第18話 会いたかった

 瑠優が目覚めた時、傍らに麗夜はいなかった。


 やはり、夢だったのか……


 傍らであの美しい金色の髪を持つ人が、微睡み、呼びかけると自分を抱きしめてくれる、そんな幸せな夢。


 私は麗夜の傍にいてはいけないのに。


 瑠優は無理矢理身体を起こし、辺りを見回し、不安に駆られる。


 ……ここはどこ?


 見覚えの無い部屋。窓の外は暗い。しかし、部屋は薄く灯りがともり、暖かく居心地がいい。

 それでも、見慣れぬ場所への不安に、なんとか立ち上がろうとしたが、眩暈を起こしてしまい、また、座り込んでしまう。自分の身体が言うことを聞かない。


「あら、大丈夫?」


 自分の中からいつもの声がする。

 最近はだいぶ大人しくなっていた。でも、この声の持ち主が私に話しかけるということは……


 私はまたあの力を「借りた」のか……


 その力を借りると、声の主が目覚める。

 この声の主は禍を好み、そして、その性質たちは瑠優の周りの者を容赦なく巻き込む。

 貴都を亡くしたのは、瑠優がその力を借り、ある人の傷を癒したことで結果として、この声の主の性質に巻き込んでしまったことが原因だったと、瑠優は考えていた。

 だから、声の主の力を借りなくても自分を守れるように、自分以外の誰かを守れるようになりたかった。

 剣を学び、鍛え、いつの間にか「大陸最強」と呼ばれるようになる。その力を借りなくても済むようになったからか、声の主も大人しくなった。


 それでも。


 どんなに会いたくても、どんなに傍にいたくても……

 麗夜を禍に巻き込み、失うことが怖かった。


「でも、私のおかげで麗夜は助かったじゃない」


 お願いだから力を……力を貸して!


 瑠優は自らの叫びを思い出す。

 では……あれは。

 麗夜の腕の中、あの暖かさは……夢ではない?

 瑠優は立ち上がり、部屋を出る。

 麗夜が許してくれなくても、麗夜を失うことが怖くても、それでも、あれが夢では無かったことを確かめたかった。


 その部屋の扉の向こうから、麗夜の気配を感じた。


 麗夜がいる……

 こんなに近くに……


 あれは夢では無かった。

 もう、それだけで十分だった。このまま部屋に戻り、身支度をしてここから出よう。

 私さえ傍にいなければ……麗夜が禍に巻き込まれることは無い。


 そう、わかっていても、瑠優の身体は動かない。

「ずっと一緒にいたい」

 その奥底の願いが、身体を動かすことの邪魔をする。

 そう、逡巡していると急に目の前の扉が開く。


「何か御用ですか」


 そう、声を掛けた、その人物の「気配」に瑠優は驚く。


 この人……どうしてここにいるの?


「すみません。部屋に戻ります」

 冷静を装いながら。

 その「気配」に声の主すら警戒していることがわかる。

 早くこの場から立ち去らなければ……。

 しかし、麗夜に抱き上げられ部屋の中に入る。

 その得体の知れない「気配」に、瑠優は怯え、麗夜の服の裾を手離すことが出来なかった。



 自室に戻った麗夜は瑠優を寝台に寝かせる。

「大丈夫か?」

 麗夜の問に、明らかに体調が悪そうでありながら、

「ええ。話の邪魔をして申し訳ありません」

 どこか他人行儀な口振りで、その上、麗夜と目を合わせないようにしていることに気がついた。

 その様子は、まるで、麗夜を恐れ、怯えているように見えた。

 少なくとも。戦場での瑠優は堂々としており、今、麗夜に見せている「怯えている」様子は無かった。

 瑠優は俺に怯えているのか?

 それが麗夜の気に掛る。

 もし、そうだとしても。手放すつもりはない。しかし……


「いや、それはいい。瑠優、俺が怖いのか?」

 意を決して、麗夜は問う。

 瑠優はやや驚いた表情を見せ、急に身体を起こした。

「違います!」

 一度唇を噛んでから話し始める。

「私は、麗夜の傍にいてはいけない。貴都を死なせてしまった私が麗夜の傍にいてはいけないから……」

 曰く。

「獅子将が貴都という剣闘士を探している」という噂は、仲間内では有名な話だったし、瑠優の耳にも入っていた。

 そして、瑠優はその言葉を言葉のまま信じていた。

「貴都が亡くなったのは、私のせいだから……」

 貴都からも麗夜からも止められていたのに、不用意に瑠の力を使ったがために貴都を亡くした瑠優はそれからその力を封印し、自らの力で生き抜こうと決めたのだそうだ。


「私は『禍を呼ぶ』から……」


 何故、そんなことを言うのか?

 誰に何を言われたのか?


 瑠の字を継ぐ娘狩りどころかこの戦乱すらも、瑠の字を継ぐ自分がこの大陸に生まれたからだと、全ては自分のせいだと、瑠優が考えていることが、麗夜には手に取るようにわかった。


「だから…私は麗夜の傍にいてはいけないと思っていたんです」


 禍を呼ぶ者が傍にいてはいつか麗夜に害を及ぼすのではないかと、そして、それを瑠優は最も恐れていると。

「麗夜には私に関わることなく、平穏に生きてもらいたかった。だから……そう、わかってはいるんです。でも…」

 瑠優は急に言い淀む。


「でも……会いたかったんです。麗夜に……一緒にいたかったんです」


 表情は薄く、その感情の動きは見えない。でも、唇を噛み嗚咽を我慢し、こう言い切った瑠優を、麗夜は抱きしめる。

 そのうち、瑠優は麗夜の胸に顔を埋め、声を我慢しつつ、でも、泣きじゃくり始める。

「大丈夫だ」

 瑠優の耳元で麗夜は静かに、そして、何度も繰り返した。子供のように泣きじゃくり始めた瑠優が落ち着くまで。

「もう、大丈夫だから。瑠優、ずっと一緒にいよう。昔、約束しただろう」

 麗夜が言うと、瑠優は顔を上げる。

「いいの?」

 戸惑いがちな表情。ああ、この表情は昔よく見た。


 瑠優は昔と何も変わっていない。

 麗夜を守り、その傷を癒すために、自分の身を顧みなかった、あの頃の瑠優と。


 麗夜は返事の代わりに唇を重ねる。その唇は熱く、麗夜に何かを思い留まらせる。

 瑠優の体調を思い出し、そのまま寝台に寝かせた。瑠優は不安気な表情で麗夜を見つめる。

「大丈夫、いなくならないよ」

 麗夜がそう言うと、瑠優は安心したのか目を瞑った。


 二人が出て行って程なく紅が茶を持って部屋に戻り、

「二人は部屋に戻ったんですね」

と、取り残されていた雄毅に声をかける。

「麗夜がずっと捜してたのは水都なのか?」

 あまり察しがいいとは言えない雄毅でさえ、麗夜が誰かを探していることには気がついていた。

「まぁ、そうなんでしょうね」

 紅が聞いていた話とも違うが、その話が真実だとも思っていなかった。最終の目的は彼女だったんだろう。


 しかし、あの娘は……


「戦にしか興味が無いと思っていたんだが。ベタ惚れだな」

 その戦さえも彼女を探すためのもの。このまま静夜が放っておいてくれたら、二度と戦うこともしないだろう。

 しかし、そうはいかない。

 紅は静夜と麗夜の仲の悪さを直接見たことはないが、静夜の心中、察するものはある。

 そして。

 多分、羅の国は水都を放っておかない。現に今…

「雄毅、私は少し出かけてきます。水都との手合わせ前にあなたも休んでおいた方がいいですよ」

「ああ、わかった」

 そうして、部屋は無人になった。

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