さんは3人でキャッチボールするのが楽しみだ!』
『皆気が早いねぇ……あら、喜んでるのかしら、ムニュムニュしてる』
『えっ⁉』
亮一と龍彦は代わる代わる亮子さんのお腹に耳をつけていた。
なんて微笑ましい光景だろう。
あの頃を思いだすと、いつも胸が苦しくなる。
私は妻の傍らに座り込みながら、畳をじっと見つめていた。
神様は、残酷だ。
こんな困難、あの気の弱い龍彦に乗り越えられるわけがない。
「二人を呼んでくる……」
私は妻が落ち着きを取り戻したのを確認してから、二人の孫の元に向かった。
二人は押し入れの中にいた。
龍彦が暴れると、いつも決まって二人はこの押し入れに隠れる。
私は押し入れのふすまをノックしようとする手を止めた。
中から、こそこそと話をする声が聞こえてきたからだ。
「悪いことは、ずっとは続かないんだって、亮太……だから、お父さんもいつか優しいお父さんに戻るよ……一緒に待とうね……大丈夫、亮太には兄ちゃんがついてるから」
涙が出た。
止めようとしたけれど、私にはどうしても止められなかった。
おそらく、どんなに時が経っても龍彦は変わらないだろう。
亮子さんを失ってしまった穴は、君達では塞ぐことができないんだ……もちろん、父である私にも……
亮一には、亮子さんが生きていた頃の、龍彦と3人で過ごしていた記憶がある。だからこそ、まだ幼い1歳半の弟に語るのだ。
父である龍彦が、昔のように優しい父親に戻るのを待とうと。
亮太は、まだよく理解できないだろう。
亮一が語るその言葉は、亮一自身を励ます為でもあるような気がした。
私は呼吸を整え、ふすまをノックした。
「あっ、おじいちゃん……」
見れば、亮太は亮一の膝で眠っていた。
私は思わず亮一の頭を抱きしめた。
まだまだ小さい、亮一の頭を。
お前は偉いよ、亮一。どうかそのまま強く……亮子さんのように明るく育っていってくれ……
私のささやかなその願いは、それから5年後に打ち砕かれることになる。
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