第7話 瑠の字を継ぐ娘

 麗夜はこの日から、この少女と一緒に過ごすこととなった。


 この少女が「瑠優るゆ」という名であることの、本当の意味を知るのは、だいぶ大人になってからだ。

 確かに言葉を発することはないが、何かを話した気にじっと麗夜を見る顔や、話しかけると嬉しそうに見せる笑顔で瑠優の感情はわかった。

 その全てが愛らしい。だからこそ、彼女が親に嫌われた理由が初めの頃は全く理解できなかった。


 それが理解できたのは、ここに来て一年程過ぎた頃。その日は普段からよく行っていた野山で野草を探していた。

 いつも、貴都から「離れるな」と言われていたが、その日はつい夢中になり、気がついたら瑠優と二人、貴都からだいぶ離れてしまっていた。

 そろそろ、戻ろうと瑠優に声を掛け、二人で立ち上がる。


 その二人の後ろで。

 ガサリ。

 草が踏まれる音が響いた。


 貴都が探しに来たのかと振り返ると、そこには見知らぬ男が立っている。

「へぇ、こんなところに子供ねぇ」

 明らかに不審な男。もしかして、野盗?

「良い服を着てるなぁ。もしかしてお貴族さんの子供かい?」

 その男はまず、瑠優に手を伸ばした。麗夜は咄嗟に瑠優の前に立ち、庇う。

 ここに来てから、確かに貴都から剣の手解きを受けてはいたが、大人に敵うわけがない。わかってはいたが、その時麗夜には「瑠優を守る」という気持ちしか無かった。

 瑠優を後ろ手に庇い剣を構える姿を野盗は笑った。

「兄ちゃん、珍しい髪の毛してるじゃないか。そっちの娘もえらいかわいい顔をしてるな。まとめて売っ払えば結構良い値がつくんじゃねぇか」

 麗夜の背中で瑠優が怯えているのがわかった。

「兄ちゃん、俺に敵うと思っているのか?」

 笑いながら伸ばしてきたその手に、麗夜は思い切り剣を振る。油断しきっていた野盗の腕にそれは当たった。

「てめえ」

 だが、それは当然致命傷となるわけでもなく。ただ、野盗の怒りに火をつけただけだった。麗夜は軽々と持ち上げられ、地面に叩きつけられた。

「後で売り物にするんだから殺しはしない」

 そう言いながらも手加減は無かった。身体の中から変な音がして、その度に痛みが走った。そんな麗夜に野盗は更なる痛手を負わせようと近づいて来る。その姿を視界の端に捉え、麗夜は身体を固めた。

 その時だった。


「あ…あぁ…」


 初めて聞く瑠優の声。低く絞り出すような声。

 しかし、その声で麗夜の視界から野盗が消えた。来るはずの衝撃も受けない。代わりに小さな手が麗夜の身体に触れた。

「瑠優?」

 その手は暖かく、触れた場所から痛みが消えていく。

「麗夜…」

 その声は耳から聞こえたものだったのか、頭に響いたものだったのか。

 この暖かさも、この声も、ただ心地好かった。


 痛みがすっかり引き、身体を起こすと。


「何が…起こったんだ?」


 自分と瑠優を中心にまるで竜巻でも起きたかのようだった。野盗は吹き飛ばされ、地面に叩き付けられていた。

 瑠優もその場に倒れていた。

「瑠優!」

 身体に触れるとひどく熱く、呼吸も浅い。

「今回は…また、えらく派手だな」

 頭上から声が降ってきた。今度こそ貴都だ。麗夜は必死に言う。

「貴都、瑠優が…」

 貴都は頷いたが、まずは地面に倒れている野盗の様子を見に行った。そして、おもむろに剣を抜くとその野盗に突き刺す。

 麗夜は息を呑んだが、確かにこの様子を見られて生かしておいてはいけない気がする。

 貴都は戻り、瑠優を抱き上げる。

「お前は歩けるか」

 貴都の言葉に麗夜は頷き、後ろをついて歩く。

「貴都…これが…」

 上手く言葉に出来なかったが、これをやったのは瑠優であることは理解できていた。

 これが、瑠優が親に嫌われた原因。

「ああ。瑠の字を継ぐ娘が持つ力って奴だ。瑠優の母親曰く、ここまで強力な力を持つ娘はそうはいないらしいが」

 ただ、その力を見ても。

 麗夜には瑠優が怖いとは思えなかった。

 その力を使ったことで瑠優は高熱を出しているのだと、貴都は教えてくれた。

 ということは。

 瑠優は自分の身をかけて麗夜を守ってくれたのだ。


 家に帰り、貴都は瑠優を寝かせる。苦しそうな瑠優の表情を見て。麗夜は貴都に訴える。

「強くなりたい」

 と。

 自分が強ければ、瑠優にあの力を使わせる必要はなかった。だから、誰よりも強くなり、瑠優を守る。

 その真剣な表情を見て、貴都はくしゃりと麗夜の頭を撫で、

「わかった」

 一言、そう言った。


 瑠優の症状が落ち着くまで、麗夜は瑠優の傍を離れなかった。瑠優は時折うっすらと目を開け麗夜を探す。手を握ると安心したようにまた目を閉じる。

 そんな日が二日ほど続き、三日目の朝に瑠優は目覚めた。

「瑠優、大丈夫か?」

 傍にいた麗夜に、瑠優は思いの外驚いていた。

「どうした?もう少し休むか?」

 瑠優は首を振る。何かを言いかけているのがわかって、静かに次の言葉を待つ。

「こ…怖く…な…いです…か」

 この言葉が出るまでしばらくかかったが、初めて聞く瑠優の「意味を持つ言葉」に麗夜は笑顔をみせた。

「怖くないよ。貴都を呼んで来るから待ってて」

 麗夜は瑠優の頭を撫でながら答えた。でも、瑠優は麗夜をどこかに行かせまいとするように抱きついてきた。

 高熱にうなされている間、何度か麗夜を探す様子を見せた、その理由がわかった気がした。

「大丈夫、いなくならないから」

 瑠優の頭を撫でながら、安心させようと麗夜は何度も呟いていた。


 この日から、瑠優は少しずつだが言葉を発するようになった。表情も更に豊かになり、よく笑顔を見せるようになった。

 同じ年頃の子供と接点が無い中で常に一緒にいたのだから、麗夜にとって「瑠優が誰よりも大切」になるのは当然だったかもしれない。

 すべての行動が瑠優を守るためのもの。

 貴都との剣の稽古はそれに合わせ厳しいものとなったが、それはみずから望んだこと。

 瑠優にこの命を賭けても惜しくはないと、それほどまでに麗夜は瑠優を想った。

 麗夜が怪我をすると瑠優は「あの力」を使いそうになったが、最初のうちは貴都が、その後は麗夜がきつく止めた。

「少しなら大丈夫ですよ」

 と、瑠優は頬をふくらませて言う。

「俺の怪我ごときで瑠優に辛い思いはさせたくないから」

 と、麗夜は瑠優に言い聞かせ、瑠優は渋々ながら納得する。その後に、仕方なく「普通の手当て」をしてくれた。それも、徐々に頻度が落ちていく。


 貴都から剣を学び、沙智から礼儀作法を学んだ。あの頃は本当に毎日が楽しかった。

 そんな中で瑠優と出会ってからの十年の月日はあっという間に過ぎた。


 その頃には貴都とも互角に打ち合えるようになっていた。

 初めて貴都に勝てたその日。

 麗夜は瑠優を抱き寄せる。

「瑠優、ずっと好きだった。これからは俺が瑠優を守るから…ずっと一緒にいて欲しい」

 そう、瑠優に告げた。

 瑠優は抱きついてきて、恥ずかしそうに小さく言う。

「私も…私も麗夜が好きです。私も麗夜とずっと一緒にいたいです」


 その日、初めての口付けを交わした。


 瑠優と離れることなど考えられなかった。だからこそ。

 父が危篤だから一度帰って来るよう呼ばれたときも、顔を見せたらすぐに戻るつもりだった。

 別れの日、心配そうに、

「いなくなるの?」

 と、聞いた瑠優を強く抱きしめ、

「大丈夫、いなくならないよ。すぐに戻る」

と、言ったあの言葉に嘘はなかったはずだ。

 夜の国に戻り、程無く父が亡くなる。しかし、まさか、その後の後継者争いに巻き込まれるとは思わなかった。

 そして、何より。

 まさか、貴の国が滅びるとは思わなかった。


 夜の国の後継者の地位は弟の静夜せいやに譲り事なきを得たが、貴の国が滅びたことによる大陸の混乱は想像を絶していた。

 戻れないことにひどく焦りを感じていた中で羅の国による「瑠の字を継ぐ娘狩り」が始まる。

 羅の国は瑠優と住んでいた場所に近い。

「貴都がいるから大丈夫だ」そう、何度自分に言い聞かせても不安は拭えない。何よりも大っぴらに瑠優を探せなくなった事が痛かった。

「瑠の字を継ぐ娘」がこの大陸にいることを他に知られる訳にはいかない。


 仕方なく麗夜は「貴都」を探すことにした。明らかな「剣闘士」の名を持つこの恩人を探すことが二人を助ける近道だと考えていた。

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