【短編】3

 押入れの奥に仕舞われていた段ボール箱は埃の匂いがしていた。

 何冊ものスケッチブックと無地のトートバッグが入っている。その隙間を埋めるように筆や絵の具も、しかしこれは乱雑に詰められていた。

 スケッチブックには鉛筆で描いた自らの左手と、それを描いた日付が記されている。ページを捲るごとに月日が経ち、伴って絵も上達していく。すると左手の形のパターンが増え、アングルも変化し出す。ある日はコップを持ち、又ある日には小説を持っていた。小説の表紙はタイトルまで描き込まれていたが、僕はこの小説を半分も読んでいない。

 そうだった。

 僕は本を読むよりも、他の何よりも、絵を描くことを優先する子どもだった。

 学校帰りの通学路にきれいな花を見つけると、すぐにランドセルから画材を取り出して、写真を撮るようにスケッチを始めていたのを思い出した。

 その花が如何いかに平凡なタンポポでも、例えばアスファルトの亀裂に咲いていると面白かった。

 ただ空に浮かぶ雲でも、例えばクジラの形に見えたら面白かった。

 思えば絵日記のようなものだったのかも知れない。

 そんなことを考えながらスケッチブックを何冊もぱらぱらと流し見していると、あるページに目が留まった。

 青く塗られた海と空、そして岬に佇む灯台が描かれていた。

 その手前に、日傘を差した女性が立っている。傘で影が落ちた顔は表情が読み取れない。白いワンピースの裾からサンダルを履いた爪先が覗き見えている。

 僕はそれを見たことがある。


 これは何処を描いた風景画だろう。

 思い出そうと考える。

――海。空。灯台。

 灯台と言えば、隣町が連想される。

 ならばこの女性は誰だろう。

――日傘。サンダル。白いワンピース。

 僕はこのページから目が離せないでいる。配色も構図も特別目を引くわけではないが、僕はこの風景画もしくは人物画から目を逸らしてはいけないような気がしている。

 日傘の陰から女性が今にも顔を見せてくれそうに思う。

 あと少しで、繋がりそうに思う。

――灯台。顔が隠れている。女性が立っている。


 そうだった。

 僕が彼女と約束をしたのは、灯台が燃えるように染まったときのことだった。

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