ある丘の上にて



雲は空を覆い、完全に日の光を遮断する。

男が丘の上に辿り着く頃には雨足は強くなっていた。

乾いた地面はもう見えない。


丘の上に一本だけ立っている枯れ木の前。

枯れ木に埋め込まれるようにして立つ小さな石碑に向かう女性の背中を見た。


つばのある三角帽子に短いスカートの黒いドレス。

手に持つ龍を模った大きな杖が目立っている。


女性は振り向くことなく気配だけで、その人物が誰なのかわかった。


「久しぶりじゃな。やはり、お前がメイアの連れか」


「"フィオナ・ウィンディア"……メイアが世話になったようで」


笑みを含むように発せられる言葉。

予想通り。

フィオナはそう思った。


「ここに来るのは久しぶりですね。何百年ぶりか……彼女のことを思い出すと、いつも雨が降りますよ」


「そう……じゃな」


「英雄ではないが、彼女は水の波動の使い手としては過去に類を見ないでしょう」


「確かに……じゃが、あのような死に方は彼女の望むところではなかっただろう」


「そうかもしれませんね」


フィオナは深呼吸した。

振り向く事なく続ける。


「して、なぜ六大英雄なのだ?なぜ"あの男"の名を語っている?」


「僕は英雄じゃない。そんな肩書にも興味はない。ただ長い時間を掛けてそれを大衆に忘れさせただけです。そして彼の名を語るのは感謝してるからですよ」


「なんじゃと?」


「僕をあの村から連れ出してくれた。その礼はしなければね。"彼が魔王を倒した"と、ただそう言って歩くだけだ」


「村が無くなっても何も感じていないのか?ヤツのせいで全滅しかけた時もあった。なによりも魔王城での出来事……最後なんて酷いものだったろう」


「それが何か?」


「まさか……興味が無いとは」


「僕からも質問しても?」


「なんじゃ?」


「今、"魔王城"はどこにあるんですか?あなたがスキルで隠してるのは知ってる」


「それを知ってどうする」


「何も。ただの興味ですよ」


フィオナは苦笑いした。

拾った時はまだ子供だった。

興味があれば熱心に取り組む性格なのは知っているが、興味が無ければとことん無関心だ。

だが、この男の興味の幅は広い。


「ロスト・ヴェローのさらに北の山脈の上空に浮かせてある」


「そうですか……なら安心だ」


「どういう意味じゃ?」


「あれは元々、今の王都付近に建っていましたからね、落ちたら大変だ」


「落ちることはありえん。わしが死なんかぎりな……」


「……」


妙な間があった。

フィオナは気になって振り向くと、やはりそこには予想通りの男が立っている。

だが、すぐに眉を顰めた。


「なんだと……お前の波動数値……なぜだ……」


フィオナが男の顔を見た瞬間、青ざめる。

そして、目が合った瞬間、なぜか体が動かなくなってしまった。

途端に息苦しさを感じ、それは窒息しそうなほどだった。


「その眼鏡……波動が見えるのか」


「く、く、くそ……」


男は静かにフィオナとの距離を詰めた。

目の前に立つと彼女が掛けていた眼鏡を取る。

そしてレンズ越しにフィオナを見た。


「"5"……なるほど、数値も見れるんだね。これは凄いアイテムだ。ゼクスが作ったんだろ?」


「あ、あ、あ……お、お前……」


「何か言いたいことでもあるのかな?」


フィオナの体から熱が奪われていく。

色がどんどん青白く変わっていった。


「あなたは勘違いしている。あの時……君たち五人は"全滅しかけた"んじゃない。"全滅した"んだ」


「な、な、なん……」


あまりの苦しみからかフィオナの両目から涙が伝う。

それを見た男は笑みを浮かべる。

同時に手に持っていた眼鏡を地面に落とすと踏みつけて粉々に割った。


「これからイース・ガルダンへ向かう。もうゼクスはいないけどね。前回行った時、彼が使っていた武具がどうしても見つけられなかったから、今度こそさ」


「……」


「もう意識はないか……君には感謝してるよ。僕の仕事を手伝ってもらって。正直めんどうだったんだよ。ニクス・ヘル討伐はね」


そう言って男はフィオナの持っている杖を奪い取る。

抵抗すらできない青白くなったその体は力なくうつ伏せに倒れた。


男は笑みをこぼすと、その場を後にする。


フィオナ・ウィンディアの体は白い灰のようになると雨と共に大地に消えた。

残ったのは男が持つ龍を模った杖と、地面に落ちる彼女の帽子、そして黒いドレスだけだった。




大迷宮ニクス・ヘル編 完

____________________





研究都市イース・ガルダン



王都の少し南西にある巨大な湖の真ん中に、その町はあった。


町は大きく東地区と西地区に分かれている。

東地区はコロセウムがあり、冒険者や平民が多くいる地区。

西地区はアカデミアがあり、貴族が多く住み、研究者や学生も多くいた。


ある夕刻。

曇り空、雨が降りそうな天候だった。


"西地区"に一台の馬車が入る。

真っ白で金色の花柄の模様が描かれた馬車だ。

市民は道を作った。

自分達は貴族であったが、明らかに馬車の形状を見るに自分たちよりも"高貴な地位"の人間が乗っているのはわかった。


馬車はアカデミアの門を潜った。

そして大きな建物の前に到着する。


研究施設というよりも、学校に近い見た目の作り。

面積でいえば貴族の屋敷の数軒分はあるだろう。

Uの字に建物が立ち、入り口付近には庭園が広がる。


馬車はアカデミアの建物の前で止まった。

その馬車を出迎えたのは、この施設の主であるブリハケット・バイロンだ。


初老のブリハケットは白髪をオールバックに整えてスーツを着込んで緊張の面持ちだった。

他にも後方には、この施設の研究者が10人ほど並ぶ。


御者が降りて、すぐに走ってきて馬車のドアを開ける。

中から姿をあらわしたのは女性だった。


金色の長髪を肩に乗せた女騎士。

重厚な鎧に身を包んだ若い女性だった。

女性の容姿は美しく、研究者たちの鼓動は早くなる。


そして、その女騎士の手を取って降りてきた、もう1人の女性。


薄い桃色のミディアムヘアを内巻きで綺麗に整わせた十代後半の若い女性。

服装は大人びた純白のワンピースドレスで品がある。

顔立ちは絶世の美女と言っていいほどで、男性研究者たちは顔を赤らめて息すら呑んだ。


代表のブリハケットは一歩前へ出ると深々とお辞儀して口を開いた。


「よくお越しくださいました"姫様"」


「出迎え、ご苦労様です。お久しぶりです」


女性は優しく笑顔で応えた。


「前に来てから二年ほどになりますわね」


「はい。前回お越し頂いた時は大変失礼致しました……もしかしたら、もう来ていただけないのかと心配しておりました」


「まさか。このアカデミアには王も期待しておりますし、なによりも美食家の私としては"サンシェルマ"のスイーツを口にできないのは耐えられませんから」


「本当にあの一件は……ゲイン卿に助けられました」


「そうですね。ヴォルヴエッジ家の長男には感謝しています」


「しかし、あの女騎士、あんな残虐な事件の犯人を姫様だと言い出すとは……死刑すら免れないところを姫様のはからいで左遷で済んだことを今頃泣いて感謝していることでしょう」


「まぁ終わったことですし。誰にでも間違いはあります。それに大事な王宮騎士を減らすわけにもいかないですからね」


「な、なんとお優しい……」


ブリハケットは涙を流していた。

スーツの胸ポケからハンカチを取り出して、わざとらしく涙を拭いている。


「立ち話もなんですから、中へどうぞ。お泊まりになる部屋の準備も整っておりますので」


「ありがとう。さぁ、行きましょうかクラリス」


"純白のドレスの女性"と"クラリスと呼ばれた女騎士"はアカデミアへ入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る