第17話 壱弐参肆伍陸漆

 私はシイが嫌いだった。



 芦間。

 甲賀見、乙姫見、そして丙見の三家とは別の手法(アプローチ)で名探偵に仕える一族。

 その役割は蛇宮と同じ品種改良に加え後天的な手術や投薬によって、最良の探偵を生み出すこと。

 しかし蛇宮が探偵という存在の枠組みでより高機能な個体の生産を目指したのに対し、芦間のとった方法はよりラディカルだった。

 

 探偵の持つ権能は名探偵という神より与えられた恩寵。その祝福を受けた人間が得る異能。ただの人間にはそれに干渉出来る範囲には限界がある。


 だったら基となる人間の方を改造すればいい。


 名探偵の細胞を胎児に埋め込むことで、名探偵と同等の探偵を生み出す。それが最良の探偵、神の下僕を生みだす為の芦間の技術の到達点だった。


 涜神の極みの様な行為は、必然的に数多の犠牲を生む。神に比肩する名探偵の力に耐えられない。何よりも決定的にそれらは等しく異邦人。この世界の外部の物質を取り込んだものが正常に機能するはずがない。そんな誰にでもわかることをただひたすら、幾たびも幾たびも繰り返し続けたその理由は。


 狂信。


 この世界の為、今の平和を幸福を秩序を守るという大義を心から信じ、その為に名探偵を心から崇拝する。

 自分たちの全てを、無辜の人間の命をその目的の為に費やし、世界の為に意味のある生であったと犠牲者を寿ぐ。

 神なる存在の血肉を取り込んだ我らこそが世界の礎、衆生を導く「貴種」なりと信じる狂える信徒たち。

 その屍の果てに生み出された成果でさえその悲願へ至る過程の産物に過ぎない。

 奇跡のように生み出された人と名探偵の混合物は二体。共に女性。


 それを称して「令嬢」

 貴き血の末裔であり数多の犠牲の果ての唯一の成果たる「神子」



 私はシイが嫌いだった。



「見てよ、姉さん。わたしこんなに強くなったの。次の段階にもうすぐ進めるはず」

 何時も私に笑いかける彼女が本当に理解出来ない。

 もう既に手術を施していない器官がない程、改良と名探偵因子の埋め込みによって、絶えずその時々の「最適」な姿をとることを目指した芦間シイ「令嬢2号」

 ただ戦い続けることで最適解を目指した私、芦間ヒフミ「令嬢1号」

 より強くより効率的に駆動するべく異形化手術を施されている私よりもなお、シイの身体は変えられていた。取り返しのつかない程、変えられていた。

 正に名探偵という神に魅せられた人々により仕立て上げられた生贄、人柱。

 もう言葉を出す口すら残っていない。頭の中でなければ私に話しかけることも出来ない、そんな状態なのに。

 何で笑っているの?

 何でこんな苦しいことだけの世界で平気でいられるの?

「私が強くなれば姉さんがこれ以上辛い思いをしなくて済む。皆もそれがわかってる」

 何を言ってるの。あいつらが考えているのは、如何に作品を仕上げるか、ただそれだけなのに。

 私が苦しいのは、何時まで経っても皆の期待に応えられないから。私が間違えてるからなのに。



 私はシイが嫌いだった。



「ああ、失敗しちゃった」

 血を流しながらシイは何時ものように笑う。

 暴走していた時の苦痛に歪んだ表情は消え去り、穏やかな様子で話しかけてくる。

「まあ、わたしが間違えたってことは、姉さんが正解を出してくれるってことだから、これでいいんだよね」

「・・・そんな訳がない」

 血で染まった両手もそのままに、必死で話し続ける。

「何で笑ってるの。ねえ、あいつらのせいであなたがこんなに傷ついてるのに」

「だって、これで他の人は間違えないで済む。その次の人も、その次も。間違いを繰り返せばきっと誰も間違わない世界になる」

 黙って。

 私の頭の中でそれ以上妄言を垂れ流さないでくれ。

「そんなの出来るわけない。私があなたのいないなんて考えられない」

 あなたがいたから、ここまで戦えたのに。


「私ひとりだと、何が正解かわからない」


「名探偵はこの世界を変えたんでしょう。その力を使えば皆正解にたどり着ける。わたしたちはその為に生まれて来たんだから」

「そんなの。あまりにも虚しい」

「どうして? この世界を良くする。生きる意味が与えられているわたしたちの何処が虚しいの?」


「この期に及んで、そんなセリフしか吐けないからだよっ!!」


「・・・・・・・」

「何時も何時もそうやってへらへら笑って、自分ひとりが我慢してるつもりでいて。私のこと本当は嫌いなんでしょう!? だって私は私が嫌いだから! 生まれた時から、ただ意味もなく神様の為に世界の為に皆の為に、そう言って押し付けてくるのが煩わしい。名探偵? 世界を変える? そんなの私と何の関係があるのよ! なのに誰も私を見てくれず、ただ苦しい手術と、その後は化け物を狩って狩って。戦えなくなったら。これ以上改良出来なくなったら子孫を残すだけ。一から十まで決められてる人生。世界の為と言いつつその世界の外に居るしかない人生。皆の為と言いつつその皆と出会うことのない人生。神様の為と言いつつその神様には決して振り向いてもらえない人生。そして、何よりも自分の手を妹の血で汚して、それでも妹が笑ってるのを見せられる人生! 私が生きてきたのはそれしかない。それだけの人生だった。あなたは、私よりずっと強いシイならもっと別の生き方がある。私みたいに間違えない。そう信じて来た。信じたかった。どれだけのものを犠牲にしても、その為にどれだけ辛い目に遭っても意味がある。払ってきた犠牲に意味があると、本当に信じたかった! それなのに結末はこれなの。これが虚しいというのでなかったら、一体何だって言うの。ねえ、応えてよシイ」


「・・・・・・・」

 シイは答えない。あれだけうるさかった頭の中の声も止んでいる。


「黙ってないで言え! このままじゃ芦間シイ、あなたは都合のいい存在で終わる。悲劇を彩る装置で終わる! それが嫌なら。自分がただあいつらの道具でいるのが嫌だって言うのなら」

「違う」

 弱く、でもはっきりとした声が聞こえた。

「わたしにそんなものはない。ここまでずっと自分の意思で生きてきた」

 その言葉の通り、今頭の中で聞こえる彼女の声は、これが自分の意思による結果だと誇っているようで。


「そんなことは認めない」

 だから私はそれを否定した。


「善良であるだけの犠牲者? そんなの、私がやり切れない。私が耐えられない。あなたが救われないと私が救われない」

「『私』・・・?」

その時初めて、シイの声に微かな苛立ちが混じった。

「そんなの、結局どこまでも姉さんの都合じゃない」

「悪いの、それの何処が悪いの。ずっとそうだった。シイが大丈夫だと言う度に。自分より私を心配する度に。平気だって笑うのを見る度に」

 何処までも何処までも、都合のいい人間でしかない、そんな生き方を見る度に。


「気持ち悪かったよ。そんな自分が惨めだった。そして何より怖かった」


 それが本音だった。ここまで一度も妹と向き合えず、救うことも出来なかった弱い私の醜い心、後悔。

「そう。でも私はそんな姉さんが好きだった」

「何よ・・・それ。あんたこのまま死ぬの、ねえ。最後まで聖人ぶって、こんな救いようのない馬鹿、悪人、屑に好きに言わせてる。それを悔しいって思う心があるはずでしょう」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「なんか言って。反論して、ねえ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「私を否定してよ。間違ってるって教えてよ。芦間シイ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「お願い」

「・・・・・」

「お願いだから、何か言って。私に声を聞かせて」

「・・・・・・」


 私はシイが嫌いだった。

 最後まで理解出来なかった、受け入れられなかった彼女を否定したかった。間違ってると弾劾したかった。


 シイを救いたかった。


 わかってるよ、お姉ちゃん。あなたが私を想って流した涙。それを無駄にはしない、誰にも笑わせたりしない。


 私たちの物語は私たち自身のもの、それを名探偵如きに奪わせない。


「お前がこの事故で私を恨んでいるのは理解している」

 灰色の部屋の中。私の前に座っている男の声が遠くから聞こえる。

「死骸を封印する措置も納得出来ないのだろう、ヒフミ」

 自分の名前を聞いて初めてその言葉が私に向けられたものだと気付いた。

「・・・あなたの言うことには逆らいません。それが私たちの最善なのでしょう」

「お前とシイ、令嬢2号は既に人を、探偵を超えた存在になっている」

 こちらの返答も聞かず、ただ一方的に話を続ける。

 白の国の技術をベースにした施術の結果、基となった合成兵士を遥かに上回る能力を有する異形の身体への変化を達成。私たち、特にシイの単独での戦闘力は既に探偵を超えていた。強大な力が不安定な状態のままでいることを芦間は不安視した。

「今回の施術は安定化のはずだった」

 その結果暴走した。

「あれだけの技術、流出すればどうなると思う」

 反乱分子。旧世界の残滓を神と崇める者。今の世界、名探偵を否定する者は名探偵の支配の中にあっても生まれ続けていた。

「どんな思惑であれ、結果はただの混乱だ。敵対勢力、名探偵の眷属でないただの人間があの力を手に入れれば間違いなく世界の脅威になる」

 名探偵とは異なる系統の超常の力を持ち、その眷属を打倒しうる人間。

「名探偵を拒絶し、その治世を害する者。

 名探偵、秩序の敵。


「災いをもたらす悪性存在。それは『怪人』と呼ばれていた」


「・・・怪人」

「我々の使命はそれを封じること。この世界の秩序を恒久的に維持することだ」

 使命・・・?

「名探偵の神意以外に正解はない。それが最善なのだ。我々には絶対に正しい神のような存在が必要だった」

 旧い世界には様々な神々が存在し、その信仰も多種多様だったという。世界の見方、善悪が異なる集団が隣り合えば必然的に闘争が生まれる。

 その世界は争いが絶えなかったと伝えられる。

「だから名探偵が降臨した。秩序を、唯一無二の正解を人に与える存在を願う人の声に応えあれらは降臨したのだ」

「名探偵を人が求めた・・・?」

「だから無益な争い。無意味な価値観を全て否定し唯一の権能。神威を振るう名探偵の下ひたすらそれに尽くし帰依する。それが私たちの生きる意味だ」

 ・・・狂信、ですらない。

 世界を単純化して、ただ閉じればいい。万象に正解があると信じそれを与えてくれるのなら、例え名探偵という外界からの来訪者であっても歓喜しながら称え敬う。お目出たい思考停止、平穏の内に自分たちを供物に捧げ、それをもって我らは貴き者なりと公言する傲岸さ。

 私はこんな奴を恐れていたのか。何ていう・・・


「救いようもなく、どうしょうもない間違い」


 御高説を垂れている所に突然声を発する、今までのビクビク命令に従っていただけの者の急変した様子に怪訝な顔を向ける男。ああ・・・

「そんな顔を向けないでくださいよ。哀れ過ぎて手元が狂う」

 異形化した自分の手で、男の右手を切断しながらそう告げた。

「貴様・・・!?」

 何かセリフを発する前に口を塞ぐ。切断面が再生してる・・・ああ自衛用の処置は施してたっけ。

 好都合。この人には生きていてもらわないと。

 そのまま部屋に備え付けられた椅子に身体を叩きつけ、このために持ってきた鎖で男を縛る。

 猿ぐつわを噛ませたけれど、まあ直ぐにこれはバレるな。

 じゃあその前になるべきことをやっていかないと、そう何度も間違いは許されない。

「今から私は研究所で、シイについて使えそうな資料を捜します。ついでに研究員の方にもいろいろ話を伺うつもりです」

 淡々と、これからの予定を語る。

「その後、外部で施術を行える所、もしくはこの家のように名探偵にべったり依存している連中について、情報を集めて今後の指標としますので」

 まるで決まりきった事務作業のように。この家を潰す。今まで自分が戦っていたことを否定し、ここに連なる者も消すと告げる。

 驚愕で目を見開く・・・あれ、これであってるのかな。口閉じてるからわからないや。

 そんなに信じられないのかな。きっとそうなんだろうな。ただ言われたことだけをやって来た私がこうなるなんて、想像出来なかった。その可能性を認められなかった。

 ならこれはその報い。受け入れて欲しいな。

「これから私は一切合切巻き込んで、この家を無茶苦茶にします。もしそれでも生き残れたなら。私の行動は間違いじゃ・・・ああ、違う。、名探偵とそれに連なる連中の全てを台無しにしてみせる」

 間違いをいくつ重ねても、それを上回る意思を示す。

「あなたは、あなたたちはこの愚かな悪性が自分の家も、世界も食い破る様を出来るだけ長く見ていてください、お願いです」


 シイ。あなたは間違っていた。

 私には、あなたに想われる価値はなかった。

 あなたとこいつらが築いたものを全て壊して、それを証明しよう。


「それでは。もう会うこともないと思います。これまでお世話になりました。お父様」


 さあ、貴種の令嬢、神子としての芦間ヒフミは終わった。


 ここからは怪人の番。

 名探偵を喰らい、自分の間違いの八つ当たりで世界を壊す最悪の怪人、芦間ヒフミを始める。



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