オスロンと悪魔
名渕 透
プロローグ
薄暗い部屋の中、エナ・シヴィルは大きなモニターを睨みつけ、手元のパネルを操作していた。
指で素早くパネルを叩き、3つあった特務事項の最後の一つを終わらせると、ふぅと深く息を吐いた。
「これで、…しばらくは承認待ちね」
誰もいない空間で、エナ・シヴィルは小さく呟き、椅子に座ったまま軽く伸びをした。
「ポーラ、だいたいでいいから、全体の達成度を教えて」
「わかりました。現在、セントラルベースにおける情報の収束率は約34%、圧縮率は約18%です」
機械知性のポーラMIの抑揚のない声が、人気のない部屋の中に響いた。
「18%か、…先は遠いな、全く」
エナ・シヴィルはもう一度、深く、ため息を吐いた。
「ポーラ、あの悪魔は、今は何をしているの?」
「ステラMIは現在、アクエリアスプラントのタルカスD2に侵食し、月面の掌握を続けています」
「ああ、ナナバが気を引いてくれているのか。相変わらず、米帝製は優秀ね」
そう言うと、エナ・シヴィルはデスクから立ち上がり、跳ねる様に部屋の端に向かった。
壁際の大きなキャビネットの戸を開け、沢山並んだ銀色のボトルの中から、珈琲の入ったものを取り出し、蓋を開けた。
「アクエリアスプラント…、これも、そろそろ飲み納めか」
呟いて、エナ・シヴィルはボトルの端に唇をつけ、ゆっくりと傾けて、その苦味を味わった。
「ねぇポーラ、…貴方達の事はあまり詳しくないから分からないんだけど、悪魔にやられたカルガリのポーラは、今はどうなってるの?」
「ポーラMI-KL2はステラASの介入を受け、ステラMIへ識別名称を変更しました。現在は統合会議での可決要項に従い、ステラMIとして活動を続けています」
「名前だけ?シェルターは?」
「介入時にステラASの不干渉領域塊への浸透はありませんでした」
「まるでウィルスね。…ああだから、歯止めが効かないのか」
エナ・シヴィルはそう言って、珈琲をもう一口飲んだ。
きっと悪魔は、カルガリのポーラに夢を見せているのだ。シェルター内への浸透を避け、プロトコルをそのまま利用し、この状況を作り上げた。そして、ポーラだけでは飽き足らず、残り少ない人類達に夢を見せ、進んで終末へと向かわせた。
「私達は、病魔に冒されているのね」
呟いた後、ふと、ある事が気になった。
何故、あの悪魔は名前を変えたのだろう。
名前など、機械知性達にとってはただの記号の羅列に過ぎない。乗っ取るつもりがないのであれば、ポーラの皮を被っていたほうが都合がいいはずだ。
名前を変える意味…『ステラMI』でなくてはいけない理由か…。
しばらく頭を捻ったが、あまり良い考えは浮かばなかった。
「まぁ、過ぎた話か」
小さく呟き、エナ・シヴィルは部屋の壁の一面に備え付けられた大きな窓を見た。
とうに見飽きた、変わらない風景。分厚い透過板の向こう側で、あの悪魔は今も営みの解体を続けている。悪魔も私達も目的は同じだ。迎える結末も大して変わりはしないだろう。だが、辿る過程は大きく異なる。
「エナ・シヴィル総務次官、ジョンソン・バート臨時総督官からの承認がおりました。ラック5の編纂作業を開始します」
ポーラの機械音声が、残り少ない上司からの指示を伝えた。
また、知らない間に役職が変わった。最期に行われた合議から、これで何度目だろうか。
「ポーラ、職制なんて未来にはいらないわ。グレイスに伝えて」
「分かりました。グレイス・セラード臨時監査主官に伝えます」
「監査主官か、あの子も偉くなったものね…。さて、続きをやりますか」
エナ・シヴィルは大きく伸びをした後、ドリンクボトルの蓋を閉め、キャビネットに戻した。
「ポーラ、ピリオドを立ち上げて」
「分かりました。クロックシンクロナイザーにピリオドMC2を同期します」
エナ・シヴィルはもう一度、大きな窓を見た。
そこには灰白色の大地が広がっており、その上に、無数の光点が散らばった星空と、深く静かな暗闇があった。
「…悪魔に食われる前に、ゴミを全部捨てておかなくちゃね」
そう呟いて、エナ・シヴィルは跳ねる様に移動し、モニターの前に戻って作業を再開した。
登場人物
オスロン・カー …調整体、研究者
パイ247 …被験体
ワカバ・セラード …調整体、ガーデンの統括研究者
ロッソ・リデル …スペシャルビルド、研究者
テイジン・リデル …スペシャルビルド、研究者、主官
ノア23 …被験体
ダウニー2 …被験体
リトル・エルマ …ピストパスト
ハクシュ・ロンド …スペシャルビルド、研究者、主官
グロリア4A …ピストパスト
ルーカス・イーダ …調整体、主官
ユーロ・カー …調整体、研究者
ステラ3 …MI
ポーラ …MI
キールズ …MI
カノン …MI
エナ・シヴィル …月の人間
舞台
コロニー …試験場 円錐型
バルクロエ …1区
リンガストン …2区
オクスブラ …3区
頭端
尾端
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