第十一話「死の舞踏」

                ◇


「誰? ……何処から現れたの?」

 

 アンヌが顔を顰める。もう誰も居るはずもない地下の階段から、その男は現れた。

 魔神がいきり立った様子で鼻息を鳴らす。アンヌはそれを見て状況を察した。

 そうか。やはりこの男こそが協力者。もう一人の、ユーリの仇。


「――殺せ」


 その一声が開戦の合図。だがそれよりも早く、握られた鎖を引きちぎるように、魔神は突進していた。対するカグラギは微動だにせずそれを待ち構える。外套の下に両手を隠したまま、ただ一点を凝視して、不動の態勢を貫く。

 間合いが極まる。激突の直前、魔神は無数の腕で身体を覆うと、姿勢を落とし大きく踏み込んだ。刹那、その巨躯が堅く引き締まる。凝縮は膨張へと転じ――加速する。鎧も防御も意味を為さない。城壁すら打ち砕き、そこに大穴を開けるだろう。

 常人には受けきれようもない一撃を、カグラギは真正面から受け止める。

 そして、呆気なく吹っ飛ばされた。  


「は?」


 リーゼロッテはぽかんと口を開けた。

 カグラギの身体が小石のように宙を舞い、祭壇の説教台に突っ込んでいく。

 そして、壊れた十字架やら燭台やらと一緒に埋もれてしまった。


 ――え? な、に。何やってるの。あいつ。嘘でしょ? あんなカッコつけながら出てきて、その結果がコレなの? ちょっと期待したあたしのときめきを返、


「……?」


 あまりの光景に眼を奪われ、リーゼロッテはそれに気づくのが一瞬遅れた。

 すぐ傍らにいるアンヌがいつの間にか膝を地面に着けている。

 両手で押さえた腹部からは、ぽたぽたと赤い血が零れ落ちていた。


「あッ……あッ……ああああああああああああ!!!!!!!」


 アンヌの絶叫で、リーゼロッテは何が起こったかを理解した。……銀だ。視線をもう一度祭壇へと向ける。そこには瓦礫を掻き分けながら立ち上がる男の姿。左手には、聖堂騎士たちが持っていた十字弩が握られていた。

 

「――■■■■!!」


 苦痛にのたうつ主人に呼応するかのように山羊頭が咆哮する。カグラギは弩を投げ捨てると、外套の下から、真紅に濡れた双剣を取り出して両手に構える。

 そうして両者の、一騎打ちが始まった。


「――■■!! ――■■!! ――■■■■!!」


 先の先、先の後、後の先、後の後。魔神の複腕は鋭利な刃に変形し、伸縮しながら絶え間なく振るわれる。カグラギは長椅子を盾にしながらひたすら走り、双剣で連撃を逸らし続ける。


(――すごい。あんな化物相手に)


 リーゼロッテは感嘆する。あの腕の一撃一撃が致命的な威力を持っているのは間違いない。常人ならばさきほどの騎士たちと同様に、数瞬たりとも持たないだろう。


(――だけど)


 形勢は絶望的。素人目に見ても、勝ち目というものが全く見当たらなかった。

 上手く立ち回っているものの、カグラギは未だに魔神にまともな一撃を打ち込めていない。仮に打ち込めたとしても、僅かな傷を与える事と引き換えに彼は命を失うことになるだろう。それに、いつまで躱し続けられるか。人間の体力には限界がある。僅かでも傷を負えば動きは鈍り、一気に形勢は傾く。


 同じ状況はいつまでも続かない。至極当然の理。

 しかし、それは魔神にとっても同じことだった。


 延々と続く攻防は変わり映えのしないものに思えた。しかし徐々に、確実に変化が生じている。カグラギはそれを肌で感じ取っていたが、リーゼロッテが気づくのはもう少し後。聖堂内の壁や床、彼の外套が血飛沫で赤く染め上げられてからだった。

 その血は無論、複腕の魔神のものだ。カグラギは少しずつ、しかし確実に。魔神の振るう腕に刃を合わせ、その勢いを利用して裂傷を負わせていたのだ。

 しかし妙な話ではある。銀の矢さえものともしない魔神の自己治癒能力をもってすれば、掠り傷など瞬きの間に塞がるはず。だが確かに傷は塞がっていない。魔神が振り回す無数の腕からは、血が止め処なく迸っている。

 その原因はカグラギの手にしている武器にあった。炎状剣フランベルジュ。波打つ曲刃はその傷口を抉り削ぎ治癒を遅らせる特性を持つ。そして極めつけは剣に塗布した赤い粘液。それは《アルファルドの火》と呼ばれる、一種の毒薬である。神経毒の類は魔神には通用しないが、出血毒であるこの薬の効果は十分に表れていた。


「――――■■!!!!」


 夥しい出血の影響から、徐々に魔神の動きが緩慢になる。そしてカグラギは初めて攻勢に出た。二撃躱して一撃。四撃躱して一撃。あくまで腕を狙い、浅く引き斬り、それ以上は踏み込まない。隙を殺した最小限の斬撃。

 しかし、それでさえ魔神にとって好機として十分だった。


「ッ……!」


 長椅子の群れの中にカグラギの細い身体が吹き飛ばされる。双剣が功を奏し、辛うじて防御は間に合っていた。しかし一方の剣は折れ飛び、もう一方は手放さざるを得なかった。だが十分。削れるだけは削った。魔神には明らかな隙が生じてきている。

 

 即ち、ここからが正念場。


 眼前に魔神の複腕が迫る。カグラギは短く息を吸いこむと、転がるようにして身を躱し、外套の中から、鎖に繋がれた二対の三日月刀ショーテルを取り出した。

 そこからは、生命の削り合いだった。曲刃が躍り肉を裂く。魔爪が奔り肉を抉る。吹き荒れる血風が、神聖な広間を毒々しい紅色に穢していった。蠢く傷口を深く、更に深く。男は斬る。ただ斬り抉る。一手間違えば死。一歩退けば死。故に前へ。ただ前へ。無謀な攻勢。男は防御を損ね、容赦のない一撃を受けて弾き飛ばされた。だが立ち上がる。血反吐を零しながら、何度も。何度でも。


 思わず、リーゼロッテは見惚れていた。

 何度、彼は死線を潜ったのか。

 何故、まだ立っていられるのか。彼女には分からない。


「――■■■■ッ……!!」


 魔神の複腕はことごとく切断され、左右あわせて四つずつになっていた。そのうち右の二本が急速に伸びて真下から振り上がり、カグラギの黄鉄笠を高く弾き上げる。

 カグラギは大きく飛び退くと、鎖で繋がれた双曲刀を魔神めがけて放り投げた。するとそれは蛇のように魔神に絡みつき、四本腕の動きが止まる。刹那、カグラギは距離を詰めると魔神に身体を密着させる程に接近した。

 一つ、二つ。躱して三つ。四、五、六、七、潜って八、九――魔神が鎖を振り払う頃には十を超える数の刀剣が深紅の巨体に突き刺さっていた。外套を脱ぎ捨てたカグラギの、残された武器は腰の大小二本のみ。すっかり身軽になった彼に対して魔神の動きは重々しかった。あらゆる手を打ち尽くし、勝勢はついに彼の方へと傾く。


「――、」


 両者は対峙し、乱れた息を整えながら、楔が及ぼす自己治癒の効果を待っていた。

 次の攻防で勝負が決まる。慎重に、動くべき時を見極める。

 やがてその時は来た。肉がせり出し、魔神の身体から二本の剣が落ちる。

 その瞬間、魔神が地を蹴った。だが、先に動いていたのは男の方だった。

 カグラギは足元に落ちた黄鉄笠を拾いあげて投擲する。しかし魔神はその手を既に見切っていた。投擲は目くらましに過ぎず、本命は別にあるということを。

 相手の狙いは、背後。ならばこちらも初見で見切れない手で対応する。あえて相手をこちらに組み付かせ、その瞬間に形態変化で背中から棘を生やし、貫けばいい。

 だが魔神は知る由もない。次に、何が起きるのかを。

 仮に知っていたとしても、どうすることもできなかった。

 そうなるように彼は仕組んでいたのだ。今この時、全ての為に。

 同じ手は通用しない。刻まれる予想図。それこそが盲点となる。

 変異抜刀へんいばっとう太刀筋妖たちすじあやし。妖刀使いの至極の一手が閃いた。


「――■■!?」


 白刃はくじん一閃いっせん

 魔神は大きく態勢を崩し、その胸板を地面に打ち付けた。瞬時に二本の腕を使って上体を起こそうとするが、立ち上がれない。立ち上がれるはずもない。自らの片足首が喪失しているのだから。


 何が起きたのか。それは瞬く間も無い刹那の出来事だった。


 カグラギは黄鉄笠の投擲と同時に、四足獣めいて、蛇の如き俊敏さをもって、滑り込むようにして魔神の足元に踏み入った。そして左腰に携えたカタナを抜き放ち、ただ一刀の元に魔神の右足首を断ったのだ。地を這うかのような迅雷の太刀筋はおよそまともに剣が振るえるような高さではなかった。まさに魔剣と呼ぶに相応しい狂逸の技である。

 しかしこれだけの芸当ができて何故、とも思うだろう。だが相手が十全であったならばこれは通らない手だった。出血で体力を奪い、短刀をねじ込み、自分の装備を軽くして、かつ一度見せた手を布石として惑わせる。それだけの事をしてようやく為し得た結果なのだ。


 奇手きしゅみだして鬼手きしゅ穿うがつ。それこそが彼の《妖刀》。

 回避不能の、魔剣の術理。


 カグラギは跳躍し、仰向けになった魔神に馬乗りになると山羊頭の口にカタナを突き入れた。返り血を浴びながら、腰に携えた最後の武器である脇差に手を掛け、魔神の心臓位置――不気味に輝く石楔をえぐり出すように刃を突き入れる。


「――、」


 だが、届かない。そこで終わる。

 彼が楔を掴んだ瞬間、魔神の二つの掌もまたカグラギの身体を掴んでいたから。


「……カグラギ!」


 思わず、リーゼロッテは彼の名を叫んだ。彼女の視界には必死で治癒呪文を唱えるアンヌの姿と、床に転がる一本の銀の矢が映る。


「そうはさせないッ……私とユーリの……ッあの子までは奪わせないッ!」

「……ッ! あああああああああ!」


 折れたままの足をひきずって、リーゼロッテは決死の形相でアンヌへ飛び掛かった。揉み合いながら床を転げまわり、銀の矢を右手でつかみ取る。そして、アンヌの心臓に銀の矢を突き刺した。悲鳴を上げる代わりに、アンヌはその眼と口から大量の血を零す。片腕が力なく、リーゼロッテの袖を握り、何かを懇願するかのように口を動かし、そして、


 アンヌは絶命した。


「――■■■■!?」

 

 途端、魔神に異変が起きる。魔女との契約が立ち消え、魔神にとっては酸素にも等しい〈魔力〉という名の生命線を失ったのだ。生命の楔は死を妨げるが、苦痛までは和らげない。魔神が痛みに悶えるその隙を、カグラギは見逃しはしなかった。死の淵に沈み、閉じかけた瞳が喝と見開かれ、そこに爛々とした生気が灯る。


「……、おおおおおおおおお!!」


 裂帛の気合と共に、カグラギは掴んだ石楔を引き抜いた。

 けたたましい断末魔の叫びと共に、魔神の身体が溶けるように崩れ落ちる。

 後には、赤黒い骨肉と、湖のような大量の血溜まりだけが残った。

 

「……」


 カグラギは手にした楔を地面に放ると、血だまりに浮かぶカタナを拾い上げ、よろよろとリーゼロッテの元に歩み寄っていく。へたり込んだリーゼロッテは、呆けたように眼の前の男を見つめていた。全身を斬り刻まれ、血塗れになった男の姿は惨烈そのもので、まるで死体が動いているかのようである。しかし何故だか彼女の眼にはそれがとても美しいモノに見えた。見れば見る程に、囚われていく。露出した胸元に浮かぶ緑光は、幻想的ですらあった。

 カグラギは手にしたカタナの刃をリーゼロッテへと突きつける。


「……お前は、魔女か?」


 その問いは、愚問である。しかし必然であろう。ロッテと名乗った女とは似ても似つかない容姿。カグラギにとって目の前の人物は見知らぬ人物だった。


「まあ、ね。異端の魔女って、そう呼ばれてるらしいわよ。……あんたは?」

「……?」

「何て呼ばれていたんですか? ――探索者さん」


 彼の知る都市魔術師の声色でリーゼロッテは聞き返した。

 目の前に居る人物が何者なのかを察すると、カグラギは静かに答えを返す。


「――妖刀使い」

「は、――」


 リーゼロッテはひくりと口元を引き攣らせた。

 聞いた事がある。確かにそれは、有名だ。魔女の間では特に。


「は、はは。あんたが、あの妖刀使い? く、は。あははははは……」


 リーゼロッテは心の底から笑い転げた。

 何故ならそれは彼女にとって憧れであり、英雄にも等しい存在だったから。

 ヴァン・ディ・エールの妖刀使い。かの迷宮の崩壊を招いた元凶とされる《到達者》達の一人。このシャルマーニュでは聖職者殺し、魔女に味方する悪逆の大罪人として有名だ。もっともそれは表向きの話、裏向きに言えばその男は魔女宗に仇なす、”真の魔女狩り”とも呼べる存在だった。

 三年前、迷宮の大崩壊を生き延びた《妖刀使い》は、迷宮崩壊の真の黒幕である《魔女宗》の一員を殺し歩き、《魔女》として捕らえられた無実の罪人を救おうと奔走していた。

 真実を知らぬ民衆は彼を蔑み、魔女達は愚かであると彼を嗤っただろう。

 しかし、魔女の娘として生まれ落ちながら、この世界の仕組みを憎んでいた彼女にとっては違った。人々に蔑まれながら、たった一人で戦い続ける存在に心を打たれ、どうしようもなく憧れた。


 だが半年ほど経った頃、妖刀使いは唐突にその姿を消した。

 ついにあの馬鹿者が死んだと、魔女達は笑い転げていた。

 その日、少女は決心した。魔女達を裏切ろうと。

 消えてしまった彼の遺志を継ぎ、自分が第二の《妖刀使い》になってやろうと。

 

「ふ、ふふ。冗談でしょ?あんたがあの妖刀使いなわけない。だって、ぷ。あはは。噂と全然違うじゃん」

「……」


 妖刀使いの容姿については諸説ある。それは白金の板金鎧に身を包んだ美貌の貴公子であるとか黒鉄の甲冑を付けた山のような大男であるとか、かつて狂王に仕えた《扶蘇》の末裔であるなど実に様々だが、共通している事項が一つだけある。

 ――妖刀使いに斬れぬものなし。手にした魔剣にて万物をただ一刀の元に両断するのだという。言うまでもなくそれは、圧倒的な強さを比喩してのことだろう。

 だがこのカグラギという男はどうだ。確かに身のこなしは卓越しているが、現実離れした強さというほどでもない。噂は噂に過ぎず多少は誇張されるものだとしてもリーゼロッテには今目の前に居る男があの妖刀使いであるとは到底思えなかった。

 けれど、もう。彼女にはそんな事はどうでもよかった。彼女にとっての”英雄”は。待ち焦がれていた人物は。眼の前に居る人物以外には有得ないのだから。


「……殺して」


 穏やかに笑いながら、リーゼロッテはそう呟いた。


「あたしは、あんたを殺した。……だからちゃんと、その報いを受けさせて」


 言った途端、リーゼロッテは嘔吐しながら気絶する。


「あらあら。魔力切れか。まあ無理もねえわな」


 呆然と立つカグラギのすぐ傍に、三本足のカラスが湧いて出る。


「グエン。……どういうことだ? これは。説明しろ」

「ああ? まだよくわかってねえのかよ。しゃーねーなー。ほら、こいつはあれだよ。昨日の昼間にお前が助けた女。人間を操る魔眼と、姿を変えたり、消したりする魔術を使う。んで、異端の魔女って呼ばれてるらしい」

「異端の魔女?」

「魔女宗の裏切り者で、魔女を殺す魔女なんだとよ。カカ。どう思うよカグラギ? まるで、いつかどっかの誰かさんみてえだな?」


 カグラギは硬直する。

 昼間の不可解な出来事、そして鴉の言葉の意味をようやく理解した。

 魔女宗を敵に回す者。つまりそれは、かつての己と同類ということ。

 外道を殺し、貶める道を往くと決めた無頼の輩。

 男は魔女の顔を見つめた。似ても似つかない。しかし奇妙な鏡を見ているようだった。まるで自分自身に刃を突きつけているような、そんな錯覚を覚える。


「さて、どうするんだカグラギ。この女を殺すのか? ――見せてくれよ、お前の選択って奴を」

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