十三番目の魔女を呼ぶ
佐倉有栖
第1話
酷く揺れる馬車に何度も頭を打ち付けながら、リズレットは何とか体を起こすと小窓から外を見た。
荒涼とした大地は赤茶けており、ときおり低木の残骸のようなものが生えているほかは、地平まで見渡せるほど何もない。
気を失っていた時間がどれほどだったのかは分からないが、国境を超えるほど長くは眠っていなかっただろう。そう考えると、外の光景は奇妙だった。
(土の色からして、ここは南方に近い場所のはず)
冬場になると凍土に覆われる北方とは違い、南方は冬季でも温暖な地域だ。南の果てまで行けば、灼熱のマグマが吹き荒れ植物が一切育たない地獄のような場所があるとは聞いているが、いくらなんでもそんな場所まで連れてこられるほど眠っていたとは思えない。
リズレットの最後の記憶は、屋敷を抜け出した後、市街地の裏道で怪しい屋台の店主から光る不思議な石を渡されたときまでだ。淡いオレンジ色に発光していた石がゆっくりと緑色に光を変え、赤に変え、クルクルと回りながら色を変えるそれに夢中になっていたとき、プツリと意識が途絶えた。
(きっとああやって、興味本位で近づいてきた子供をさらっていたのね)
己の迂闊さを恥じ、リズレットは唇を噛んだ。
もともと、あの界隈で子供の行方不明が多発しているという噂を聞きつけて出かけたのだ。用心など、しすぎるくらいでちょうど良かったのに、人のよさそうな細目の店主に油断してしまった。飄々としていながらも人懐っこい態度が、飼っている猫のタフィにそっくりで、警戒を緩めてしまったのだ。
普段のリズレットであれば、あんな子供だましの魔法に引っかかることはなかったのに。
思わずため息が零れる。帰ったらなんて言い訳をしようかと考えていると、隣に座っていた少女がリズレットの袖を引っ張った。
ぐしゃりと乱れた茶色の髪は、もとは三つ編みにしていたのだろう。毛先には質素な黒いゴムがしがみついていた。着ている服は継ぎ接ぎだらけで、本来の色が何色だったのか分からないほどに茶色く汚れていた。裾についた泥は何層にも重なり、黒から薄い茶色へのグラデーションを描いている。
年のころは、五つか六つほど。こけた頬がやけに大人びて見えるが、クルリとした大きな目はまだまだ幼い無垢さで輝いている。
少女はキラキラとした緑色の瞳を真っすぐにリズレットに向けると、内緒話をするように口元を両手で覆った。秘密の話なのかと耳を寄せれば、凛とした可憐な声が鼓膜を震わせた。
「シュナウザー家のリズレット様ですよね?」
リズレットの目が見開かれ、パチリと瞬いた。まじまじと少女を観察するが、見覚えはなかった。
少女は囁くような声で言っていたのだが、リズレットの名前を呼んだときは運悪く車輪が高く跳ねたときで、無音の馬車内によく響いた。
「はあ? その子がリズレット様なわけないだろ。どう見たって七歳くらいじゃん。リズレット様は、十七歳のはずだろ?」
対面に座っていた気の強そうな男の子が、怪訝な顔で少女を睨みつける。彼の服も少女と同じくらいに汚れていたが、頑丈な布で作られているのかほつれや破れは見られない。もしかしたら、炭鉱で働いていた子供なのかもしれない。
子供が働くには過酷な現場だが、体が小さい分トンネル作業が大人よりも容易で、需要があった。彼らはほかの児童労働者よりも上等な衣服を与えられているのだ。
「でも、シュナウザー様のお屋敷で見たことあるもん!」
「あなた、うちに出入りしていたの?」
シュナウザー家で子供の使用人は雇っていないが、使用人の子供たちは住んでいた。家人の居住区と使用人の居住区はキッチリと分けられているため、日常生活で顔を合わせることはないのだが、リズレットは自ら志願して彼らに読み書きを教えていた。
成長してシュナウザー家で働くにしても、別の場所で働くにしても、読み書きと簡単な算数ができていればそれなりの職に就くことができ、飢えることはないからだ。
そもそも、子供の行方不明が発生してからは、使用人たちの子供は大人同伴でない限り外出は出来ないように言いつけてあった。リズレットが単独で市街地に調査に出かけた日まで、使用人の子供が行方不明になったという報告は受けていない。
「あの……違うんです。ニ……あたしは……お屋敷の近くに住んでて……ゴミ箱をあさっていたら、残り物を分けていただいて……」
青ざめた顔でオロオロと視線をさまよわせる様子に、リズレットは優しく微笑むと少女の頭を撫でた。
「大丈夫よ、残り物を分け与えた使用人に何かしようなんて思ってないから」
「良かった……」
どうやら少女は、恩人に罰が与えられるのを恐れていたらしい。
数か月前にゼルテール辺境伯のお屋敷で使用人の大量解雇が起きたのだが、その理由が余った食べ物を孤児に分け与えたからというものだった。
平民、しかも孤児に良いものを食べさせると、余り物を求めて屋敷の周辺を徘徊して見栄えが悪くなるということだった。辺境伯はかなり選民意識の強い人物で、平民は最低限の食事を与えてさえいればよく、少しでも良いものを食べさせると満足に働かなくなると頑なに信じていた。
「平民は、労働をするために生きているのだ。貴族に贅沢をさせるために働いているのであって、決して自分たちが贅沢をするためではない!」
気が遠くなるような辺境伯の差別と偏見に満ちた演説は、実は社交界では人気だった。貴族の連中は、それが特権階級ということなのだと信じて疑わないのだ。
「じゃあ、本当に……シュナウザー公爵家の……」
先ほどまで馬鹿にするような視線を向けていた少年が、さっと顔色を変えると居住まいを正した。いまだ混乱する頭をフル回転させながら、何とか言葉を絞り出す。
「なぜリズレット様がそんなお姿なのか……きっと、俺にはわからないような事情がおありなのでしょう。でも……どうしてこのような場所に? それにその服、平民のものですよね?」
リズレットは自身が身に着けている質素なワンピースの裾をつまむと、悪戯っぽく微笑んだ。
「公爵家には、ドレスしかないわけじゃないのよ。お忍びで街の様子を見に行くときに、ドレスじゃおかしいでしょう?」
「それはそう……ですが、公爵様がお忍びで……?」
「お父様もお兄様もお姉様も、定期的にお忍びで街を歩いているわよ。だってそうしないと、街の本当の様子は分からないじゃない。屋敷に招いて街の様子を聞いたって、誰も本当のことなんか言わないわよ」
当然でしょう? と言うように肩をすくめて見せるが、少年は納得がいっていない様子だった。しかし、それよりもリズレットには気になることがあった。
「ねえキミ、名前は?」
「フレックと申します」
「そう、フレック君。あなた、貴族のお屋敷にいたことがあるわね?」
フレックが驚いたように目を見開く。
「はい。母がギルボード男爵家で使用人をしていました」
「やっぱりね。炭鉱夫の中で育ったにしては、言葉遣いが丁寧だったから」
炭鉱夫たち気性の荒い者が多く、その言葉遣いにも表れていた。何度か父が屋敷に彼らを招いたことがあり話しているのを聞いたことがあるが、丁寧に話そうと努めていても、言葉の端々に荒々しさがにじむことがあった。
フレックの話し方には、あの独特の荒さはなかった。
「それで、お母様が男爵家で使用人をしているのに、どうしてあなたは炭鉱夫をやっているの?」
「母が亡くなったからです」
凛と澄んだ声が、フレックの隣から聞こえた。
今まで目を閉じてじっと成り行きを見守っていた少女が、ゆっくりと口を開く。ほかの子供よりも衣服は汚れていなかったが、着古しているのか布自体はだいぶくたびれていた。
一つにまとめられた長い金髪も、手入れをすれば見事な輝きを見せるのだろうが、今は土埃に汚れてくすんでいた。
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