餓死から始まる異世界お忍びグルメ旅

そこらへんのおじさん

堕天使

第1話 婚約破棄

天草祐宇璃あまくさゆうり


これが、かつての俺の名前だった。


「シダンくん☆私が神霊を封印している間☆気を抜かないで☆」

「わかってる。まだ、このバカでかい身体は消えてないからな!」


だが俺の、今生の名前はシダンだ。そして、ちょうど今、世界の危機を救うところだ。


雪山で遭難して天草祐宇璃あまくさゆうりとしての命を亡くした俺は、この地球ではない異世界に転生した。転生した先は、辺境の果てにすむ蛮族の、さらには味噌っかすのような5男と、ひどく厳しいものだった。


しかし、星から与えられた超常能力『ギフト』を使い、俺を慕ってくれるたくさん仲間美少女と協力しながら、次々と強敵を破っていった。


力を付けた俺、そして仲間美少女たちは、ついには『神霊』という手下を使い、世界の人族を皆殺しにしようとする悪神の野望を、こうして打ち砕くまでに至った。


星樹の根ルートでこいつの身体は完璧に押さえつけておくから、星は封印を続けてくれ!」

「任せて☆」


与えられたギフトの力で、悪神が全力を傾け、創り上げた神霊の巨体を押さえつけると、俺が『星』と呼んだ少女が神霊に向けて何か力を込める。


少女の力の前に、神霊は、みるみるその巨体を小さくしていく。そして、ついには50メートルはあった巨体が消えた。


巨体が倒れていたあとには白いカスの様なものだけが残ったが、それも風に吹かれ、流されて、散っていく。


「終わったのか…」

「うん☆シダンくん☆お疲れ様☆」


こうして世界は救われ、世界を救った俺は英雄や勇者を越え、神の一柱として祀られることになった。


☆☆☆☆☆☆


我々の知る地球ではない星。


しかし、星の直径も、自転の速度も、公転の周期も、大気の成分も、地軸の傾きも、恒星からの距離も、恒星の大きさも、衛星の大きさも、重さも、距離も、ほとんどのものが地球と同じである。


違うのは宇宙創生のときのある現象だ。


我々の宇宙に存在し得ない「魔力」と呼ばれる何かがこの世界では生まれた。言わば、この星の存在は可能性の中パラレルワールドの地球とも言えるだろう。


その結果、生まれた我々の地球との大きな違いは、魔法が存在するということ。そして神が実在していること。


そんな可能性の中パラレルワールドの地球の、地球で言うところの南半球に、その星の人類は住んでいた。


地球と違って、大陸の大半が南半球にあるのだから仕方ない。これは、魔力の存在によって生じた、我々が知っている地球とのズレなのだろう。


南半球に広がる大陸の中では比較的北側にあたる、地球で言う赤道付近には、広大な砂漠が広がっている。そのさらに先の、赤道を超えた北側には、人類の痕跡はほとんどないため、砂漠はこの世界における辺境、あるいは最果てとも言える。


そんな最果てにある、死の砂漠のど真ん中に、1つの石が置いてあった。


逞しい男性の形をした石像。しかし、その石像の背中には立派な一対羽が生えている。その姿は、我々の知る地球の言葉で言えば天使だ。天使の石像があった。


天使の石像は、しかし、厳密に言うとそれは単なる石像ではなく、石の中に、微かな意識を持ち合わせていた。


この天使は元々、石だったわけではない。過去に犯した罪により、力のほとんどを奪われ、石と化しているだけなのだ。


力を奪われたのは罰であり、拷問でもある。食事も出来ず、水も飲めない。だからひたすら飢えて、乾き続けるが、決して、死ねない。


『このまま餓死で構わない…殺してくれ』


天使の石像は死を渇望したが、石に、死という概念は存在しない。そして死の砂漠のど真ん中で、その意志に、応えるものはこれまでなかった。


☆☆☆☆☆☆


「ケーン様には困ったものね…」


同じ星の、石像が置かれた砂漠から見て、南東方向に9000キロほど進んだところに、エドガー海国という国があった。大陸でも、ほぼ最南端にある国の1つだ。


そのエドガー海国でも指折りの名家・コチョウ公爵家の唯一の令嬢であるビビアンは、髪の毛をメイドに梳かして貰いながら、困りごとに頭を抱えていた。


エドガー海国は、その名の通り、大陸南に広がる海に面した国だ。そして、西隣にあるトーコー漁国と並び、世界的な海産物の産地として知られている。


エドガー海国には、18歳の王太子ケーンニクス・エドガーという青年がいる。彼にはとても美しい婚約者がおり、国内の若い貴族からは羨望の的として見られている。


その婚約者こそが、ビビアン・コチョウ公爵令嬢だ。今、困り顔で、メイドに髪を梳いて貰っている彼女のことである。


ビビアンの母親は、かつて世界的にも名のしれた美女で『南方の大輪』と呼ばれていた。その美貌をそっくり受け継ぐビビアンは、エドガー海国内のみならず、他国からも求婚のチャンスを狙っている貴族や王族が数多いるとか、いないとか。


性格も生真面目であり、次期、王妃としての教育を厳しく受けている。そして、並居る教師が舌を巻き絶賛するほど、それらの教育を完璧にこなしてきた。


「このタイミングになって、急にエスコートができないっておっしゃるなんて…」


ビビアンは、今年で15歳だ。この国で、15歳と言えば、成人として認められ、貴族ならば社交界の正式なデビューとなる。


令嬢のエスコート役は、婚約者か、あるいは近親者で歳の近い男性が行う。王太子の婚約者であるビビアンのエスコートは当然、王太子であるケーンニクスがするはずだ。


「その異世界から転生したとか自称している女をエスコートするからって、ビビアン様のエスコートができない、なんてありえませんっ!」


ビビアンの髪の毛を梳かしていた壮年のメイドが、聞く人によっては不敬とも盗られる言葉を、怒りを隠さずに口にした。


「メアリがそんな風に怒ってしまったら…私はもう怒れないわ」


メイドが怒り心頭と言わんばかりに語気を強めたためか、その主人であるビビアンは毒気を抜かれてしまったようだ。


「それはそれは…ビビアン様、申し訳ありません」

「うふふふ。いいのよ。最近のケーン様の行動から何となくそうなるのはわかっていたから…」


異世界から転生したという公爵家の娘は、ビビアンとは違って、何とも愛嬌があり、可愛げのある容貌を持ち合わせていた。


そして、とても珍しい、100万人に1人も得られないほど珍しい、ランクAの『ギフト』を持ち合わせていた。それが王太子の気を引いたようだ。


何より、この世界において『異世界から転生した』ということは、とても価値があり、そして重宝される、大変名誉なことなのだ。


何せこの世界の神の一柱が、異世界から転生してきた元・人であり、その神は幅広い人々に崇められている現人神なのだから。


名誉や珍しいギフト、それらを得るために、ビビアンを切り捨てるということは、損得感情を加味すれば充分にありえるとだし、ビビアン自身その自覚があった。


しかし、それはそれ、感情は別だ。ビビアンもメイドのメアリも、ケーンニクスに腹立つこと自体を止められるはずもない。


「あの公爵家の娘、異世界から転生してきたって言う話は、本当なのでしょうか?」

「さぁて、わかりません。鑑定アナライズのギフトを使っても、転生したかどうかはわからないらしいですものね」

「ランクAのギフトを持ってることで、異世界から転生したと騙るのは常套手段でもありますからね」


星から与えられる人知を超えた超能力『ギフト』。その中でも最も珍しいランクAのギフトを持つことは、異世界から転生してきた神との共通点である。


『異世界から転生してきたこと』は、その性質上、騙る人間も多いが、確かめるための手段は乏しい。


そのため、ランクAのギフトを持つことを、それをもって異世界から転生した証拠として騙る人間が後を絶たないのだ。


「全く…いくら珍しいギフト持ちだからって、30年前に『北方の宝石、南方の大輪』と言われ、大陸南方1の美女と言われたラン様の美貌を、そのまま受け継ぐビビアン様を袖にするなんて、バカを通り越して、狂気です!」

「その話は何度も聞いたわ…『北方の宝石』シマット商業国のナターシャ前女王は、それこそ神様に嫁いだんですものね」

「シダン様ですね。まぁ、シダン様は奥様が19人と一柱いる、とんでもない女性好きとも言われています。それよりは『南方の大輪』である奥様一筋の旦那様は素晴らしい方です!」

「あはは…」


壮年メイドの力説に、ビビアンは力なく笑った。シダン神は、その異世界から人として転生して、神になった現人神である。


元が人だから、人前にちょくちょく姿を現す、庶民的な面がある。そのため、直接見た者や、その者から話を聞いた者などが多数いて、そして強く、広く信仰されている。


また、少し前まで、南国で崇拝されていた元秋の樹は、男性優位を強く説く気風だ。そのため、南国には男尊女卑の思想がまだ根強く残っている。


一方で、信仰を広げるシダン神は、厳しさとは無縁の性格であり、家族を大事しようという考えが根本にある。そのため近年は、虐げられていた女性からの支持も、爆発的に増えている。


シダン神の信者は、大陸南方では増える一方なのだから、メアリのようなシダン神を非難する言葉は慎重に口にして欲しい、とビビアンは思った。


「さてシダン神の話は後にしましょう。それよりはまず今度のパーティーでの、私のエスコート役ですね。どうしましょうか?」

「それもありますが、ビビアン様、デビューのエスコートを断るということは、婚約も破棄された、とも言えます。こちらも、どうにかしなくてはいけませんね」

「やはりそうなりますよね…こんな直前で…まったく…ケーン様は…」

「こうなってしまっては、旦那様に相談するしかないでしょうね…」


メアリがそう言った直後、2人がいる支度部屋の扉がコンコンと軽くノックされた。


「あら?どちら様かしら?」

「私が確認してきます」


メアリが扉を開けると、扉の前にいたのは銀髪を生やしたナイスミドルだった。上等な服を着ているナイスミドルのその顔には、怒りと残忍さが入り混じった笑みを浮んでいた。


「旦那様ではありませんか?お嬢様にですか?」

「ああ。そうだ。入るぞ」


ナイスミドルこと、コチョウ公爵は、娘の前に立ち、もはや凄絶とも言える笑みを向けた。しかし流石は鍛えられた公爵令嬢、父親の恐ろしげな表情に、慌ても取り乱しもしない。


「あのクッッッッッソ王太子め。うちの世界一可愛いビビにケチを付けおって…」

「お父様…すみません…この状況を阻止できず」

「それは構わない…それにエスコート役についても安心しろ。あのゴミクッッッッッッソ王太子よりも、遥かに素晴らしい方に渡りをつけられた」

「ケーン様よりも?」

「ああ、そうだ。紹介しよう」


コチョウ公爵は背中の方にある扉を開けて、外にいる人物を中に招き入れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る