週末はサーフィンする
紡ちひろ
第1話
「先輩は週末いつも何してるんですか?」
「……特に何も」
4月、先日入社してきたばかりの後輩は、きらきらした目で聞いてきた。7年間、毎年聞かれるおなじみの質問を、おれは流すように答えた。
「そうなんすね!僕は最近資格の勉強を始めました!」
「へぇ、それは良い心がけだ」
うちの会社は割と良い会社だと思う。
福利厚生はしっかりしているし、頑張れば頑張った分評価もしてくれる。おれの同期も先日主任になったばかりだ。たぶん、おれもそろそろそういう話が来てもおかしくない。
「その資格ならおれも前に取ったことあるな。今度教えようか?」
「え! まじすか! ぜひお願いします!」
後輩たちの成長を見るのは楽しい。
でもおれは、これ以上ここにいて成長することがあるんだろうか……?
いつものコロッケそばをすすりながら、そんな漠然とした焦りを感じていた。
「鎌倉ですか?」
「そうそう、厳密に言うと七里ヶ浜駅ってとこなんだけど。そこのゲーム会社さんがうちの新しいセキュリティシステムを導入してくださるんで、鹿島くんしばらく初期サポートに行ってくれないか?」
昼休み後に課長に呼び出された要件は、出張の要請だった。うちはシステム会社なので、取引先で作業することがある。しかし、基本的にうちは都内の取引先が多いので、神奈川、しかも湘南は初めてだった。普通は都内の一等地にオフィスを構えた方が色々メリットが多い気はするのだが、なぜそんな観光地に……? 少し変わった会社なのかな……?
その時、おれは少しわくわくしている自分に気付いた。
「どうする? 週1とはいえ、遠いだろうから、もっと近いやつに頼んでもいいけど」
「いえ、やらせてください!」
湘南は都内より日差しが強いのだろうか?
江ノ電の窓から見える海面は、目一杯の光を浴びてキラキラしている。遠くに赤や黄色の帆のついた小さなヨットたちが光の粒の中へ消えていく。がたんごとんと揺られながら、スーツを着た自分の方がなんだか浮いてるなぁとぼんやりと思った。住宅街の間をすれすれに通り抜けていく緑色の電車は、おれをどこか懐かしい場所へと連れて行こうとしていた。
「お待たせ致しました。次は七里ヶ浜、七里ヶ浜でございます」
予定よりも早めに着いたので、観光客の足並みに誘われ、おれも少し海を眺めていくことにした。七里ヶ浜駅は改札から歩いてすぐに海に出れる。国道134号線の向こうには夏かと思うくらい澄んだ青い空と海が広がり、斜め右の方向には江ノ島が大きく見える。大きな森のような島の真ん中には、シンボルの灯台がひょっこり顔を出している。
サーフボードを抱えた真っ黒に日焼けしたおじさん二人が、楽しそうに話しながら134号線を渡っていく。まだ春だと言うのに足元はビーチサンダルで上半身は裸である。黒いウェットスーツは腰まで履いて、腕を通す部分は腰からぶら下がっている。
平日だというのに、この人たちは仕事をしてないんだろうかーー?
じっと見すぎたのか、おじさん片方がおれに気付き、右手の親指と小指を立てて、“アロハ”のポーズをしながらニカッと笑いかけた。おれはドキッとして咄嗟に反応ができず、海へと降りていくおじさんの背中をただ見送っていた。
その会社は江ノ電の線路沿いにあった。陽気な海辺の街にぴったりの、カリフォルニアスタイルの大きな2階建ての邸宅だった。白い板チョコのようなドアには、”Welcome”と書かれたボードがぶら下がっていた。
ーー本当にここが会社なのか?
そう疑いながらもチャイムを押した。
しばらくしてメガネの若い男性が出てきた。
「はい」
「お世話になっております。私、JDPシステムズの鹿島と申します。本日システム導入の説明に参りましてーー」
「どうぞ」
「あ、どうも……」
そっけない態度の男性は玄関を入ってすぐの小さな打ち合わせ室のような部屋へ、おれを案内した。大きな白いテーブルにはヤシの木の置物がちょこんと置いてある。ここで少し待つように伝えるとメガネの男性は廊下の奥へ消えていった。雰囲気的に社員のゲームエンジニアだろうか。
席に座ると、ちょうど向かいの窓から江ノ電が走っていくのが見えた。面白い立地だなぁと眺めていると、ちょうどドアが開く音がした。
「どうも! 社長の南田です。遠くからわざわざありがとうね」
おれはすぐ立ち上がり、
「いえいえ、とんでもありません。こちらこそ、この度は弊社にご依頼いただきありがとうございます」
「まぁまぁ固くならずに」
そう言って向かいに座った南田社長は、全身真っ黒に日焼けしており、さっきのサーファーのおじさんと同じく、どこかゆるい空気を身に纏っていた。年齢は40手前くらいだろうか。白いTシャツから伸びる腕は筋肉質で、頼れる兄貴のような雰囲気を感じた。おれはもうすでに南田社長に好感を抱いていた。いや、おれだけでなく、一度会えば誰もが好感を抱くような、素敵な人物だった。
システムの説明を終え、一段落した後に、ずっと気になっている事を聞いてみた。
「あの……、やはり南田さんもサーフィンされるんですか?」
「ん? してるよ、もちろん。そのために会社を湘南に作ったもんだしね」
サーフィンのために……?
わざわざ都内を離れて会社を作るほどハマってしまうサーフィンとはーー。一体どれだけ魅力的なのだろうかーー?
「鹿島くんもしかして、興味ある?」
「え?」
南田さんはニカッと笑い、
「ちょっとこっちに来てごらん」
そう言って椅子から立ち上がると、向かいの部屋へおれを案内した。
ドアを開けられ、どうぞと先に通される。
入った瞬間にココナッツのような香りが鼻に抜けた。薄暗い物置のような部屋で、窓から差し込む光で舞い上がったホコリがキラキラと照らさている。その光の中で、床に並べられたたくさんのサーフボードが部屋の半分を占領している。開けっ放しのクローゼットには何着ものウェットスーツがかけられている。どうやら、サーフィン専用の物置部屋のようだった。
「すごいですね……。これ全部、南田さんのものですか?」
「まさか。社員の子たちのも置いてあるよ。……まぁ、半分以上おれのだけど……」
「へぇ、サーフボードって思った以上にでかいですね。これはロングボードってやつですか?」
「そうだね、おれのロングは10フィートあるから結構でかめだね」
「ふーん、ご自分の身長に合わせて選ぶんですか?」
「そう、あとは乗り心地とかスピードとかも違うし、好みだね」
「ふーん……」
「興味出てきた?」
「え? いや、まぁ」
ごにょごにょとはっきりしないおれに、南田さんは問い詰める。
「ん?」
「少しは……」
南田さんはニヤリと笑い、部屋の奥をごそごそ漁り始めた。カバーに筒っまれたロングボードを引っ張り出すと、ぽんぽんとホコリを払った。
「これ、古いボードだけど貸してあげるよ」
「えっ」
突然の申し出におれは言葉を詰まらせた。
「全然使ってないやつだからさ、最悪壊してもいいし」
「いや、でもおれ全然サーフィンの事知らないし、ボードだけもらってもーー」
「あ、そっか。じゃあ週末おいでよ。教えてあげる」
「えっ、ええーー」
怒涛の展開に頭がついていかないおれ。そんなおれにお構いなく、
「週末はなにか予定あるの?」
「……特に何も」
つい、言葉に出してしまった。まだ決断できてもないのに……。こうなったらもうーー。
「じゃあ決まりだね」
「は、はいーー」
優柔不断なおれ、即断即決の南田さん。
彼が社長たる所以は、ここにあるだろうーー。
《つづく》
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