第8話 閃光魔術

 疾風はやてのような踏み込み。そこから繰り出される、まっすぐな突き。

 フェイントも牽制けんせいもない。それが返って俺の意表をついた。

 両肘で受ける。梢を打つような乾いた打撃音。腕が痺れた。空気が震える。

 突き出された腕を取ろうとしたが、逆にからめとられる。


「くっ……!」


 両手で振り払ったときには、ふところに潜りこまれていた。

 身体が宙に浮く。空がぐるりと回った。

 空中で身をよじり、受け身を取った。ダメージは無いに等しい。

 すかさずイブナが追撃し、間近に迫る。


 俺は身を起こすのをあきらめ、地を這うような態勢のまま迎撃した。

 顔面を狙い、膝が飛んできた。紙一重でかわす。頭のすぐ横を、鋭く風がかすめた。

 イブナの軸脚を狙う。低空のタックル。倒れこそしなかったが、イブナの上体がぐらついた。

 跳ね起きるようにして、下から掌底を放つ。

 顎先をとらえた――かに見えたがかわされていた。手応えなく、てのひらが宙に浮く。

 イブナは至近距離で旋回し、俺に背を向けた。


「なっ……」


 虚を突かれ、一瞬対応が遅れた。

 イブナは背を向けたまま、半歩、俺の股のあいだに足を踏み入れた。

 次の瞬間、脳を揺さぶるような衝撃がみぞおちの辺りを襲う。

 背中全体を使った当て身を喰らったのだ、と理解したのは吹き飛ばされたあとだった。

 後方に飛び、衝撃を殺すこともできなかった。

 大木の幹に背を強打し、息が詰まる。


「かはっ……」


 あえぎながらも更なる追撃を警戒したが、イブナは涼しい顔で俺を見ていた。


「姉様~、その調子です!」


 シャンナの呑気のんきな声援が聞こえてくる。


「……さすがだな」

「どうした? 今のはほんのあいさつ代わりだぞ?」

「待ってろ。すぐにあいさつを返してやる」


 余裕の笑みを浮かべるイブナに、俺も口の端を上げて返した。

 今の短い攻防でも、彼女にかなり深いレベルまで、武術の心得があるのが分かる。


 戦場では得物を失った状態で戦えることも、生き延びる上で重要な能力だ。

 勇者隊の中には、拳で大木を折れるほどの体術の遣い手もいた。

 そいつほどではないが、俺も剣技ばかりに頼りきっていたわけじゃない。


 心のどこかにまだ、衰弱していたイブナの記憶があり、全力をぶつけるのにためらっていたのだ、と自覚する。このまま向きあえば、相手にもそれは伝わるだろう。

 そうなったとき、イブナがどれだけ怒るか考えると、そのほうが怖かった。


 ――魔族とヒト族のことをもっとよく知る。


 シャンナの言葉を思い出す。

 全力でぶつかり合わなければ見出せないこともあるはずだ。

 魔族としてではなく、共に戦う仲間として、イブナのことをもっとよく知りたいと思う。


「いくぞッ!」


 自身の心を奮い立たせるため、腹の底から声を上げた。

 今度は俺から地を駆ける。

 先ほどまでと、覚悟が一段違う。

 イブナにもそれは伝わったのだろう。

 かえって笑みを濃くし、半歩片足を後ろに引き、構える。


 牽制の拳が飛んできた。

 俺は一撃を受ける覚悟で足を止めず、さらに踏み込む。

 こめかみをイブナの突きがかすり、血が舞った。

 気にとめず、俺は肌着の襟をつかみ、同時に脚を払った。

 拳を突き出した態勢ではこらえきれず、イブナは地に背中を打ちつけた。

 共に倒れ込むようにして、俺はイブナの胸に上から突きを放つ。

 握った拳が柔らかな肌にめり込む感触が、確かに伝わる。


「がはッ……」


 今度は、イブナが息を詰まらせる番だった。

 遠くに、シャンナの上げた悲鳴が聞こえる。

 イブナの体から力が抜けた一瞬を逃さず、俺はその腰を両膝で挟み、馬乗りになった。

 上から、左右の拳を連続で叩き込む。

 顔面を狙ったものの、イブナは両腕でそれを防いだ。かまわずに、俺はその腕を打ち続けた。


 ――このまま押し切る!


 だが、拳を突き出した瞬間、ぞわりと悪寒が背に走った。

 瞬間、蛇が獲物に飛びつくように、イブナの両腕が下から伸び、俺の腕を絡めとった。

 関節をめられる。

 そう悟ると同時、俺は全力でイブナの腕を払い、転がるように彼女から離れた。

 無理やりに外した腕が、ズキリと痛んだ。


「ちっ」


 イブナは小さく舌打ちし、立ち上がった。鼻から血を流しながらも、その闘気はいささかもおとろえていない。


 そこからも、俺たちの攻防は一進一退だった。

 これだけ全力でぶつかり合えば、勝敗はすぐに決する。

 そう思っていたが、お互い、決定打を与えられないまま、時が過ぎていく。

 水中にいるかのように、息が苦しい。

 それでも、動くのを止めなかった。


 組み打ちの実力は拮抗していた。

 イブナはどちらかというと、やや距離を置き、素早い打撃と巧みな技で立ち回るのを得意としているようだった。

 対する俺のほうは、近接からの投げ技にやや分があった。

 とはいえ、それもじゃっかんの傾向の差だ。

 俺から打撃の打ち合いを挑むこともあったし、イブナに投げられたのも一度や二度ではなかった。


 早朝に始めたはずの立ち合いだが、いつの間にか、日の光が真上から降り注いでいた。


「あ、あの、今日のところは引き分けとして、そのくらいにされては……」


 シャンナがそろそろと言う。

 互いに気力、体力を削り合い、ダメージも小さくなかった。

 俺は額から、イブナは鼻から血を流し、出血も止まっていない。


「だ、そうだ。降参するなら、わたしはいつ止めてもいいぞ」

「肩で息吐いてるヤツに言われてもな」


 結局、シャンナの提案には二人とも取り合わない。

 ……そう言えば、事前に勝敗を決める方法を話し合っていなかった。

 立ち合ううちに、暗黙の了解として、どちらかが降参するか、動けなくなるまで、と決まった気がする。

 要するに、二人ともムキになっていた。


「あまり妹を待たせすぎるのもなんだ。そろそろ決着をつけるぞ」

「ああ。望むところだ」


 荒い息をつきながらも、睨み合う。

 何も考えずとも、目を追うだけで思考の読み合いが始まった。

 俺は深く息を吸い、止めた。もう、余力を残すつもりはなかった。

 イブナも捨て身に近い動きだった。打撃が加速する。

 俺は急所だけを避け、そのダメ―ジを無視した。

 激痛が全身に走る中、全神経を研ぎ澄まし、隙を探る。


 ――見えた。


 一瞬にも満たない刹那。

 肘を横から叩きこもうとするイブナの間合いに、か細い道筋があった。

 脚を踏み込み、道をこじ開ける。

 襟首をつかみ、背後に回る。腕を首に絡めてねじ上げ、さらに力を込めた。


「ぐっ……うっ……」


 イブナの苦しげなうめき声が、すぐ耳元に聞こえる。

 このまま絞め落とす。

 細い首をめたまま、俺は抵抗を受けぬよう体を密着させた。

 この態勢になってしまえば、魔族がどれだけ優れた身体能力を持っていようと、抜け出す術はないはずだ。

 イブナは絡まった俺の腕に手をかけながら、逃れようとするように身をかがめた。

 逃すまいと俺も、同じ姿勢を取ろうとし――、


 次の瞬間、イブナが全身の力を使って後方に跳ね起きた。

 彼女の後頭部が、俺の顔面に強打した。


「くっ……」


 意識とは裏腹に、腕から力が抜けてしまった。

 その瞬間を逃さず、イブナは俺の頭を両手で包むようにつかむ。

 稲妻のような速さで、彼女の額が俺の顔を再度とらえた。

 ごすっ、と鈍い音が脳を揺らす。


 ――頭突きの二連撃。


 なりふり構わないイブナの攻撃に、たまらずに俺は数歩後方へとよろけ、膝をついた。

 相手の次の攻撃に備えようと顔を上げたとき……。

 イブナの足が、ふわりと俺の膝の上に乗った。


 何が起こったのか、一瞬分からなかった。

 彼女のスラリと伸びた膝が鉄槌となって、俺の横顔に打ちつけられた。

 ――意識が、飛んだ。

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