第7話 脱出

 魔導研究所から脱出して、三日。

 シャンナの体力を気遣いながらも、俺たちは逃亡を続け、昼夜兼行で駆けてきた。

 エバンヘリオ公国の国境を抜け、ようやく一息つく。


 今は再び、人里離れた森の中に身を潜めている。

 認めたくはないが、ハイカルがあやつる鴉の存在が、追手の目をくらませるのに大きく役立った。

 ハイカルのもたらす情報によって軍の動きは筒抜けとなり、ところどころでこの使い魔が空中から偵察したお陰で、危険な道はすべて避けられた。

 正直、ここまで献身的にあの男が立ち働くとは思っていなかった。


『くくくっ、感謝したまえ。私がいなければ、五、六回は戦闘を避けられなかっただろう』

「……だとしてもすべて斬り捨てていたさ」

『かもしれんが、グズグズ戦えば大軍に捕捉ほそくされる。無用なリスクを負わないに越したことはなかろう?』


 正論ではあった。

 それに俺だって、できれば同じ人間に対し、むやみに刃を向けたくはない。

 兵の多くはただ、命令どおり俺たちを追っているのであって、彼らと敵対するのは俺たちの本意ではない。


「それがお前の思惑にも叶うからやってるんだろう?」

『当然だ。利害が一致している限りは、協力しようじゃないか』


 利害が一致している限り……か。

 この男の行動に対して素直に感謝する気になれないのは、まさにその一点だ。


 今は、特にシャンナを中心に俺たちの動向に関心を持っているようだが、自分たちに高値をつけ過ぎるのは危険だ。

 もし、自分の研究活動の妨げになる――例えば軍の人間に俺たちとのつながりを疑われる――ようなことがあったとき、この男はためらいなく俺たちの情報を売るだろう。


 そんな人間に、いつまでも自分たちの居場所を握られているというのは、リスクが大き過ぎる。

 できる限り早急に、対抗手段を見つけるべきだった。


『さて、私もこれでなかなかに多忙な身でね。君たちの動向を四六時中見守っているわけにはいかない』

「おまえのほうから話しかけてきたんだろうが!?」


 俺たちの声は相手にも届いているはずだが、ハイカルは完全に無視して一方的に宣言する。


『ここでなら、多少目を離したところで安全だろう。私もしばし、本来の研究に戻らせてもらう。では、失礼するよ』


 そう言ったきり、鴉からハイカルの声は聞こえなくなっていた。

 使い魔はそれ自体自我を持っているらしく、ハイカルの意志がなくても自力で動く。

 俺たちを見下ろす高い木の枝まで羽ばたき、そこで羽をやすめた。


「これからどうするつもりだ、マハト?」


 その様子を見届けてから、イブナが声を潜めて聞く。

 もうハイカルに声は届いていないはずだが、油断はできない。

 常に相手に見張られているような、嫌な気分は抜けなかった。


「とりあえず……今のうちに、ハイカルさんから引き出せる情報はすべて聞いておきましょう」


 俺の代わりに、シャンナが先に答える。

 シャンナは、まったく声を抑えようとしなかった。

 ハイカルに聞かれてもかまわないと思っている、あるいはあえて聞かせているのかもしれない。


 俺も首を縦に振り、その言葉に同意した。

 “今のうちに”という前置きが、すべてを物語っている。

 彼女も、あの男との協力関係が長くは続かない、と見切っているのだろう。


「魔核を動力源とした魔導キメラの精製など、魔王軍でも思い至らない発想です。思想や信条はどうあれ、彼がヒトの中でも飛びぬけて天才的な才能を持った魔導士であることは、疑いえないでしょう」


 シャンナはあくまで冷静に言う。


「そうだな。元々奇行の多い男だが、それでも許されているのは、軍にとって手放せない人間だからだろうな」

「……とはいえ、わたしたちがあの男に依存するのは、危険すぎるぞ」

「ああ。何か対抗できる手があればいいんだが……」


 イブナの言葉にうなずき、俺はしばし黙考する。

 二人も、それぞれに考えを巡らせているのだろう。

 しばし、沈黙だけがあたりに満ちる。

 そうなると、頭上の鴉の瞳がやけに気になった。


 ――ままならないもんだな。


 内心つぶやく。

 守るべき人々を救えず、殺そうとした相手と手を組んでいる。

 人類にも魔王軍にも属さない俺たちに、この先何が待ち受けているのか想像もつかない。

 こんな調子で俺たちが生き延びることに、なんの意味があるのだろうか。

 暗闇の中を手探りで進むような思いが、きっとこの先も続くのだろう。

 それでも、生きている限りはできることを考え続けるよりほかに、取るべき道はなかった。


「……一つだけ、アテがある」


 ややあって、ぽつりとつぶやくように漏らしたのはイブナだった。


「というと?」

「マハトは、スマラクト島という地名を聞いたことはあるか?」

「……一応、地図の上でならな。ここよりずっと北西、雲母海うんもかいに浮かぶ島だったはずだ」

「ああ、そのとおりだ」


 イブナが言ったのは、大陸の辺境、ほとんど地図上の最西端に位置する大きな離島だった。

 おぼろげな記憶だが、たしか島の面積はエバンヘリオ公国の領地にも匹敵するくらいあったはずだ。


 それにしても、あまりに遠い場所だ。

 ここから目指すなら、馬を用いても数ヵ月はかかるだろうか。

 島の特徴はおろか、人が住んでいる島なのかどうかすら知らない。

 もし向かおうと思えば、位置的に、魔王軍の占領地を避けて通れないだろう。


「その島がどうかしたのか?」

「そこにカーインという名の魔族が住んでいる。魔王陛下が復活される以前からな」

「……もしかして、氷の大陸から追放された魔族というヤツか?」

「そうだ。よく覚えていたな」


 イブナと幻獣について話していたとき、聞いた話だ。

 そのときは話の本筋と関係ないからと、軽く流された話題だったが……。


「カーインはこの大陸に住まう魔族を集め、スマラクト島で独自の勢力を持っている。数十、あるいは数百という魔族が島に隠れ住んでいるはずだ。正確なところは分からないが……」

「そんな場所があったのか……」

「ああ。魔王陛下も大陸に侵略した際、カーインには何度も使者を送っている。だが、彼らの返答はいつも同じだ。人類との戦いには関与しない、我々はこの島で密かに生きるのみだ、とな」

「そうか……。この戦いで中立の立場にあるなら、俺たちをかくまってくれる可能性もあるな」


 イブナは俺の言葉にうなずいたが、表情は複雑だった。

 そこまで楽観視はできない、と言いたげだ。


「それは……危険な賭けですね、姉様」


 シャンナもためらいがちに言う。


「ああ。カーインが腹の中で何を考えているのか、正直なところ分からない。余計なもめごとを持ち込むな、と問答無用で殺される可能性も……低くはないだろうな」

「イブナたちは通されても、人である俺だけ殺される可能性もあるな」


 俺の言葉に、イブナが眉を寄せた。


「そんなことはさせない! もしマハトの命を奪うというなら、わたしも徹底的に交戦しよう」

「そう言ってもらえるのはありがたいが……。ここで仮定の話ばかりしていてもしかたないな」


 俺は肩をすくめて答える。


「まずは会って話をしてみよう。そのカーインという魔族に」

「いいのか? そんなあっさりと決めて……」

「ああ。もしその場で奪われるようなら、それだけの命だったということだ」


 魔王軍侵略以前からこの地に住まう魔族。

 興味の湧く存在だった。

 もとより、人のあいだにも魔族のあいだにも居場所のない俺たちだ。

 むやみな逃亡生活を続けるよりも、彼らの考えを聞くほうがずっと、未来へ向けて前進できる気がする。


 シャンナからも異論は出なかった。

 あとは、ただ、ここまで生き延びてきた自分たちの強運を信じるだけだ。


「長い旅になりそうだな。可能なら、追手のない人里で色々と準備できればいいんだが……」

「待ってくれ、マハト。その前にすべきことがある」

「ん?」


 イブナの言葉に、シャンナが嫌そうに顔をしかめた。

 俺にはなんだか分からないが、シャンナにも、イブナの言う「すべきこと」が分かっている様子だった。


「……どうしてもやらなくちゃいけませんか、姉様?」

「当たり前だ! なんのためにあれだけの危険を冒したと思っているんだ」

「……なんの話だ?」


 俺が問いかけると、イブナは呆れたようにため息をついた。

 本気で聞いているのか、とでも言いたげな目を向けてくる。


「決まっているだろう? 魔核の挿入だ」

「……挿入?」

「ああ。おまえの手も借りるぞ、マハト」


 イブナの言葉に、シャンナが深々とため息をついていた。

 そう言われても、俺にはまだ、イブナが言っているのがなんのことだか、よく分からずにいた……。

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