第5話 勇者は死んだ

「第一に、その手をよごすのを恐れないことです」

「ほう」


 シャンナがそれをまず掲げたことは意外だった。

 俺の内心が伝わったのだろう。

 彼女は笑って言う。


「姉様もマハトさんも、まっすぐ過ぎるほどまっすぐなお方ですから。第一にお伝えすべきかと思いました。もしご自身の手を使えないようなら、わたしをお使いください」


 外見上は俺やイブナなんかより遥かに純真無垢に思える彼女がそう言うと、妙なギャップがあった。

 小悪魔的とでも言うのか……。

 それはともかく。


「おまえのことをそんなふうに利用するつもりはないが……。もう少し詳しく話してくれるか?」

「はい、もちろんです。わたしたちが築こうとする道は誰も通ったことのない、未知の世界です。何から為せばいいのか、誰と戦えばいいのかも判然としません」


 シャンナの言葉は、まるで原稿があるかのように淀みない。

 それでいて、一語一語に確かな説得力があった。


「その道程は決してまっすぐなものではないでしょう。いえ、むしろ曲がりくねって見えることのほうが多いはずです。ですので、その過程で邪道と思える行為をためらうべきではありません」

「……けどそれじゃ、街の人間を虐殺した者たちや、おまえを神殿に連れ去った魔族と同じじゃないか?」


 シャンナは、首を横に振って答えた。


「残酷である必要はないですし、そうあるべきではないと思います。無力な民を犠牲にするのであれば、今の魔王軍や人間軍と変わりありません」

「ああ」

「大事なことは、ヒト族や魔族の常識や倫理観にとらわれないことです。今までの自分を捨てるくらいの覚悟でなければ為し得ない事にも、これから数多くぶつかるはずです」

「なるほどな。分かるような気もする」


 ハディードの街での虐殺のような真似は絶対に許せないと、今も強く信じている。

 けれど、もし今後、勇者隊や各国の人間の兵士と対立するときは……。

 彼らは、命を捨てる覚悟で戦場に立っているはずだ。


 俺も剣を抜くのをためらってはならないだろう。

 イブナも、俺の理想のためには同族に手をかけるのもいとわないと言ってくれていた。

 俺だけが、キレイごとの中に逃げ込むのは許されないはずだ。


「ヒト族の英雄、勇者マハトはハディードの街で死んだ。今の俺はヒトでも魔族でもない流浪の戦士だ。そう思うことにする」

「さすがマハトさん。わたしの言いたいことを的確に汲み取ってもらえて嬉しいです」


 言葉どおり嬉しそうに、シャンナはくすくすと笑う。

 一見無邪気そうなこの仕草も、すべて計算ずくでやっているかと思うと恐ろしくもあった。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、シャンナはさらに続ける。


「第二に、同志を探すことです」

「同志……か。それはそうだろうな。三人だけでできることなんて、たかが知れてる。しかし……」

「ええ、慎重にやらなければいけません。わたしたちもマハトさんも同族に追われる身です」


 ヒトと魔族の争いを止め、共存の道を探る同志。

 そんな存在が本当に見つかるだろうか。

 俺とイブナ、シャンナが出会ったのも奇跡に等しいというのに。


「逃亡生活じゃ、あまりに情報が限られてるな……」

「ええ。今、ヒトと魔王様たちの戦況がどうなっているかも知りたいですし……」


 俺の言葉にまっさきにそう返すあたり、やはりシャンナには軍師の才がある。


「もし、わたしたちと同様に寄るべのない者がいれば、取り込めるかもしれませんね」

「ああ。第一の心得にも通じるな。多少卑怯な手を使ってでも俺たちの側に引き込む」

「ええ。その先にある未来に信念を抱いているのであれば、手段にこだわってはいけません」

「とはいえ、正直、俺にはこれという当てが今のところない」

「そうですね。同志を募ることについては、姉様も交えてよく話し合ったほうがいいかもしれませんね」

「ああ。まずは三人で出来ることをやらなければ、賛同者をつのりようもないしな」

「情報収集の件だけは……」

「分かってる。多少の危険を冒してでも、手段を考えよう。魔王軍が黒竜王を召喚しようとしたように、いつ取り返しのつかない事態になるかも分からない」


 戦況ももちろんだが、ハディードの街を利用したプロパガンダの結果も気になるところだった。

 俺はあの街での真相を知っている。

 そのことが、同志を見つける上で重要なカギになる気がした。


 それに、イブナたちの体調の問題もある。

 今はグリフォンの心臓と血を喰らい回復したように見えるが、魔核のない状態で、いつまた乱魔の病が再発するかもしれなかった。


「急ぐ必要があるな」

「ええ……」


 シャンナとの談義は撃てば響くようで、心地良かった。

 彼女の投げかける言葉も的確だし、俺の言葉の意図も瞬時に汲んでくれる。


 勇者マハトは死んだと言ったばかりだが、新たな境地で戦友を得ているような心地だった。

 イブナも聡明な魔族だが、シャンナの思考はこちらの数歩先を常に先回りしているようで、俺たち以上に大きな視野を感じる。

 それでいて、不快感もない。


「ですが同時に焦り過ぎてもいけません。そこで第三の考えです」

「教えてくれ」

「魔族とヒト族のことを、互いによく知ること。その共通点、相違点を深く知れれば、たどるべき道も見えるはずです」

「なるほどな。それはこうしてシャンナと話をできるだけでも、相当違うだろうな」


 凍れる大陸の話を魔族の口から聞いた人間なんて、俺くらいのものだろう。

 それだけでも大きな収穫だった。


 しかし、シャンナは小さく首を振りながら言う。


「それだけでは不十分です。会話で得られる知識など表面的なものに過ぎません」

「ならどうすれば……?」

「姉様を早く抱くべきです」

「またそれか……」


 ここまでシャンナとは意志が通いあっていると感じていたが、突如として断絶を感じる。

 しかし、彼女は特に話が飛躍しているとは思っていない様子だった。

 微笑を浮かべたまま、小首をかしげている。


「どうしてそうなるんだ?」

「どうしてとおっしゃられても……。わたしはこの身体ですので、マハトさんのお相手を最後まで務められる自信がありません」

「前提が二択なのか!?」

「それに、マハト義兄様にいさまがほんとに好いているのは姉様でしょう?」


 しれっと義兄様にいさま呼びが復活していた。

 けど、それに反応するほどの余裕もなかった。


「それともヒトと魔族では美醜びしゅうの感覚が違いすぎるのでしょうか。姉様は義兄様にいさまの目からは醜く映りますか?」

「それは絶対にない」


 思わず俺は断言していた。

 イブナは人間である俺の目から見ても美しい。

 今まで人のあいだですら出会ったことがないほどに。

 ついでに言えば、シャンナもあまりイブナとはタイプが違うが、掛け値なしの美少女と呼べるだろう。


「しかしイブナの気持ちというものがあるだろう!?」


 我ながら間の抜けた反論だった。

 相当シャンナの言葉に動揺しているらしい。


「そんなもの、妹のわたしから見れば一目瞭然です!」


 自信満々に断言しているが、真偽のほどはよく分からなかった。


「たしかに、これまでは乱魔の病やわたしのこともあって、それどころではなかったかもしれません。ですが、今は今後訪れるかも分からない、束の間の安らぎのとき。姉様と愛を確かめ合うなら、今を置いてほかにありません」

「森の中の洞穴に隠れ住んでるのが安らぎか?」

「これから新しい時代を切り開こうとするお方が、細かいことを気にしてはいけません!」


 細かいこと、なのだろうか?

 シャンナはどうしても、自分の主張を引っ込めようとせず、自分の姉と俺をくっつけたがる。


「わたしには、惹かれ合う二人が身体を重ねない意味が分かりません」

「おまえの言う通りなのかもしれないが……」


 俺はいくぶん声を落とし、つぶやくように返した。


「俺は故郷も家族も幼いころに無くしてる。それからずっと、戦場にいた。そのせいか、愛情っていうのがなんなのかよく分からないんだ。今はイブナを抱く自信も、正直無い」


 強引な真似をすれば細剣のさびになりかねない、とはさすがに言わなかった。


「むぅ。少々言い訳めいて聞こえますが……」


 シャンナの顔からはずっと絶やさなかった微笑が消え、不満げに頬を膨らませている。

 なかなかにしつこい。


「ともかく、これ以上は本人のいないとこで話すようなことじゃないだろう。おまえの言う三つの指針はよく分かった。おおむね、俺の考えも同じだ。イブナも戻ってきたらよく話そう」

「最後の最後ではぐらかされた気がします……」


 シャンナはなおもぶつぶつと言っていたが、ちょうどそのとき、イブナが洞穴に戻ってきた。

 これで話はおしまいだった。


 しかし、シャンナの話のせいで、妙にイブナを“女”として意識してしまう。

 それまで含めて、彼女の策略なのかもしれない。


 そしてその後、意外なことに、イブナのほうから誘いがけがあった。

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