第4話 義の国との戦い(前編)
「冬雅様の到着を待つんですか?」
城に到着して数日、義が動いた。
目前に義の兵が迫ったその日、こう勝に問うたのは、意外すぎる人物だった。
「水都?」
勝も振り向き、声の主に驚く。
水都の表情は薄く、そこから感情を読み取ることは出来ない。しかも、やっと聞き取れるような低く、小さな声。
しかし、初めて会ったとき以来の水都の声は、それが緑羅に話し掛けたものではないにしても、鼓動を跳ねさせるに十分だった。
「ああ。そのつもりだが」
勝は水都にそう答える。水都はその答えにやや顔をしかめたが。
「わかりました」
そう言うと、いつも通りの整った所作一礼し、ふわりとその場から去って行った。
勝は水都を目で追いながら、ふと何かを思い出したように立ち上がる。ひどく慌てた様子で。
「冬雅を止められるか?」
勝の慌てる原因に心当たりのない緑羅はのんびりと答える。
「いや、もう無理だろう」
その時、まるで図ったかのように冬雅の声が響く。
「緑羅様、只今到着いたしました」
思いの外、早い到着だ。緑羅からの労いの言葉より早く、勝が言う。
「明日早朝、すぐに仕掛けられるか?」
勝が珍しく焦っているようだった。これだけ早く到着したのだから、それなりの疲れもあるだろう。早朝の仕掛けはどう考えても無謀だ。冬雅も苛立ちを隠さず、首を振った。
「どうした?勝」
勝は一つ嘆息すると首を振る。
「思い過ごしならいいんだが」
翌日、水都が顔をしかめた理由と勝が焦った理由が目の前にあった。
「囲まれた…な」
義の動きは驚くほど早かった。
朝を迎えた時には、城は幾重にも囲まれ身動きがとれる状態になくなっていた。
冬雅の到着を待たずに攻めていれば、こんな状況に置かれず済んだかもしれない。しかし、冬雅が到着し、城の人数が増えたことがかえって危機的な状況を招いていた。
水都の不安はこれだったのだろう。
この手のことには、誰にも負けないであろう勝よりも早く、こうなることに気がついていたのであれば、やはり只者ではない。
「せっかく、良い武将を手に入れたところだったんたけどな」
緑羅は大きく息を吐きながら言った。
「そうだな。義がここまでやれるとは、正直予想外だが」
勝は諦めたように言葉を続ける。
「ま、攻めて来る気はないようだが」
城が攻めづらい造りになっていることもあるだろうが、わざわざ攻めて来なくても、このまま待っていれば、程無く兵糧は尽き降伏せざるを得なくなる。
敵の狙いがそこにあることくらい、緑羅にだってわかっていた。
「俺の首程度で許してくれれば良いんだけどな」
首に手を当てながら緑羅は言う。
「俺も付き合うよ。ま、そうならないように考えるさ」
意外なほど呑気な緑羅の様子に、勝は薄く微笑みながら答え、ひらひらと手を振りながら居室を出ていった。
「義とは大きな国なんですか?」
居室を出てすぐ、またも、勝は声をかけられる。
「いや、羅とそれほど変わらないが…」
声の主は水都。
相変わらず表情は読めないが、焦っている様子もない。
勝の答えに、人差し指の爪を唇にあてる。
羅の国への道すがら何度か見せた姿。多分水都の癖なんだろう。
「急に声をかけてすみませんでした。失礼します」
穏やかに一礼すると、水都は勝の前から去った。惚れ惚れするほどの美しい所作。
だが、そこに「何かを企んでいる」ことが見え隠れしていることに勝は気が付いていた。
「この状況下でどうするつもりだ?」
城の小部屋。
数人の武将が水都の帰りを待っていた。
「ちょっと出掛けてきますね」
その辺に散歩に行くような気軽さで、水都は城の外へ出て行ってしまった。
この状況下での外出。剛流はさすがに止めたが、
「大丈夫、裏から出ますから」
と、気軽に言われてしまうと、本当に大丈夫な気がしてしまい、それを許してしまった。
「剛流の信用できる人を四、五人集めておいてください。あと、冬雅様も」
水都が言った通りに、剛流は人を集めておいた。剣闘士上がりの中に、冬雅を呼ぶのは流石に気が引けたが、意外なほど素直にそれに従ってくれた。
誰も一言も発しない重たい沈黙の中。
「ただいま戻りました」
本当に散歩から帰ってきたかのように水都は帰ってきた。
「その格好…」
剛流は見慣れていたが、他の者は初めて見るはずだ。
「ここに来る前に女官に借りました。この状況ではこの方が安全でしょう」
水都の女装は息を呑むほど美しい。
「ある意味危ないと思うんだが…」
年若い
「敵のど真ん中を通る訳じゃないですし、数人に囲まれるくらいならどうってこともないですから。この格好だと相手は確実に油断しますしね」
「囲まれたのか?」
水都の言葉に反応したのは冬雅だ。
「いいえ」
それに答えて首を振る。
多分、見つかってもいない。剛流は知っている。
水都に会ってから五年は経つ。出会う前の何をしていたのかは知らないが、こういうことにかけては水都は天才的だった。
「で、これを見てください」
水都は地図を広げる。
「義の国王はここにいます。近いでしょう?すでに勝った気でいますから、案外手薄なんです。ここを叩きます」
簡単に言ってのける。
剣闘士上がり達でさえも表情が曇るのだから、冬雅は尚更だ。
「無謀だ。ここに行くまでに囲まれる」
「だからこそ、少人数で行きます。城のここら辺りを固めているのは素人ですから、ここを抜けましょう」
それを聞いてもまだ何かを言いたげな冬雅に、剣闘士上がりでは一番年長である
「ここに籠っていても程無くやられるだけだろう?」
「ま、確かにその通りだが。冬雅だって心配してるんだ。そこまで冷たく言ってやるなよ」
その場には、いないはずの者の声が聞こえ、皆一斉に戸口を見た。そこに勝が立っていた。
水都が溜息を吐く。
「大丈夫だ、止めはしないよ。確かに城の正面は手練れだが、そこら辺は素人だな。この人数をかき集めたんだから仕方ないと言えば仕方ないんだろうが…」
水都は何かを言いたげに勝を見る。その様子に気付いた勝が声を掛ける。
「どうした?」
「なんとなく統一感がないんです。後ろは借り物のような気がします」
勝が促すと、水都は人差し指の爪を唇にあてながら答える。
「借り物?」
「はい。とりあえず、義の国王さえ討ってしまえばあとは瓦解するとは思うんですけど。なんとなく嫌な感じがしたものですから、一応、ご報告を」
勝は水都の「借り物」という言葉に引っ掛かりを感じていた。
借りるとしたらどこから借りる?
「わかった。で、いつ決行するんだ」
「新月を待ちたいんですが、そこまでは
今度は勝が何かを言いたげだったが、あえて何も言わなかった。
水都が「三日後に雨が降る」と言うのなら降るんだろう。何故かそう思えた。
それにしても。女物の服を身に纏っている水都の美しいこと。
「緑羅には見せられない姿だな」
勝が思わず洩らした一言に皆は納得したが、唯一、水都だけは不思議そうな顔をしていた。
城の中は意外なほど平穏だった。
外さえ見なければ、戦の
とは言え。
忘れる訳にもいかず、緑羅は時機を計っていた。
自分が出ていく…自分の命を終える時機を。
あまり広くない城の中。
緑羅は常に水都を目で追う。
最近は水都の側にいる者が増えた。
剛流の他にも、弾馬、和砂、
屈強な男達の中で、ともすれば影に隠れて見えなくなるほどの小柄な身体。互角に渡り合うのは体力的に厳しいのか、それとも。
「他に特にやることが無いからだろう」
水都の体調を心配し勝に確かめたところ、あっさりとこう答えられた。
自分の命が惜しんでいる場合ではない。
どうにかなる状況でもない。
ただ、もう少し。水都を見ていたかった。
「俺はいったい何を考えているのか……」
ここ二日間は憎々しいほどの晴天だったが、今日は朝からどんよりと雲が垂れ込めていた。
「日が落ちる頃には本降りになりそうだな」
剛流は壁にもたれて微睡んでいる水都に言った。
水都はゆっくりと目を開けて頷く。そして、また目を閉じる。
水都はいつも通りの様子に見えているだろう。腕に覚えのある者でも、直接国王を狙うことに内心ひどく緊張しているはずだ。そんな中、水都のこの様子は周りの者達を安心させている。
だが、水都は皆が思う以上に緊張している。それに気が付いているのは、多分、剛流だけ。
水都は緊張すると深い眠りに就けない。微かな物音で目を覚ます程度の浅い眠りを繰り返すようになる。だからこそ、常に微睡んでいる。
あの、小部屋での話し合いの後。
あの場にいた者達は常に水都の側にいる。そして、水都が動くのを待っている。
日が傾くにつれ、雨脚が強くなっていく。
勝が微睡んでいる水都の耳元で一言「整った」と呟いたのを合図に水都は目を開け、大きく伸びをした。
「行きましょうか」
その言葉を聞いて、剛流を含む人が静かに立ち上がり、小部屋に向かう。
勝が整えた装備がそこにあった。
「俺は本当に行かなくていいのか?」
勝と共に後から入ってきた冬雅は心配そうに聞く。
「冬雅様はここにいて下さい」
穏やかに水都は答える。
「一つ聞いていいか」
勝が低い声で。
「ここに来て日の浅いお前が、何故そんな危険なことをする?羅に思い入れがあるとは考えづらいが…」
水都は微かなに笑みながら答えた。
「こんな所で死にたくないでしょう?」
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