二人の約束

 あのキスの後、僕と彩音は、恋人に最も近くて、だけど言葉にすることはないから最も恋人になりにくいという奇妙な状態で、学校生活を送っていた。よく言う、両片思いとかそういう状態だった。僕は確かに彩音を好きだったし、彩音は確かに僕を好きだった。それをお互いにわかっていたけれども、口には出さなかった。


 言葉なんてなくても、愛が確かに存在して伝わったから。


 授業中に目があえば、彼女は教師にばれないように目を盗んで小さく手をふってくれたし、給食のカレーをよそってくれるときも、彼女がすくってくれた時だけ、目には見えない愛情のようなものを感じることができた。僕たちはもともと仲良くしていたので、冷やかされることはあったけれど、本気でそれを疑われることはなかった。


 時には、わざわざみんなにばれないように体育倉庫の裏側。ちょうど学校の窓からは見えない場所に隠れて、手をつなぎに行ったこともある。その緊張感がより一層、僕らのつながりを感じさせた。二人だけの秘密という、特別感もあった。


「えへへ」


 彼女はいつも手をつなぐときに、照れくさそうに笑っていた。なんだか、その笑顔がむず痒くって、僕も目を逸らしながら空いた片方の手で頭を掻く。はじめは、指を少しだけ絡ませるだけのものだったが、回数を重ねるたびにすべての指が絡まり、彼女が教えてくれた恋人つなぎになって、二人で肩を寄せ合って腕を絡ませて。


 そんなことをしていれば、良太と翼さんには気が付かれたけれど、二人は素直に祝福してくれた。この時には、彩音に対するある種の信仰心も、僕の内側からはほとんどなりを潜めて、僕はただ純粋に彼女に恋する一人の男だった。


 彩音の手を、唇を、その先もすべてを自分の物にしたかった。そう言ったある意味では正常な独占欲が働いて、彼女がグループワークなどで他の男と話していると、しっかりと嫉妬した。彼女の周りに男が近づくと、経過した。


 でも、それは普通の恋心だった。小学六年生が持つべき、等身大の恋心だった。


 そんな僕らに当てられたのか、ある土曜日。翼さんに彼女と共に呼び出された。


 土曜日と言えば、良太のサッカークラブで練習があるから、四人で集まることは少なかった。だからこそ、僕と彩音は毎週の土曜日にいわゆる逢瀬を重ねていた。クラスメイトに見つからないように少し遠出して、お金はあまりなかったから公園などでぼんやりと過ごすだけだったけれど、その時間を楽しみに、家に帰ってからの長い時間を過ごしていたような気がする。もちろん、電話などは与えられていなかった。


 そんな途中に翼さんからの呼び出しを受けたから、その時の僕は乗り気ではなかったけれども、彩音の言う通りに翼さんの指定した場所へとやってきた。そこは翼さんの住んでいるマンションから見えるほど近くにあるファストフード店だった。


「こっちだよ」


 僕たちを見つけて、翼さんは手を振った。彼女がそれに答えて手を振り返して、彼女の腰かける前に僕が、翼さんの隣に彼女が座った。そして、自分たちの注文を終えると翼さんに話を促した。いったい、何の用事があっていきなり呼び出されたのか、興味はあった。基本的に、四人は彩音を中心に回っていたグループだったから。


「あのさ、私」


 その言い方は、普段からはっきりとものを言う翼さんには珍しく、どこかぼんやりとしていた。話の内容がつかみにくいけど、少なくとも大声で言うようなものでは無いのだろう。僕は黙って翼さんが話出すのを待っていた。


「私、良太君のことが好きなの」


 顔を赤くして言う翼さん。その言葉が終わった途端に、彼女は翼さんを抱きしめた。翼さんはいきなりのことに驚いていたけれど、彼女はとても綺麗な笑顔だった。


「もう、知ってるよ。そんなこと」


 どうやら、彼女は気が付いていたらしい。正直、僕は翼さんが良太のことを思っているなんて一ミリも気が付かなかった。確かに良太はサッカーもうまくて、勉強もそこそこできるし、なによりも優しい。誠実で、気遣いができる。僕が困っていると屈託のない笑顔で手伝ってくれる。偉そうな話ではあるけれど、彩音が付き合う相手として良太ならいいと思えたほどだ。


「お似合いだよ。美男美女っていうか、そう思うよね?」


「ああ、うん。すごく似合ってる」


 彼女の言う通りに、二人が並んで歩くと絵になった。二人とも背が高いし、翼さんも頭が良くてスポーツも得意。確か、林間学校の時に男子たちが話していた可愛い女子のランキングでは彩音と共に早いうちに名前が出ていた気がする。


「そ、そうかな。恥ずかしいけど、でも嬉しい」


 僕たちがそう言うと、翼さんは顔をまるで風船のように真っ赤にして嬉しそうに、でも恥ずかしそうに笑った。その顔は普段のどこかクールな翼さんとは違って、可愛らしかった。こんな女の子に好いてもらえて、良太も幸せ者だろう。


 そのとき、彩音はものすごく良いアイデアを思い付いた時のように、大きく手をたたいた。部活帰りの中高生で騒がしい店内でも、注目を引くほどに大きな音がなって店内の視線が一斉にこちらへと向いたが、彼女はそれを気にしない。


「そうだ! 今から試合を応援しに行こうよ」


「試合?」


「そうだよ。良太君、今日は試合があるって言ってた。応援に行って、そのまま告白しちゃおうよ。今日の翼、すごくかわいいし大丈夫だよ」


 彼女はすごく楽しそうだ。その姿を見ていられるのは、僕も幸せだった。しかし、それに翼さんを巻き込んでしまうような形になってしまうのではないだろうか。そんな僕の心配は杞憂に終わった。翼さんも力強く頷いて、すぐに立ち上がったのだ。


 こうなることを予感して、その後押しを欲しがったのかもしれない。


「わかった。私、良太君に告白する」


「そうだよ! その意気だよ」

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