第3話「願いを叶えるには」

「はぁっ…はぁっ…」

身体が言うことを聞かない。

立ち上がろうとしているのに、脚に力が入らない。さっき指先から伝わってきた感触が、いつまでも脳内を支配して、反響して、動けない。

アタシは殺した。人を一人。苦しそうな表情でこちらを見てくる彼を、容赦無く。

名前も知らない彼の首から手を放し、立ち上がって、自分の手のひらを見る。血や体液などが付着している訳ではない。だが、汚れているのだ。この手は。

汚して、しまったのだ。

「…でも、これで」

「これで、何だって?」

後ろから声がした。さっきまで酸欠に苦しんでいたはずの、自分の手で絞殺したはずの、声が。

「ふぅ…。さすがに死ぬかと思ったよ。だが悪い。事情は分からないが、大人しく殺されてやるつもりは無いんだ」

彼は何事もなかったかのように、そこに立っていた。いや、よく見れば首に強く絞められた跡がある。私が首を絞めていたのは間違いない。なのに…

「…なぁ、俺はあのアプリの事を全然わかってないんだ。だから、あなたが何か知っているなら教えてほしい。何で俺を殺そうとしたのかだって、何か理由がるんだろう?」

彼は、必死な様子で訴えてくる。『戦うつもりは無い』と。

「分かった…。アンタ、名前は?」

心の中で、どこか安心している自分を感じながら、私は問う。

「誤(あやま)だ。識知 誤」

「そう。誤ね。私は」

「あ、そっちは名乗らなくて大丈夫だ。自覚は無いかもだけど、あなたはかなり有名人だからな」

アタシは結局、また人を殺し損ねた。

それから体育倉庫を出た俺たちは、互いに何を話すわけでもなく学校を出、近場の喫茶店に入った。

「それで、アンタは何が聞きたい訳?」

俺の金で山盛りのパフェを注文し、グラスの向こうから顔を覗かせて質問してくる。

さっきまで俺を殺そうとしていたとは思えない行動だが、一々気にしていても仕方無いか。

「…そうだな。色々言いたいことはあるがまずは、ズバリ【異能アプリ】ってのは、何だ?」

しょうもない質問でお茶を濁す気は無い。それに、そこを知らないままでは、ここからの話も滞りそうだ。

「さぁね。アタシも核心を突くようなことは言えないけど…。確実なのは、アプリの運営から言われるアレコレは、決して嘘じゃないってことね」

『アプリの運営から言われるアレコレは、決して嘘じゃない』

その言葉は、割りとあっさり、俺の胸に響いた。『まぁ、そうだよな』なんて、どこか他人事にも思えたが、実際に能力が与えられているんだ。そこを疑う理由は無いだろう。

「まだ聞きたい事はあるんでしょ?アタシは答えてやっても良いけど?」

一人で納得していると、山田が若干不機嫌そうに言ってきた。そうだ、せっかくの機会、無駄にする訳にはいかない。

「ええっと…さっき言ってた事が本当なのだとして、『願いを叶える権利を勝ち取る』云々ってのは、どういうことなんだ?」

数瞬考え、今一番訊いておきたい質問を投げる。仮に願いが本当に叶うとして、その権利ってのは勿論、無限じゃないだろう。欲しけりゃ奪えって考えも理解できる。だが…。

「うーん、と…『願いを叶える権利』は、他のアプリ利用者から勝ち取る必要があるのは、予想ついてるわよね?」

いつの間にか空になったグラスの底をスプーンで突きながら、山田は俺に問いかけてくる。

俺は頷き、視線で彼女に話の続きを求めた。

「このアプリは、端的に言えば『デスゲーム』なのよ。ほら、生き残るために殺し合うアレ」

彼女はえらく軽くそう言うが…何だって?

「デスゲーム…?冗談だろ、だってそんな」

「『そんな事は言われていない』?」

「っ…!」

思わず立ち上がり、語気を荒げた俺に、彼女の鋭い視線と冷たい声音に制され、声を詰まらせる。

「アタシも、そう思っていた時期はあったし、何なら今でもそう思うわ。でもね」

彼女は、立ったままでいる俺を鼻で笑い、そして「まぁ座りなさいよ」と続けた。

「このアプリで願いを叶えるのは可能よ。さっき言った通り、運営は嘘をつかないわ。少なくとも、アタシの知っている限りではね」

「…じゃあ、あなたがさっき、俺を殺そうとしたのは…」

「そうよ。アタシの願いを叶えるために…その、アンタを殺そうと、したわ」

「…そう、だよな。そういうことだよな」

すっかり気が滅入ってしまった俺は、何とかその言葉を捻り出すのが精一杯だった。

願いは叶う。だが、叶えるためには、人を一人殺さないといけない。

延々と脳内を反響し続ける自分の声を鬱陶しく思った。だが

「…あなたは、どうしてそのことを知っているんだ?」

そう、この話をしている以上、彼女はどこからか情報を得た後、裏付けを何かしらでしているはずだ。そこが気になった。

「あるのよ。定期的に」

その時、彼女はあからさまに嫌そうな顔をした。例えるなら、苦虫を嚙み潰したような表情だ。この表情はどうやら彼女の癖らしい。それも、心の底から嫌な時の。

「『ある』って…何が?」

俺が重ねてしつもんすると、彼女は大きくため息を吐き、数秒してから答えた。

「強制的な、決闘」

その時、俺と山田のスマホが同時に、大音量の通知を発した。

【本日の深夜1時頃、アプリ利用者の皆さんを闘技場にご招待いたします。お楽しみに】

「…来たわね。次の決闘」

彼女はそう言って、覚悟を決めた表情をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る