05 商人と猟師

「仔シカは一律、2〈フーガ〉。

 ムジナは土毛と煤毛が5〈フーガ〉。

 キツネは赤だと20〈フーガ〉。

 キツネはもちろん体と尻尾付きね。

 あ、金毛はすべて倍になるのよ。」

目を見開いて驚くヨエルに、

商人の娘でしかないキルスは買値を述べて

さも自慢気に胸を張った。


「どう? 凄いでしょ、わたし。」

「そりゃ、それ見たらオレだって分かる。」

彼女が後手に隠した覚書を指摘した。


分かると言った手前だが、言った本人は

書かれている〈ソーン文字〉を読めない。


「あら、バレてた?」

覚書で目を隠して恥ずかしそうにするキルスに、

ヨエルは首を縦に振って、それから横に振った。


「そうでなくて。〈フーガ〉が違うんだ。」

「値段?」

首をひねってキルスは覚書を見直す。


「毛の色は関係せん。」

ヨエルは普段の毛皮の値段を言った。


「あぁ、それはきっと父の仕業ね。」

なんとなく理由に気づいて、

キルスは頷きつつも

ヨエルの赤い髪の毛を見て言葉を探った。


「仔シカとムジナの値段の違いは、

 たぶん用途よね。」

「シカとイノシシは、クツかカバンになる。」

「そんな感じなのね。

 わたしは商品ばっか見ちゃうから、

 皮の材質で作るものは変わるんだね。」

「ムジナとキツネは首巻き。」

「…あぁ、襟巻き?

 〈中央〉ではよく見かけたわ。」

少し前のことをキルスは懐かしんだ。


キルスの言う〈中央〉は、

島の南側西部〈ケーロ国〉の首都

〈カーオ〉を示すが、呼びにくいので

〈中央〉の呼び名で親しまれている。

彼女は先月までそこで学士をしていた。


「〈中央〉にも猟師が居るんか?」

「〈ケーロ〉の首都だもの見かけないわ。

 〈アラズ〉の信徒や商人と町の人ばかり。

 猟師はキツネの襟巻きをするの?」

「するやつは居った。暑いからすぐ脱ぐが。」

「あはは。そうか、森林を動き回るもんね。」

「それに目立つ。」


〈ナルキア族〉の猟師の背負うイノシシの皮は、

赤い髪を隠す為に首から顔の皮を残しており、

頭巾とすることもできる。


「それは大変。

 猟師が猟をできなくちゃ、死活問題よね。」

「死活問題。」

キルスの口から出る

知らない言葉を自然と繰り返して、

ヨエルは口角を上げた。


「〈中央〉にも、猟師と同じで欲しい人と

 欲しくないって人が居るけれど…。

 欲しい人はひとりやふたりじゃなくて

 100人くらい、とにかくたくさん居るの。」

「多いな。」


〈中央〉は当然村に住む人間より多く、

村の猟師は5人しか居なかった。


村に住む人が多くなればなるほど、

食料や衣料、家、冬を越す為の毛皮が必要になる。


5人の猟師だけで、村の生活は到底支えきれない。


貧しい家であれば、口減らしの為に

子どもを〈南部港キアン〉に売ることになる。


「そう。

 でも今ここにはひとつしか無いから

 奪い合いを避けるために、

 欲しい人の中で一番高い値段で

 買ってくれる人に売るのが商人。」


「金毛は〈ソーンの民〉の買い手が多い?」

「ヨエルは飲み込みが早いのね。

 猟師がイノシシの皮を背負うように、

 金髪の〈ソーンの民〉にとっての

 金毛はお守りみたいなものかも。」


キルスは目の前の幼い取引相手を

半ば先生の気分で生徒として見ていたが、

商人として素直に感心した。


「商人は商品を仕入れ、値段を決めて、

 買いたいって言う他所の商人に売る。

 買い手が多ければもっと高い値段をつける。

 買われなければ商品の値段は下げる。」

「売れないのは安いのか。」

「売れるものも、安くするのよ。」

イタズラっぽい返答にヨエルは考えた。


「量の多い〈ファタ〉は安い…。」


〈ファタ〉の実は生活に欠かせない食材だが、

一粒一粒売り買いすることはまずしない。

そのため粒ではなく量で売る。


「シカも量が多いんか?」

「残念。当たりじゃないわ。」


妙な言い回しをしたキルスは、

半分嬉しそうにしている。


シカは安く、よく獲れる皮のひとつだった。

その答えを否定されると、ヨエルに

考えられた答えは残りのひとつだけ。


「じゃあ、売り手が多いんだな。」

「大正解。」

キルスは胸の前で小さく拍手した。


「量が多ければ、売り手も多い。

 お店がふたつ以上あったら、

 同じものでも安い方を買うでしょ?」

「わかる。」


ヨエルは買い物の経験は多くないが、

値の張る枯礬より量が多くて安い

ミョウバンを決まって買う。


「人気のある商品を安売りすれば、

 お客さんが集まって他の商品も買ってくれる。

 お客さんは他のお店に行く手間も省ける。」

「キルスの話は面白いな。」


ヨエルは深々と頷いた。

村にはこうした話をしてくれる人は居なかった。


「でもね、商売をするのは商人だけじゃないの。」

「農家か?」

「猟師もね。

 商人は他所の土地に運んで売るのが仕事。

 あ、運ぶのはもちろん業者だけどね。

 その土地にはその土地の商品がある。

 農地は穀物や野菜、港は魚介、果樹園は果物、

 牧草地帯や養鶏場なら肉、乳、卵ってね。

 あとは腸詰めやバターとかチーズの加工品、

 他にも靴や服、香水や髪細工とか楽器、

 鉄や動物の骨やツノで道具を作る職人も。」


すらすらと出るキルスの知識に、

行ったことも見たこともない市場の大きさを

ヨエルに容易に想像させた。


「そういう人たちの文化や生活があるのに、

 同じ物を他所から持ってきて安く売ると、

 今度は商人が売る物を無くしちゃう。

 買い手が居なくちゃ作る人が居なくなっちゃう。

 結局それは自分で自分の首を

 絞めることに繋がっちゃうの。」


キルスは地面に絵を書いて、

さらにその説明を始めた。


――――――――――――――――――――


〈サンクラ酒〉を造るこの町で、

ある外の商人が自分の商品を売りたいが為に、

製造所に『外のファタ』を安く売る。


製造所は安い『外のファタ』を喜んで買った。


生産量を増やし、労働者を増やすこともできる。


反面で〈サンクラ〉の農家は、育てていた

『町のファタ』が売れなくなり離農する。


製造所の労働者になるかもしれない。


農家という町の仕入元が居なくなれば、

外の商人は『外のファタ』の値段を戻す。


外の商人は〈サンクラ〉へ独占的に

『外のファタ』を売ることができる。


業者での輸送の手間を含めれば当然、

〈サンクラ〉の農家から買っていた

『町のファタ』より値段は高い。


外の商人は自分の商品も売れ、

〈サンクラ酒〉の製造所も

手中に収めることに成功する。


しかし製造所は高くなった〈ファタ〉に

採算が合わなくなると、値上げを迫られる。


これまで安く買っていたツケが回ってくる。

製造所の労働者も減らされるかもしれない。

解雇という名の口減らしが起こる。


製造所の生産量が下がれば元を取る必要がある。


〈サンクラ酒〉の値上げは客離れを産み出し、

売れなくなれば製造所はさらに生産量を落とす。


労働者が農家に戻る頃には、

製造所は〈ファタ〉を買うこともままならない。


〈サンクラ酒〉の売れない製造所は無くなり、

雇用の無い町に人は居なくなる。


外の商人は〈サンクラ酒〉が作られなければ、

『外のファタ』も売れなくなり、

自分の商品を買う客であった

〈サンクラ〉の町さえも失ってしまう。


――――――――――――――――――――


「オオカミの子どもを狩るな。」


ヨエルは顎を親指で撫でて呟いた。

興味深くキルスの話を聞いているうちに、

彼は父の言葉が思い浮かび口に出た。


「なにの話?」

「あ、猟師の言葉だ。森林に棲む

 オオカミの毛皮は高く売れるけど…。」

「そうね。書いてある。ホントに高いのね。」


大人オオカミ80〈フーガ〉。


手元の覚書には、

金毛のキツネの倍の買値が付けられていて

キルスを驚かせた。


〈ケーロ〉の国章はオオカミで、

大きく、毛深く、柔らかい皮は人気が高いが、

過去の乱獲の影響があって頭数は減少した。


「オオカミは群れを作って、

 イノシシやシカを追い込んで狩る。

 畑を荒らすイノシシやシカ、

 ムジナたちの敵はオオカミ。

 それにかしこいから人里に降りゃせん。

 だから子どもの居らんオオカミは

 狩ってはいかん。」

「商売と同じで、面白い訓話ね。

 今年の収穫量は獣害が増えているもの。

 イノシシ、シカ、ムジナ、キツネに野犬…。」


「そうだ。銀毛は?」

「銀?」

小屋に居着いた銀毛のキツネを思い出した。

珍しい毛色のキツネだった。


「銀は買い手が居ないわね。」

「いない?」

「〈中央〉でも出回ってるのを見たことないわ。

 銀毛は〈クレワの民〉と同じ髪の色だもの。」

「〈エンカー族〉、〈ナルキア族〉、

 〈ソーンの民〉、〈クレワの民〉。」


ヨエルは呟いた。


この島と大陸には

4つの人間が暮らしていて、

長年対立を繰り返していた。


島の南側を擁立する〈ソーン〉と〈クレワ〉。

〈聖教国ソーン〉、金髪の〈ソーンの民〉。

〈クレワ帝国〉、銀髪の〈クレワの民〉。


島の北側に住み着いた赤髪の〈ナルキア族〉。

大陸の両国に挟まれた緩衝地帯であった

土色と暗い煤色の髪の〈エンカー族〉。


〈聖人ラッガ〉はこの2族を連れて

島の所有者から許しを得て、

〈南部港キアン〉を築き

島の南側を開拓した。


出自は〈エンカー〉とされる〈ラッガ〉の

髪の色は国によって記録がまばらであり、

正しい髪色を知る者は居ない。


大陸の北西と南東に別れた金と銀の国は、

〈ラッガ〉の死後、島の南側を

〈ケーロ国〉と〈ヤーテ国〉に分け、

対立を何世代にも渡り続けた。


〈禁域〉に住まう島の所有者はこれに怒り、

町を丸ごと焼き払った。

その町は今でも死の町として遺されるという。


これが後世に伝えられる〈煤まみれ〉であった。


キルスはすらすらと地面に線を描き、

〈ソーン文字〉で国名と種族名を記述した。


学のないヨエルは読み書きができないものの、

キルスの綺麗な文字と丁寧な説明を

照らし合わせてしきりに頷いた。


(金毛は自国、銀毛は敵国。だから売れない。)

おかげで理屈は理解できた。


「銀毛は無い…よね。」


持ってきた毛皮に銀毛は無い。

キルスは覚書を再度確認した。


「うん。家に棲み着いた。変なヤツ…。」

ここまで言って、口をつぐむ。


(言葉が分かる動物、なんて言えやせん。)

自身でも信じがたいことを軽々しく口にすれば

相手を戸惑わせたり、不審がられるに違いない。


しかしキルスはそんな話を

興味深そうにして彼を見た。


「大陸の猟師は犬と共に猟をして、

 口笛や声で喋るみたいに指示を出すんだって。

 牧羊犬と同じかしらね。」

「ぼくよー?」

「羊飼いは移動する群れの羊を誘導して、

 犬に口笛ひとつで羊を追うように指示するの。

 オオカミに似た犬を羊は怖がるけど、

 そうやって羊たちをオオカミから守るの。

 羊飼いの生活の相棒ね。」

(オオカミや犬と一緒にすると、

 あのキツネは怒るだろうな。)


キルスは唇を尖らせて、口笛を吹く真似をした。


空気が抜けた音がした。


ヨエルも真似て口笛を吹くと、

高く鋭い綺麗な音が出た。


「わたしのは悪い見本ね。」

「できないだけじゃないか?」

「ヨエル先生、もう一回やって。」

「あべこべだ。」


キルスに請われ、

彼はもう一度口笛を吹き鳴らした。

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