ゴキブリVSドン・ブレイザー
世の中の多くの人がそうであるように、私はゴキブリという虫が嫌いだ。
こんなことゴキブリが聞いたら、
「お前自身もゴキブリみたいなもんだろうが」
と怒るかもしれないが、嫌いなのだから仕方ない。
今私は実家に住んでいる。山奥の田舎の家だけあって虫が多く出現する。ムカデ、蚊、蟻、蜂など、もちろんゴキブリもいっぱい出る。他にもハクビシンや猪なども出現するが関係ないので今回は置いておく。
とにかくゴキブリには困っていた。台所ではデカくて黒いゴキブリが夜になると床を這っているし、私の部屋のゴミ箱には赤い小さなゴキブリ(正確には南京虫だと思う)が群がっている。
自室にゴキブリが出た日には、もう落ち着いていられない。一匹見たら百匹はいるのがゴキブリなのだ。家のどこかにゴキブリの巣があって、そこに何百匹ものゴキブリが蠢いていると考えると寒気がする。
ある日、何とかしなければと思い立ち、私はスーパーでゴキブリ駆除の道具を買ってきた。ゴキブリを捕獲して殺すタイプの、赤い屋根の家を模した形のアレである。要するにアース製薬のごきぶりホイホイだ。
私は早速それを組み立てて設置しようとしたが、完成したごきぶりホイホイの外観を見て、あることが気になってしまった。
「随分と明るい絵だな」
「明るい絵」とは何かというと、ごきぶりホイホイに描かれているイラストのことだ。先ほど言ったようにごきぶりホイホイは赤い屋根の平たい家を模した形をしているのだが、それに可愛くデフォルメされたゴキブリのイラストがいっぱい描かれているのだ。
デフォルメされたゴキブリ達はイラスト上で元気いっぱいに走り回っている。さらには窓から顔を出して外に向かって笑顔で手を振っているゴキブリの親子のイラストまで描かれている。
『この家とっても楽しいよ! みんな遊びにおいでよ! 美味しいご飯もあるよ!』
まるでそんなことを言っているように見える。
イラストのゴキブリ達を見ているとこれがゴキブリを捕獲して殺すための残虐非道な罠であることを忘れてしまう。もし、ごきぶりホイホイを知らない人にこれを見せて「これはゴキブリ飼育用の道具です」と言ったら、結構な人が信じるのでは無いだろうか。
この楽しそうなゴキブリ達のイラストを見て、正直私は恐怖を感じた。何が怖いのかといえば製作者サイドがゴキブリを本気で騙して殺そうとしているからである。
たかがゴキブリである。虫の中では結構頭が良いらしいという話は聞いたことがあるが、所詮虫基準での話だ。人間が描いたイラストを見て、その内容を理解することなんてゴキブリにできるだろうか、できるわけが無い。
それなのにごきぶりホイホイに描かれたイラストは、全てゴキブリにとって楽しく明るく、ポジティブな内容をしか描かれていない。
ゴキブリを殺す罠なら、ゴキブリが泣いていたり、怪我していたり苦しんだりする内容のイラストが描かれていても不自然では無いし、むしろ人間サイドにとってはそっちの方が分かり易くて良いはずだ。
なのにこんな明るいイラストが描いてあるということは「万が一にでもゴキブリ側にコレがゴキブリ駆除の道具であるということがバレてはならない」という製作者の強い意志を感じられる。
そんな事を考えながら、私はごきぶりホイホイを部屋の各地に配置していった。部屋の隅、家具と壁の間の隙間の近く、ベッドの下など。六畳くらいしか無い部屋なのに、買ったごきぶりホイホイが10個と多めに入っていたので、そのうちの7個を設置した。
「これだけ設置すればゴキブリは全滅だ」
そう高を括っていたのだが、一匹も取れずに3日が経過した。
おかしい、私の予想では今頃ごきぶりホイホイに溢れんばかりのゴキブリが詰まっているはずなのに。そんな光景見たくもないが。
そういえばごきぶりホイホイを設置して以来、ゴキブリ自体をあまり見ていない。もしかしたらごきぶりホイホイに警戒して、むやみに出歩かないようにしているのかもしれない。何という危機管理能力の高さだろうか。やはりゴキブリは頭がいい。
せっかくごきぶりホイホイを設置したのにゴキブリが一匹も捕まえられないとは。せめて一匹でも捕まえたいものだが、私にはゴキブリがたくさん捕れるように祈ることしかできない。
その内、ゴキブリが捕れているかどうかごきぶりホイホイの中を覗くことが私の日課になった。空のごきぶりホイホイを覗いてため息をつく日々。
普段は見たくも無いくせに、こんな肝心な時に姿を現さないとは、ゴキブリとは儘ならない存在である。
しかし、ある日いつものようにごきぶりホイホイを覗くと、何か小さくて黒いものが中央にいるのを発見した。ゴキブリだ、少し小ぶりだが立派なゴキブリ。ごきぶりホイホイの真ん中で動けなくなり、触覚だけをヒクヒク動かしている。
「やったー!」
私は思わずガッツポーズ。この喜びを何と例えたらいいだろうか。釣りで魚が釣れた時の嬉しさに似ている。嬉しくて捕まったゴキブリを結構長い時間ニヤニヤしながら見ていたくらいだった。魚拓ならぬゴキ拓でもとっておこうかとさえ思った。
その一匹目を皮切りに、ちょくちょくと、ごきぶりホイホイにゴキブリが引っかかるようになった。毎日ごきぶりホイホイを覗くのが楽しい。いつしか捕れた成果を眺めながら酒を飲むのが仕事から帰宅してからの私の楽しみになっていた。
そんな日々を過ごして数ヶ月が過ぎ、ふと私は考えた。
「こんな風にゴキブリを少しずつ捕まえてもなんの意味もないのでは?」
ゴキブリは少しずつだが駆除はできている。それは事実だが、こんなにゆっくり駆除してもゴキブリが増えるペースには全く追いついていないのでは無いだろうか。
ゴキブリの繁殖力はすごい、メス一匹が生涯に産む卵は400〜500個位らしい。ゴキブリ
の寿命は約1年半だからひと月に25個の卵を産む計算だ。
一方ごきぶりホイホイで捕獲できるゴキブリの数はせいぜい月に10匹程だから、毎月15匹ゴキブリが増えることになる。
しかもこの計算は家にいるメスのゴキブリがたった一匹だけだった場合の話だから、ゴキブリが増えるスピードはもっと速いはずだ。これではゴキブリが減るわけがない。
他にもっと良いゴキブリ駆除道具はないものかと探してみた所、同じくアース製薬の「ブラックキャップ」という道具の評判が良いことが分かった。
この「ブラックキャップ」とは小さくて丸い何かのフタのような形をしていて、中に遅効性の猛毒が入っている。
その毒をゴキブリが食べることで、そのゴキブリが死ぬだけではなく、そのゴキブリが巣に帰り糞をして、その糞を仲間が食べることで仲間のゴキブリも死んでしまうという恐ろしい道具である。
メスが身籠っている卵にも効くらしく、これだけでゴキブリは巣ごと全滅するらしい。しかも一度置けば約1年間は効果が続くのだという。
早速私はスーパーでブラックキャップを買ってきて部屋中に設置した。
そしてブラックキャップを仕掛けて数ヶ月経った。効果は絶大で、設置してすぐの頃赤茶色の小さいゴキブリを一匹見たきりで、その後ゴキブリは私の前に姿を見せることは無くなった。
よかった、本当によかった。よかったはずなのだけど、私はなんだかスッキリしない感じがした。
このブラックキャップ、ゴキブリを巣ごと全滅させるらしいが私自身はその事実を目視できない。ゴキブリが出なくなっているのだから本当に巣ごと全滅してるのだろうけど、ごきぶりホイホイのようにゴキブリの死骸が見えないと「ゴキブリ達をやっつけた」という気分になれないのだ。
「じゃあお前はゴキブリが大量に死んでいるところを拝みたいのか?」と言われれば、そういうわけではないし、これでいいのだろうけど。
そんなことも思ったりしながら平和な日々が過ぎていった。
そんなある日、私の部屋に再びゴキブリが出た。久しぶりの再会なので驚きも大きい。
「くそ! 1年間は持つ、なんて嘘じゃないか!」
そんなふうに一瞬思ったが、冷静になって考えてみると、ブラックキャップを設置してもう1年以上経過していた。
「もうそんなに経つとは時が流れるのは早いもんだ」
さっきまでブラックキャップを疑っていたくせにそんな呑気な事を考えてる私。とりあえず、もうブラックキャップをもう一度設置しない手はないので、また私はスーパーでそれを買ってきて設置したのだった。
「これでまた1年間は安心だ」
これで一安心、ホッと一息をついた。
その時だった。天井から、何かが降ってきてベッドの上に落ちた。
ゴキブリだった。ブラックキャップを設置してからわずか30秒後ほどで起きた出来事だ。
落ちてきたゴキブリは弱ってベッドの上でヒクヒク動いている。
『うわああ! ブラックキャップだ! やられた苦しいよー! 助けてー!』
そんな風にわざとらしく苦しんでいるように見える。
いくらブラックキャップが強力とはいえそんなにすぐ効き目が出るわけないはずだ。そもそも食べさせて効果のあるものなのに、設置しただけでゴキブリが苦しみ出すはずがない。
私はこの光景を見てゴキブリとアース製薬との間での八百長行為を疑いはじめた。
先ほど書いたように、ブラックキャップで全滅させたゴキブリの巣を私たち人間は目視することはできない。ゴキブリが現れなくなった事実から「ああ、ゴキブリは全滅したのだな」と考えているだけだ。
しかし本当は巣もゴキブリも全滅していないのではないか。
ブラックキャップを設置するとゴキブリが出なくなるのではなく、ブラックキャップを設置した家にはゴキブリが出ないようにしているのではないだろうか。そういう密約がメーカーとゴキブリ間で交わされているのではないか。
そして、ブラックキャップの売上の一部がゴキブリに渡される。これならメーカーは儲け、ゴキブリは死なない上に利益を得て、ユーザーはゴキブリが出なくなって幸せ。全て丸く収まる。
なんという事だろう、私はゴキブリの掌で踊らされていたのだ。しかも、この事実を知ったところで私はブラックキャップを毎年買い続けるしかない。以前のようなゴキブリが大量に出没する生活には戻りたくない。メーカーさんとゴキブリさまにみかじめ料を払い続けるしかないのだ。
このエッセイの冒頭で「私自身がゴキブリみたいなもんだ」みたいな自虐ネタを言ったが、それは大きな間違いであった。
間違いなく、私はゴキブリ以下の存在です。
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